リンリンとロンロン
幽霊屋敷の近くまではじいじのボートに乗り、地面に足がつく場所までやってきた。ボートを降りて湖を振り返ると、徐々に水位が上がっているのがわかる。この水は湖の底から湧いていると言っていたが、一体いつまで続くのだろうか。新たな事件が起こらなければいいが、と気にしつつもやっとレイを探せることへの期待の方が強かった。
レイと来た時に偶然にたどり着いたため、行き方はよく覚えていなかったが、チロが先導してくれた。二匹のヘビ(に似た姿)が並んで進むのを見るのは、奇妙な光景だった。
「名前を付けてあげたほうがいいかしら」
チロに慣れ、愛着すら湧いてきたマナが真剣に名前を考えていた。元々名前がついているのかは定かではないが、確かに二匹連れていると、とっさの呼びかけに苦しむ。ケンを守っているのは体が黒く、体も太くて長い方で、マナを守っているのは、若干白くて、体も短い。犬のように『クロ』『シロ』と呼ぶのも、失礼な気がする。
「長い名前はダメよね」
マナの頭はチロの名前で一杯のようだ。
幽霊屋敷が遠くに見えてくる辺りは、地面がぬかるんでいることもなく、久々に心地いい感触だったが、濡れた靴やズボンの先の濡れた感触が不快だった。屋敷へと続く道は茂った森で覆われ、光が届かないので、常に薄暗い。鳥が飛ぶ音ですら、何かが飛んでくるのではないかと疑心暗鬼になる。何もないのに何かに襲われる感覚は、この森にいると誰もが感じるに違いないし、自然と気持ちも暗くなる。一人では絶対に近寄りたくないところだ。
道の端に『真実の姿が写る池』が見えてきた。素通りしようかと思ったが、案内ついでにマナに教えておいた。
「マナ、ここの池には本当の自分の姿が写るのだよ」
「本当の姿?」
「俺とレイは変わらなかったけど、一緒にいたオタマジャクシが、実は少年だったんだ」
「面白そうね、少し寄っていこうよ。リンリンとロンロン待って」
マナは道を逸れて、池へと向かった。いつの間にかリンリンとロンロンという名前になったようだ。
どちらがどの名前かはわからないが、二匹の蛇は動きを止め、遠くからこちらを見守っている。名前の由来など特に興味もなかったが、どこか聞いてほしそうな顔をしていたので、とりあえず聞いてみた。
「なぜその名前なの?」
「頭の中に鈴のイメージが沸いたからよ。インスピレーションってやつかしら」
「ということは僕付きのチロがロンロンってわけか。そういえば小さいころ飼っていた犬がロンって名前だったから、覚えやすいな」
「私はおばあちゃんの家にいつも鈴が鳴っていたから、思い出したのよ。リンリンとロンロン、こっちよ」
マナに手招きされ、渋々といった感じでリンリンとロンロンはゆっくりと体をくねらせて池までやってきた。池を眺めると、そこには水面に沿ってゆれるマナの顔があった。
「なんだ、真実の姿というから、もっと可愛い顔が映るかと思った。そもそも『真実』ってどういうこと?」
「人だった時の姿というか、何というか」
「偽の姿をしている人がいるの?」
「俺とレイが出会った男の子は、最初はオタマジャクシだった」
「何、それ。変な話」
マナはそう言うと深く乗り出し、池を観察し始めた。そんなに乗り出すと危ないなと思ったとき、体勢を崩し池に落ちそうになった。
「危ない!」
ケンもすぐに手を伸ばしたが届かず、池に落ちたと思ったが、ロンロンが池の端まで素早く移動し、マナの腕に絡みついて引き留めた。リンリンも加勢して引っ張ったので、マナは間一髪、池に落ちるのを免れた。彼らにあれほどの力があるのに驚き、尻餅をついたマナの手を引き上げた。
「危なかったね、マナ。気を付けないと」
ケンの呼びかけにもマナは反応せず、リンリンとロンロンを見つめていた。
「彼らにもお礼を言わないと」
ケンが再度声をかけたが、マナはリンリンとロンロンをしばらくの間見つめていた。
「あなたたちは誰?」
リンリンとロンロンは長い舌をマナの方向に向けて、動きを止めていたが、するすると移動して池を眺めた。そこに写っていたのは、中年の男性と女性の姿だった。地面に目をやると、そこには二匹の蛇の姿がある。ケンとマナは何度も交互に見返したが、結果は同じだった。
「そう驚かなくてもいいじゃないの」
水面の女性が口を開いた。男性もそうだ、と言わんばかりにうなずいている。水面が揺れるたびに顔が崩れるが、声は水面からはっきりと聞こえる。
「お久しぶりね、マナ」
「お久しぶりって、私のことを知っているの?」
「知っているわよ、いつもテニスを頑張っているわよね。応援していたわよ」
「え?誰?」
