体と心と感情
バツの悪そうな王様は、一つ大きな先払いをしてケンとマナを見た。二人はそれ以上笑うことは失礼と感じ、授業中にふざけていて先生に睨まれた生徒のように冷静な顔を取り戻すと、王様は満足して話を続けた。
「ではリュウはトンネルを通って『希望の場所』へ行ったという訳か。ケン、彼はどこを目指していたのかね?」
「ヒロを探しに行くと言っていました」
「彼はこの国にいるのかね?」
「わかりません。ターボの意識というか、彼らしき雰囲気のものは見たのですが、はっきりと、その何ていうか、人として歩いているのを見たわけではありません」
「なるほど、では本来のヒロはどこにいるかわからない、という訳か」
「なぜヒロは姿を現さないのでしょうか」
「もしかするとヒロ自身はまだこちらに来ていないのかもしれない」
「どういうことですか?」
「君が見た通り、城の裏庭は疲れた人々が少し休むスペースになっている。美術館との違いは、美術館が意識だけで来ているのに対し、裏庭には体ごと来ているという違いだ。体ごと、といっても実際の体は君たちの世界にいる。要は眠っている状態だ。美術館の意識たちも、実際の世界では眠っているが、起こせば直ぐに意識は戻る。しかし裏庭の連中は、自分たちが自分の体に戻ってから起きる。戻るまで、何があっても起きない、ということだ。ヒロが眠ったままというのは、体ごとこちらに来ているのだろう。そしてターボはそのまま実際の体もこっちに来ている、ということだ」
「王様、私にはよくわかりません」
マナが躊躇なく訪ねてくれたので、ケンは内心ほっとした。『わかるかね?』と聞かれると、きっと『はい』と答えると思うが、説明してみろと言われると、何が何だかわからない。マナのようにはっきりと『わからない』というには少し勇気が必要だったのだ。
「よく言ってくれた、マナ。説明というものは、相手が理解して初めて成り立つ。我々はチームだ。お互いの理解を共通なものにしておく必要がある。ワシにとっては当たり前のことが、君たちにとっては理解不能なように、君たちにとって当たり前のことが、ワシにとっては理解が難しいことがある。もちろん、年のせいもあるだろうが、その時は根気よく説明してくれ。年寄りをいたわりながら」
王様はそう言うと、大声で笑った。
チーム第一の掟は『相手が理解するまで、説明する』、まずはこの掟をクリアにするために、王様は大小二つのコップ、そして首にかけていたネックレスを取り出した。そして大きなコップの中に小さなコップを入れ、その中に、ネックレスを入れると、説明を始めた。
「君たちは普段、大きなコップの体の中に、ネックレスの意識、心と共に生きている。夢の中でこちらへ来て美術館で遊ぶとき、ネックレスだけがこちらに来ているこれは理解できるかな?」
二人が頷くのを確認して、王様は続けた。
「小さなコップはネックレスを送り出して、迎えに行く役目をしている。優しいお母さんのように、ネイチャー・キャッスルの入り口、つまり美術館の横の大きな池まで送り、出口の小さな池まで迎えに来ている。そうして君たちはここで思い思いの姿で遊び、また元の世界に帰っていくのだ。小さなコップは君たちの体ある大きなコップと、心であるネックレスの両方とつながっている感情だと思ってくれればいい。だから目を覚まして動くときには、瞬時にこちらへ帰ってくることができる」
王様はそう言って、ネックレス入の小さなコップを大きなコップへ入れ、動かしてみせた。目の前で行われる実験はとてもわかりやすかったが、果たしてこれが本当に自分の体の中で起こっていることなのか、実感はなかった。ネックレスで表現される心とは、体のどこにあるのか、無意識に体を摩ってみたが、わかるはずもなかった。
王様の話は続いた。
