名無しの女性
ロンロンのアイディアで、ケンは客室から手鏡を持ってきていた。これがあれば本来の姿を簡単に写すことができるし、鏡に写ったロンロンから簡単に助言も聞ける。
何十人に声をかけて回っていたとき、一人の幽霊に出会った。彼女は鏡に写っても姿が変わらなかったので、自分本来の姿のままエントランスホールのソファに腰掛けていた。髪の長い、若くて綺麗な女性だった。
「こんにちは、友人を探しています。協力をしていただけませんか?」
「どんなお友達ですか?」
女性はおだやかではあるが、寂しそうな表情で答えた。今まで聞いてきた幽霊たちは、自分のやりたいことばかりを言ってきて、ケンは嫌気がしていたのだが、レイについて聞き返してきたのは彼女が初めてだった。
「彼です」
持ってきた携帯の写真を見せると、女性はしっかりと覗き込んで、首を横に振った。
「私も同じ携帯を使っていたのよ、懐かしいわ。でもごめんなさいね、ここにいる人の顔はよく覚えていないの」
「同じ機種ということは、ここへ来たのは最近なのですか?」
「ええ、残念なことにね。お友達はどうしたの?」
「ここにいることは間違いないと思うのですが、幽霊たちのいたずらで、姿を変えられているかもしれないのです。あなたのように姿を変えていなければ見つけやすいのですが、一人一人チェックするのは時間がかかるので、できるだけ多くの幽霊を、ホールの大きな鏡の前に集めようと思っています。でも僕たちだけでは力が足りないので、協力して欲しいのです」
「どうすればいいの?」
「幽霊たちに呼びかけて、ホールに来てもらってください」
「私もここへ来たばかりなのよ。呼びかけても来てくれるかしら?」
儚げな笑顔と声は、ただでさえ消えそうな彼女の姿を一層、見えづらくした。床にいたロンロンはケンの体を伝って、腕に巻きついてきた。邪魔に感じ、振り落とそうとするが、一層強く巻きついて離れない。そして手鏡をもった手首に力を入れ、鏡を立てようとする。
「何だよ、何か用なの?」
ケンが面倒くさそうに鏡にロンロンを写すと、照れくさそうに笑う紳士姿の彼がいた。少し髪の毛を整えたあと、女性に見える位置に鏡を動かせ、鏡越しに女性に言った。
「差し支えなければ、ここへ来た理由をお聞かせ願えませんか?もし言いにくければ、構いませんが」
ケンはいきなり何を言い出すのだと思ったが、黙って聞いていた。何か意図があって聞くのか、それとも一オクターブ高い声は個人的な感情なのか。
「いえ、お話するほどのことではないのですが」
と前置きをして、彼女は話し始めた。
「近々、結婚を考えていた彼が亡くなってしまったのです。それでもうこの先どうなってもいいと思って、この世界に来たのです。最初は家族も心配しているし、もう少し頑張ろうかと思って、行ったり来たりをしていたのですが、こちらの世界にいたほうが、彼に会えるかもしれないと聞いて帰るのを辞めたのです。そして彼に会える場所につながるトンネルに行ったら、体がなくなってしまっていたのです。この姿では、向こうにも帰れないし、人と話をすることもできない。どうしようかと彷徨っているうちに、ここにたどり着いたのです」
「トンネルですか?」
「はい、洞窟のようなトンネルです。私と同じような人が何人も集まっていました。彼を探して彷徨っていた時、住人に『会いたい人に会いに行けるトンネル』があると聞いたのです」
キヨ婆さんが管理しているトンネルのことだということはすぐにわかった。そこで体を失ったというのなら、リュウにも同じことが起こったのだろうか。
「体がなくなった時の状況を詳しく教えていただけますか?」
「トンネルへは10人ほどいたでしょうか。皆さんとは何日か一緒に過ごしていたので、仲間のように仲良くなっていました。トンネルに連れて行ってもらった時は、皆さん笑顔で希望に溢れていました。そしてガイドの方の合図で目を閉じると、彼の姿を思い出し、そばに行きたいという気持ちになったのです。
でも自分の中でもう一人の自分がブレーキをかけるのです、行ってはダメだと。もしかしたら母の声も混じっていたかもしれません。それでも私は彼のもとに行くにはこの方法しかない、という気持ちを押し切った瞬間、体から離れたような気がします。その時は不思議と嫌な気持ちがしました。周りのみんなも苦しそうな表情をしていたような気がします」
女性は大きなため息をついて、両手を握りしめていた。握り締めた手は震え、溢れ出る涙を拭うこともせずにいた。
「泣いたって仕方がないとはわかっているの。気持ちはいつまでたっても晴れないし、彼は見つからないし、家族にも会えない。生殺しのまま時間だけが過ぎて、今では自分がなぜここにいるのかも、どうしてこうなったのかも忘れそうよ。でもありがとう、話をさせてもらって何が起きたのかを正確に思い出したわ」
ケンは女性の顔を直視することができず、ロンロンをつついた。この話を引き出したのは彼なのだから、最後まで責任をとってもらうのと、早くレイを探す手伝いをしてもらう狙いがあった。しかしロンロンは彼女の話を続けて、切り上げる様子がない。