「それはまたの機会に」
そう言うとリンリンとロンロンは池を離れ、道を進み始めた。二人は慌てて後を追いながら、マナは必死で記憶を呼び覚まそうとしているようだった。ケンもあの二人をどこかで見たような気もするが、特に特徴もない風貌なので、そこにでもいるような人だ。しかし相手がマナを知っているということは、男の人も自分を知っているのではないだろうかと、記憶を辿ってみたが、思い当たる人はいなかった。
リンリンとロンロンのスピードが早かったのか、考え事をしていたのからか、思いのほか早く屋敷の前についた。相変わらず不気味な屋敷だ。古ぼけた門には剥げた文字で『ようこそ、楽しい時間を』とあるが、なぜこのような看板をそのままにしているのか甚だ疑問だ。誰も訪れず、陰気な空気が漂う中で、この文字が哀れみをおびた感じがすると感じたのは、タツだけではなかっただろう。
レイがこんな屋敷に一人でいたのかと思うと、彼を探せることへの期待感と申し訳なさがこみ上げ、幽霊たちとの再会に少々勇気を出さなければならなかった。
リンリンとロンロンは門の隙間から難なく敷地へと入ったが、ケンは重く錆び付いた門に手をかけ、ゆっくりと引いた。前回逃げた時には、門を閉める余裕などなかったので、その後に誰かが訪れたのだろうか。それとも風で閉じたのか。庭の木々は半分が枯れていたが、残りの半分は生気がないが、まだかろうじて葉が咲いている。このエリアで純粋に生きているのは、庭の草木だけのようだ。
玄関でリンリンとロンロンが待っていた。流石に玄関は隙間から入ることができないので、ケンがドアノブを回して開けると、相変わらずのカビ臭い匂いが出迎えてきた。マナは露骨に嫌そうな顔をして、手で口を抑え、渋々といった感じで足を一歩、踏み入れた。
まずホールへと向かった。リンリンとロンロンはマナとケンの足に体を巻き付け、離れないようにしていた。彼らがいることと、屋敷の配置がわかるということで若干の安心感はあるものの、気味が悪いことには変わりがない。恐る恐る開けたドアの先には、男性らしき姿が3人、女性が1人、猫が2匹に犬が1匹。全て体が透き通っているので、全員が本当の姿というわけではなさそうだ。鏡の前に座った犬の姿は太った中年の女性だし、女の人の横の窓ガラスには、少年の姿が写っており、マナに向かって手を振っている。
「あの少年は誰?」
「女の人の本当の姿だよ。悪気はないから、手を振り返してあげれば?」
マナはケンのアドバイスに恐る恐る手を振ってみると、窓ガラスの男の子は、はにかんだ笑顔で、さらに大きく手を振ると、マナは引きつった笑顔で返していた。
ロンロンはケンの元を離れ、鏡の前の犬へと近づいた。本物の犬ならば蛇が近づいてくると、さっと避けたり、吠えたりしそうなものだが、犬はお構いなしに鏡を見ている。鏡には太った中年女性と、先ほど池に写った細身で長身の中年男性の姿が写っていた。男性は作業着のような格好をしており、シャープな顔立ちからは頭の良さが伺えた。クラスにもいそうな優等生とは違った、野生の勘を持った鋭い目つきの人だった(野生といっても、元々は蛇なのだから当たり前の話ではあるが)。
「久しぶりやなあ」
鏡の中の太った女性は含み笑いをしながら、ちらりと頭だけを動かしながら挨拶をした。
「元気そうだな、まだここにいたのか」
ロンロンは女性のすぐ横で答えた。鏡を見れば、どこにでもある普通の光景だが、目の前にいるのは犬と蛇だ。目の前の彼らと、鏡の中の彼らを交互に見るうちに、感覚的には蛇と犬が話すよりも、男性と女性が話すほうが受け入れやすいが、どちらが現実かわからなくなってきた。
「当たり前や、ほかにどこへ行けというのや」
「心をきれいにして、別の世界に行ったほうがお前のためだぞ」
「いらん世話や」
「人を探している。人間の少年だ」
「人間?そんなものがここへ来たら、ほかのやつらに食われてしまうで」
「いい加減なことを言うな。ここの奴らにそんな力がないことくらい、百も承知だ。どこにいる?」
「さあね、最近はワシらもいろいろ力をつけとってな。何が起こっているのかは知らんわ」
「そうか、そうか。やはりタダという訳にはいかなかったな」
ロンロンは作業着の中から紙幣らしきもの渡すと、女は満面の笑みを浮かべた。
「これは毎度ありがとうございます。お探しの人なら、仲間が数人で連れて行きましたよ。今頃、体を乗っ取られていると思います」
女は先程までとは打って変わって丁寧な高い声で、お辞儀をしながら札束を胸へとしまいこんだ。
「体を乗っ取られているので、見た目も心も変わっていると思いますよ。屋敷中、自由に探してください。毎度ありがとうございます」