「だが、問題は小さなコップが大きなコップと切れた時に起こる。これはネックレスが大きなコップに戻りたくない、と強烈なメッセージを送った時に起こるのだ。そうすると小さなコップはネックレスを捕まえたまま、大きなコップに戻れなくなる。ネックレスはどんどん大きなコップから離れようとし、小さなコップはそれを追いかける。そして大きなコップは、小さなコップがネックレスとともに帰ってくるのを待つしかない、というわけだ。ヒロは今、この状態にあると思う」
「その状態が続くとどうなるのですか?」
「もちろん、一時的に離れただけで、すぐに戻ってくる場合もある。ネックレスは好奇心が強いが、大きなコップを忘れることはない。しかし大きなコップに戻りたくない、という気持ちが強くなれば、困ったことになる。大きなコップをこちらに連れこようとするのだ。
つまり体ごとこやって来て帰らない、ということだ。城の裏庭に着くバス停を見ただろう。彼らはこちらに来るが、それでも大多数はまたバスに乗って帰っていったものだ。帰らないものが残り、公園は溢れ、至るところで放浪している。ユウはその原因を探ろうとして、君たちの住む世界へ行き、行方不明となったのだ。ターボは今やこの状態になっている。不思議なことにターボやヒロの状態になっている人が、ここ何ヶ月で急増している点だ。普段は小さなコップが長期間、離れることはそう多くない。人はそれだけ自分で自分をケアする力が強いのだ。その力を何者かが奪っているような気がする」
王様はここ最近のネイチャー・キャッスルの異常事態を重く受け止めているようだった。ケンは姿を見せなくなった友人を慮り、その原因を探ってきたが、それがこの異常事態とつながっているとしたら、個人的な問題ではなかったのかもしれない。自分たちがヒロの悩みに気付かなかったことが原因ではなかったとしたら、少しばかり自分たちの罪が軽くなるような気がした。そしてあれほど心配していたリュウにも伝えてあげなければ、と思ったが、なぜヒロだけがこのような状態になり、自分たちはそうでないのかの違いが説明できず、消化不良のまま、言葉を出せずにいた。
「ではその人たちが、ずっとここに残った場合はどうなるのですか?」
ケンは恐る恐る聞いてみた。ここに来た人がどうなったのかもそうだが、万が一、自分たちが元の世界に帰れなくなった時、どうなってしまうのかの方が、圧倒的に関心があったのだ。
「ここに来た人々は、それぞれに好きなことをしたり、街の中で生活したりする。街にはネイチャー・キャッスルの住民がいるが、彼らが受け入れてくれるのだ。そして家族同様に生活をしたり、仕事をしたりして、時を過ごす。そしてタイミングを見計らって、元の世界へ帰るように促すのだ。人は元々、意識と感情と体が一体になっている状態が快適なのだ。
その感覚を取り戻したら、バス停まで送り、元の世界に帰らせる。次は意識だけでおいでね、と付け加えてね。それでも帰らない人は、体に異変が起こる。君たちの体は意識と感情が一体になっていないと、うまく機能しないのだよ。そして段々と体が失われてゆき、彷徨ようことになる。行き着く先は、幽霊屋敷だ。あそこには体を失った意識と感情の塊が暮らしていて、常に体を欲しがっているのだ。彼らは体さえ取り戻すことができれば、また元の世界に戻ったり、街で暮らせたりできると思っているからね。そんなことは決してできないのに」
『体を欲しがる』、『体が消える』・・その言葉にケンは背筋が凍る感覚がした。自分のことよりも、幽霊屋敷で別れたレイのことを思い出したのだ。あの時、間違いなく幽霊に連れて行かれた、だとしたら彼らの狙いはレイの体だ。連れて行かれた時のレイの表情が頭に浮かぶ。不思議と笑っていたような気がするが、そんなことはないはずだ。きっとあまりの恐ろしさに、なす術もなく、自分を蔑んだのだろう。 自分も一瞬のことで、記憶も定かではない。あと少し伸ばせば手が届いたはずなのに、なぜもっとレイに近寄らなかったのだろう、と自分を責める。今まではマナを助けるのと、洪水から逃れることで精一杯だったが、早く彼を探さなければならない。
「体を狙われたら、どうなるのですか?」
ケンは恐る恐る聞いてみた。王様の難しい顔が良くない結果を予想させる。