「ガイドというのは一体どんな人なのでしょうか。そしてあなたはトンネルに行くまでの間、どこへいたのですか?」
「裏庭の公園で仲良くなった人と一緒に、町まで行きました。今まで見たこともない岩窟の街はとても綺麗で、海外旅行に行った気分になりました。ひときわ高い塔の近くの家に招かれ、皆と食事をしたり、話し合ったりしました。誰かと会いたいと思っている人ばかりだったので、すぐに仲良くなりました。行方不明の息子さんだったり、愛犬だったり、お母さんに会いたいという子供だったり。各々で会いたい人について語るうちに、どんどん会いたい気持ちが大きくなって、本当に会えるならどんなに素晴らしいか、そしてこの仲間で再会したいね、と話しました。とても楽しい時間でした。
でも今思えば、正常な精神状態ではなかったのだと思います。思いつめていたし、周りの人も同じ状況だったので、マヒしていたのかもしれません。思えば各個人の希望の場所に、どうやって行けるというのでしょう。ガイドの方の『あなたがたは幸運です。ここへ来られたのですから大丈夫です、お任せ下さい』という言葉を信じてしまったのです。皆さんはどうなったのでしょう。誰にも会わないので、希望の場所へ行けたのでしょうか」
自分の過去を話すうちに、彼女自身の頭も整理されたのだろうか、少し落ち着いてきたようだった。辺りを見回すと、太った女性がふわふわと宙を舞いながら、幽霊たちに声を掛けて回っていた。ロンロンは気にする様子もなく、彼女との対話を続けた。
「あなたはどうやってトンネルから出たのですか?もしかして誰かに拾われたのではありませんか?」
「そうです、なぜご存知なのですか?ほかの人は体から出たあと、ガイドが連れて行きました。その時トンネルに誰かがいて、ガイドと争いになり、私は置き去りになったのです。その後で女の子に拾われました」
「やはりそうでしたか。その時トンネルにいたのは私たちなのですよ」
「そうなのですか?ではあなたがたのせいで私は希望の場所に行けなかったということですか?」
「そうではありません。あのトンネルは確かに希望の場所に続くトンネルです。しかしよほどの強い意思と、他に惑わされない心がなければ通ることができないトンネルなのです。
そのあまりのハードルの高さに、通れた人は殆どいないと言われています。昔はトンネルを通るには王様の許可が必要でだったのですが、今はその存在を消し去られたトンネルなのです。昔からトンネルはよほどの事情を抱えたこの世界の住人のために作られたもので、許可が降りることはほとんどなく、降りたとしても本当に希望の場所へつなぐ作業が必要なのです。
でもそれを知らない住人が噂を聞きつけ、勝手に入り、迷い人となりこの屋敷にくることになったのはよくあることなのです。おそらくお友達は全員、この世界のどこかに囚われたのでしょう。問題は誰がそのようなことをしているかなのです」
ケンはロンロンの言葉でトンネル内の光景を思い出した。あの時のあの集団が、彼女の言う仲間たちで、エリカが拾った光が名無しの女性、つまり目の前の彼女だというのだ。
「そうですか、やっぱり騙されていたのですね。私はその後、自分なりに体を探していろいろな場所へ行きました。なにしろ飛べるわけですから。でも何かに追いかけられたり、捕まえられそうになったりして怖くなったので、ここへ来たのです。ここは奇妙な人たちばかりですけれど、誰も私を追いかけません。でもそういえば、誰かに追いかけられている男の子がいました」
「その子はどうなりました?」
「かわいそうだったので、私も後をついて行ってみました。皆で寄ってたかって、彼を取り囲んでいたので、助けてあげようと近寄ったら、不思議と彼の体に入って行ったのです。すると途端に幽霊たちは逃げていきました。そして私が彼から離れると、また寄ってくるのです。そしてまた入ると、また逃げる。と
いうことは私が彼の中にいれば、幽霊たちはよってこないということがわかったので、しばらく一緒にいました。そういえば先ほどのお友達の写真、彼に似ていたかもしれません」
ケンが再度、携帯の写真を見せると、彼女はじっと見つめて頷いた。
「多分、彼だと思うわ。ごめんなさい、すぐに気づかなくて。こんな姿になって幽霊に追いかけられるものだから、あまり人の顔を見ないようにしているの」
「レイはどこにいるのですか?」
「廊下を真っ直ぐ行った突き当りの部屋まで行くから、そこまでは一緒にいてくれと言われたわ。その部屋なら、幽霊たちが来ないから、と言っていたの」
以前一緒に逃げ込んだ部屋のことだ。ケンはすぐにその部屋へ向かった。
「あなたも一緒に来てください」
ロンロンが言ったので、女性も滑るような足取りでついてきた。廊下はホールに向かう幽霊がどこからともなく集まっていた。きっと太った女性が頑張って集めているのだろう。お金のためだろうか、それとも久々に得たミッションのためだろうか、どちらかはわからないが、意味もなく日々を過ごしていた彼らにとっては、心がざわめいているに違いなかった。




