3時33分の世界
本来はいけない行為で、トモにも夜中の訪問者など家に入れてはいけないと言わなければならない。しかし今はそんな正論など役に立つ状況ではない。トモがケンの部屋を開けようとしたとき、どこからともなく声が聞こえてきた。
「開けてはいけない」
それは男の人の声だった。辺りを見回したが、トモの他には誰もいるはずもなかったが、トキはケンの部屋を開けることを躊躇した。
「お魚さん、どうして?」
トモが何の疑問も持たずに聞き返すと、再び声が聞こえた。
「詳しくはこれから話すから、部屋へ戻ってきてくれないか」
「いいよ」
トモはリュウを自分の部屋へと導いた。トモの部屋の勉強机の横に小さな本棚があり、その上の水槽には小さな魚が何匹か泳いでいる。もしやこの魚の声か?と思い近寄ってみるが、魚はジッと見つめるリュウの視線など無視して、ゆっくりと泳いでいる。
「ここだよ、岩の横」
声の指示に従った先には、小さなビー玉が転がっている。透明なガラス玉の中に小さな赤い線の入ったビー玉だ。
「その玉をすくい上げてくれ」
リュウは恐る恐る水槽に手を入れ、ビー玉をすくい上げた。
「そこにいるのが私だ」
ビー玉をじっと見るが、赤い線の他には何も見えない。リュウは再び水槽に目をやった。
「目をそらさないでくれ。玉の中だよ」
灯りにビー玉を向け、片目を閉じてじっと見ると、ビー玉の中で何かが動いている。この声がなければ、小さなビー玉の中でいくら動いたとしても、きっと気づかなかっただろう。トモも初めて気づいたようで、小さな口を開けてじっと見つめている。
「そうそう、この中にいるのだよ。今までずっと訴えていたのだが、やっと気づいてくれた。この坊ちゃんは、俺のことを魚だと思っていたらしい」
「あなたは誰ですか?」
「俺か?俺はユウという」
「ユウ?もしかしてネイチャー・キャッスルのユウさんですか?」
「そうだよ、そうだよ。やっと話がわかる人に会えた。俺は嬉しい。何度もこの坊ちゃんに魚ではないから、ここから出してくれ、と言っても信じてもらえず、『魚は水から出たら死んでしまう』と言って、聞いてもらえなかったのだ」
「え?お魚さんではなかったの?」
トモはビー玉に近寄り、その小さな目を大きく見開いたが、やはり魚の形をしている。
「俺にも魚に見えるけど」
リュウはビー玉に向かって呟いた。
「そうなのだ。魚の姿で偵察をしていたら、何故かこの玉の中に閉じ込められて、出られなくなったところを、この坊ちゃんに拾われたという訳だ」
「どうやったら戻れるの?」
「それは俺にもわからない。頼む、俺をネイチャー。キャッスルに連れて行ってくれ」
「それは構わないが、どうすればいい?」
「駅のロータリーにタクシーが止まっている。それに乗れば連れて行ってくれるさ」
リュウたちが初めてネイチャー・キャッスルに行った時のタクシーだ。あのタクシーのことを知っているのなら、この声の主は本当にユウなのだろう。まだ状況を完全に理解できてはいなかったが、とにかく最悪の状態は免れた。一人ぼっちではないと言うことがどれほど心強いことか、リュウは身をもって友人のありがたさを感じた。
「おいユウ、一つ教えてくれ。ケンはここに居るのか?」
「ああいるさ。見てくればいい。でもその前に俺も連れて行ってくれ。おっと、ポケットはやめてくれよ、万が一、落ちても気づかれなかったら困るからな」
そう言われて、自然とポケットに手を入れると、そこにはタクシーの運転手からもらったチケットがあった。
「おいおい、それを捨ててはいけないよ。いま俺がこうしてお前と話ができているのは、そのチケットのお陰なのだから」
「これのせい?」
「ああそうさ、ここの坊ちゃんも俺と話せるツールを持っていたから、助かったよ。最後の最後でツイてるわ」
「トモも何か持っていたということか?」