女の話を聞き終える前に、ロンロンは鏡から離れ、ホールの扉へ向かったので、ケンたちは後を追った。ロンロンがエントランスの前の大きな鏡の前に立ち、リンリンも横に並ぶと、先ほどの作業着の男性と中年の女性が写っていた。女性は顔立ちもはっきりとして、身なりも整っていた。年をとっているものの、ケンの周りでは見かけないほど綺麗で優雅なマダム、といったところだ。
「いけ好かないババアだ」
「相変わらず、がめついわね。札束なんてここでは何の意味も持たないのに、昔の癖が抜けないのね」
「商売人だったのは何十年も昔の話なのに、いつまでも固執するのも哀れな話だな。それにしても体を乗っ取られることなんてあるのか?」
「彼らは向こうの世界に強い執着があるから、どういう形にせよ、レイの体は魅力的でしょうね」
「という事は一人ずつ鏡に写さないと、レイが見つからないってことか」
「この屋敷に何百といるから、すごく手間がかかるわね」
リンリンとロンロンが真剣な表情で会話する横へ、二人は近づいた。4人が大きな鏡に写ったところで、マナが口を開いた。
「どういうことですか?レイは姿を変えられているということでしょうか?」
「そういった可能性があるらしい。さてどうしたものか」
ロンロンは鏡越しに二人を見つめた。彼は自分たちと一緒にいると、幽霊たちは襲ってこないこと、幽霊たちはいつでも姿を変えることができるので、一人一人確認しているうちに、また別の姿に変わる可能性があると伝えた。そうなると誰をチェックしたのかもわからなくなるので、いたちごっこになる。マナがケンに小さな声で言った。
「誰かに手伝ってもらうとか」
「誰に?」
「幽霊に」
「どうやって」
「例えば、何か願いを叶えてあげる代わりに、レイを探してもらうのよ」
「交換条件ってことか」
「そうよ、私たちがやってもラチがあかないと思わない?それに幽霊と関わるのは気が進まないわ」
マナの言うことはもっともだった。だがどうやって幽霊の願いを知るというのだ。自分には幽霊の気持ちなどわからない。ケンの脳裏に先ほどの太った女性の姿が写った。
「例えばさっきの人にまたお金をあげて、手伝ってもらうとか」
「あの犬の人?」
「そうだよ。幽霊を仲間にするんだ。『猫の手も借りろ』って言うだろ」
「犬じゃない」
「どちらでもいい」
「お金はどうするの?ケン持っているの?」
どちらもお金など持っているはずもなく黙っていると、二人の会話を聞いていたリンリンが嬉しそうに話しかけた。
「すごいじゃない、名案だわ。幽霊を手下にするのよ。お金なんて適当に作ればいいわ。それよりも、もっと手下を増やすにはどうしたらいいかしら。どこからかできそうな奴を引っ張ってこなければね」
リンリンの見かけとは違う荒っぽさにギャップを感じながらも、自分の案が通ったことと、レイ救出に一歩近づいたかもしれないという喜びを感じていた。そこからのリンリン行動は早く、幽霊たちに片端から声をかけていった。リンリンは鏡やガラスに写らないと声が出せないので、鏡の前まで幽霊を連れてくるのはマナの役目だった。
「あなた欲しいものはあるの?お母さんに会いたい?それは無理ね」
「あなたは何が欲しい?バイクに乗りたい?それも無理ね」
「あなたは何が欲しいの?人間になりたい?それも無理ね」
「あなたは何が欲しいの?奥さんの手料理?それも無理ね」
「あなたは何が欲しいの?アイスクリーム?今すぐは無理ね」
殆どが叶えられない願いを持っていた。心残りがあるからここに残っている訳で、ある意味当然の結果だが、リンリンは怒っていた。
「ダメね、使えないわ。こうなったらまずはお金をあげて、太ったおばさんに皆を集めてもらいましょう。ケン、あなたはロンロンと幽霊の願いを聞いて」
リンリンはそう言うと、マナにキャビネットを開け、中のカップやら古びた本、埃だらけの花瓶などを鏡の前まで運ばせた。
「マナ、ごめんなさいね。私は鏡の中でしか手を使えないから、運べないの」
リンリンは甲高い声でマナの後ろ姿に声をかけた。できるだけホコリを吸わないように口を閉じているので、マナは首を縦に降るだけだった。
マナを待つ間リンリンは鏡に写った自分の姿に見とれているようで、髪の毛を直したり、十本全てについている豪華な指輪の位置を調整したりしていた。リンリンの身につけているアクセサリーの中でも、ひときわ豪華なのは首にかけられた蛇の形をしたダイヤモンドのネックレスだ。一体どれほどの価値があるのかとマナの興味は、ネックレスに注がれていた。