「それが、わからないのだ」
「わからない?」
「ああ。レイが君たちのように、しっかりとした心をもっていれば、他の者が乱入しても追い返すことはできるだろう。しかし彼らはある意味濁っている。レイが彼らの濁りに耐えられずに自分から逃げ出したなら、誰かが中に入るだろう。つまり体はレイだが、中身は違う、ということだ。しかし彼らの実態はよくわかっていない。
姿を見せず、研究もできていない。彼らが本当に体を乗っ取ることができるのか、乗っ取られた体はどうなるのかは、ユウが長い間、調査をしていたのだ。ユウが姿を消してからは、ビッキーが屋敷を調査している。もしかしたらユウがそこにいないとも限らないからね」
ケンは幽霊屋敷でビッキーに出会ったことを思い出した。その時はまさかレイがさらわれると思っていなかたので、素っ気ない態度を取ってしまったが、今となっては手伝ってもらうしかない。怖いもの知らずの状態で足を踏み入れ、本心は二度と近づきたくない場所だが、そんなことは言っていられない。
ふとマナと目が合い、ケンはとっさに逸らしてしまった。流石にマナを連れて行く訳にはいかないだろう。姿も見えない、何をされるかわからない、下手すると自分たちもどこかへ連れて行かれるかもしれないのだ。
「私、レイを探しに一緒に行くからね」
マナがケンの心の中を見透かしたかのように、きつい口調で言った。
「ダメだよ、危ないからここにいたほうがいい」
「何言っているのよ。あんた一人ではミイラ取りがミイラになるわよ」
「そんなことはない。ビッキーに来てもらうから、大丈夫だ」
こんな時、マナは絶対に引かないことはよく知っている。マナは一人で地図を写し始め、出発の準備を始めたが、どう考えても危険すぎる。マナを止めてもらうつもりでアンを見つめると、彼女の返答は意外なものだった。
「マナの言う通りですが、とにかく念入りに準備をしてからにしましょう。レイが心配なのはわかりますが、彼らがレイを攻撃することはありません。彼らにはその力がない」
「なぜそう言い切れるのですか?」
「勘です」
「そんないい加減な!」
「いい加減ではありません。今までも何人かがあのエリアに迷い込みましたが、全員、無事に帰ってきました。考えても見てください、彼らは元々、自分の体があったのです。失礼ながら、その体とのバランスが取れなかった方々が、第三者の体を操れるでしょうか。彼らは新しい体さえあれば、元の状態に戻れると勘違いをしているのです。いつもそう、問題は自分たちの外側にあると思っている。自分の内側の心をないがしろにした方など、いくら集まっても烏合の衆、恐れるに足りません」
いつになく厳しい口調のアンは、目の前のケンとマナに話すと言うよりは、どこか遠くを見ているようだった。アンの言うことも一理あるが、やはり気になってしまう。アンは一呼吸置いたあと、こう付け加えた。
「最悪、体が乗っ取られたとしましょう。しかし、それでレイの心まで奪われるということではありません。体のどこかで眠った状態ではありますが、潜んでいるはずです。その状態では体の整合が取れず、フラフラしているので逆に見つけやすくなります。彼らが一番にやりたいことは、あのエリアから出て普通に歩くことですから」
アンは地図のある部分を示した。
「ここに病院があります。病院には体と心のバランスが取れなかったり、心が散歩に出かけたままだったり、何人も心が入ったままで生活しづらい人が入院をしています。私がまずそこを調べてみましょう」
アンの矢継ぎ早な説明にケンの理解は十分ではなかったが、きちんと理解する時間もなく、また詳しい説明を求める雰囲気でもな、黙っていると、マナが口を開いた。
「何人もの心が同居するなんて、信じられません」
「信じられないかもしれないけど、そういう状況にある人がいるのは事実なの。ねえ、王様」
アンは意味深な、それでいて呆れたような目をして王様を見た。王様は返事をすることもなく、歴代王様の額縁を、真剣な顔で見つめていた。