「ああそうだ、この坊ちゃんが机に隠しているキャンディだ。その包み紙を持っている奴は俺の声が届くんだ。いつ食べて、捨てられるかと思うと、生きた心地がしなかったぜ」
「僕、そんなこと知らなかったのだもの」
トモが小さな口を尖らせて、拗ねた口調で言った。泣かれると面倒なので、リュウは柄にもなく丁寧な子供口調で慰めると、トモは機嫌を直したようだった。詳しいことは後で聞くとして、リュウはトモに何か、首からかけられる小さな入れ物のようなものはないかと聞くと、引き出しから幼稚園で使うカードホルダーを取り出した。ビー玉を入れると隙間はできるが、ユウの様子もよく見えた。
「いい感じだな、これなら周囲もよく見える」
ユウは満足そうに言うと進行方向に向き直し、ケンの部屋へ行くよう指示した。思わぬ場所でケンに会えることになり、不思議な気分だった。一人ネイチャー・キャッスルを飛び出し、戻ってきた先にケンがいるのなら、自分は今までどこに行っていたというのだろうか。
ドアを開けた先は薄暗く、ベッドの中で誰かが寝ている。電気をつけろユウが言うので、トモが躊躇することなく電気を付けると、ケンが難しそうな顔をして寝ていた。リュウは喜びのあまり近寄って、ケン、と呼びかけたが何の反応もない。
「無駄だって、こいつは起きない」
「何だって?」
「なぜなら今3時33分だからだ。しかもこいつは3時34分になっても起きない。ネイチャー・キャッスルにいるからな」
「どういう意味だ?」
「ネイチャー・キャッスルに行っている奴は、体はそこにあるが、中身はお出かけ中だ。帰ってくれば起きるだろうが、そうでなければこのままだ」
「3時33分って何だ?さっきから時計が動いていない」
「3時33分になると、一旦、掃除のために世界を止めているのだ。最近はどこからか、妙な奴らが君たちの世界にやってきている。だから俺たちが世界を止めて、その間に妙なやつらを連れて帰っているのだけれど、最近やたらと量が増えてきたので、調査のためにやってきたら、この様だ。やっぱり3時33分以降に来ると、ろくなことがない」
「ではケンたちがずっと帰ってこなければ、ずっとこのままなのか?」
リュウはヒロのことを思い出した。彼を迎えに行った時にも、ヒロは起きなかった。同じことが起こっているのだろうか。
「まあ普通はすぐに帰ってくるさ。何しろここの時間軸と、向こうの時間軸は違うから、ここの1秒が向こうでは1時間くらいにはなるだろう。仮にずっと向こうにいるならば、ずっとこのままだ。だから俺たちは、必死になってこちらへと返そうとする。でも帰らない奴が最近多くて困っているのさ」
「俺は家ではどうなっているんだ?」
「お前か?お前も同じ感じで寝ているさ。今ここで自分の元へ行けば、お前は一人、勝ち逃げだ」
「勝ち逃げ?」
「ああそうさ、もうすぐ3時34分になる。そうすれば俺はまた水槽に戻され、坊ちゃんはズボンを履き替えて、ベッドに戻る。そして朝を迎えてお前は起きるというわけさ」
「ケンやヒロたちは?」
「お前も物分りが悪いな。戻ってこれないし、俺も戻れない。それでもいいのか?俺は困るね。恨んでやる」
最後は冗談ぽく言ったが、本気度は伝わってきた。なるほど、自分が戻れば普通の人としてヒロに会いに行けるという訳か。あのトンネルもあながち嘘ではなかったということだ。しかし本当にそれでいいのか?いいはずはなかった。
「わかった、お前と一緒に戻ろうじゃないか。その代わり、俺は絶対に友達を連れて帰る。手伝うと約束しろよな」
殺気にも似たリュウの鋭い眼差しに、ユウは口笛で応えた。駅のロータリーに向かおうとすると、着替えを済ませ、リュックを背負ったたトモがいた。
「僕も行くよ。だって一人では寂しいでしょ?」
リュウは微笑んでトモの手を取り、玄関へと向かった。




