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図書館へ

 天窓をくぐり、やっと洞窟から脱出できた!と思った瞬間、今度は体が急降下を始めた。

「お兄ちゃん、手を離しちゃダメ」

 エリカが叫んだので、ケンは離しかけていた手を慌てて繋ぎ直した。右手はチロから離していたが、 まるでエレベーターに乗っているかのように、ゆっくりと浮いた体を降下させていた。体は重力に逆らえずにいたが、名無しの女性を抱えたエリカは何故か浮いている。そのおかげでケンも落ちずに済んでいるが、もしこの手を離したらと思うとゾッとする。徐々に降下する中で恐る恐る下を覗くと、本棚が並び、床が水で溢れている。もしかしたらマナのいる図書館ではなかろうか。

 床に近づくにつれて、部屋の様子がはっきりと見える。大きな絵があり、少し離れた場所に大きなテーブル。そしてその横に二人の姿が見える。

「マナ!」

 大声で呼ぶと、二人が振り返った。マナとAだ。

「ケン!」

 マナが立ち上がって、嬉しそうな顔で大きく手を振った。ゆっくりと床に近づき、足が水で濡れた時に、床に着いたのを確信した。水は膝下まで溜まっており、それがフロア全体浸かっているから、かなりの量だ。本は水を吸い込み、膨れ上がっていた。一見すると年代物の本や、貴重な資料のようだが、確認するわけにもいかない。何箇所かの本棚の下段は、本が高い場所に置いてあったので、きっとマナとアンが移動させたのだろう。しかし本と水があまりに多かったので、途中でやめざるを得なかったことも伺えた。

「ケン、どうやってここへ?」

「どうやって、と言われても困る。僕にもわからない」

 友人を前にしながら、何も説明できないことを恥ずかしく感じたが、それでもここへたどり着けたことにほっとした。

「あなたの仕業ね」

 アンがチロに向かって言ったが、チロはアンの顔を見ることもなく、水の中を泳ぎ回って何かを調べているようだ。その様子を見たアンはそれ以上声をかけることせず、女の子に近寄った。

「初めまして、私はアン。あなたのお名前は?」

「エリカよ。ねえここはどこ?ママはどこへ行ったの?」

「ママ?」

「そうよ、マはが誰かに連れて行かれてしまったの?」

 アンはケンに視線を向けた。どうやら説明をもとめているようだ。

「いや、僕も何が何やら」

 ケンは恥ずかしながらに答えるしかなかった。エリカの母親がどうなったかなんて知らないし、どうやって来たのかもわからない。わからないことばかりだ。よく考えたら、そもそもこの世界がわからないことだらけなのだから、自分が知らないとしても、それは恥ずかしいことではないのではないか。そう考えると、少しは気が晴れるが、それにしても女の子しか知らないとは、我ながら情けない。

「あなた方が来てくれたのはとても心強いとして、一体どうやってここから出ればいいのかしら」

 不意にアンはチロの名前を呼びながら、水の中を歩き始めた。再会を喜んでいる間に水は膝上の高さまで来ている。早く脱出しなければ、ここへ来た意味がない。ケンはひとまず、ドアへと向かった。

 ドアは当然、開かなかった。外から鍵がかけられているせいでもあるが、水圧のせいとドアが水を吸ったため、ドアはビクともしない。

「無理よ、私たちも何度もやってみたけれど、どうにもならなかったわ」

 マナが後ろから言った。

「マナたちがここにいることを他に知っている人はいるの?」

「さあ、わからないわ。アンが言うには、ここの図書館はずっと昔に使われていたもので、新しい図書館は別にあるそうよ。ここには古かったり、大きすぎて新しい図書館へ運べなかったものが残されていて、いわば倉庫のようなところだって言っていたわ。だから存在すら知らない人が多くて、知っている人は限られているそうよ」

「そうか」

 ケンは図書館をぐるりと見回した。確かに作りは古く、大きな銅像や絵画、見たことのないような奇妙な顔のお面など、図書館には置かれていないようなものも多くあった。本棚に残されている本はどれも古くて大きいのは、印刷ではなく手書きで書かれているからだそうだ。そんな貴重な本が水に使ってしまっては、インクが流れて読めなくなってしまう。それを避けるために、マナとアンは必死で本を移動していたのだろう。


 ケンはふと天井にも火の玉が浮いているのに気づいた。トンネルに入ってから、当たり前のようにそばにいて辺りを照らしてくれているものだから、気にならなくなっていた。マナの横にも、アンの横にもある。ケンたちが来た途端に、人の周りだけでな、宙に浮いているものもある。

「これはメモリといって、人や人の気配に反応して増えるみたいよ。人の気配が増えたから、私たち二人の時よりも明るくなったわね」

 マナはすぐそばで光っているメモリを指でつついてみた。マナのすぐ横のメモリは形が丸く、ランプのように見えるが、ケンの横にいるメモリは火のように形が安定しない。

「初めは私のそばのメモリもメラメラしていたのだけれど、だんだんと丸くなってきたの。慣れると丸くなるみたいよ、ペットみたいで可愛いわよね」

「人の気配に反応するなら、なぜ天井にメモリがいるのかな?」

 天井の絵を指差すと、何個かのメモリが絵の周りを照らしている。

「本当ね、なぜ天井にいるのかしら。それにしてもあの絵、最初に見た時と、どこかが違う気がする」

「違うって、何が?」

「何て言ったらいいのかわからないけれど、何かが違う気がするのよね」

ケンは天井をの絵を見つめた。額縁がなければ、子供たちがのぞき込んでいるのではないかと思うくらいのリアルさに、しばし見入っていると、マナが言った通り、どこか違和感を覚えた。子供たちの笑顔が、どことなく固く感じるのは気のせいに違いないが、上からのぞきこむ5人の子供の絵から目を離せないでいた。

「人数が違うかも」

 マナが指で子供を何度も数えていた。

「どういうこと?5人だろ?」

「4人だったような気がする、それに女の人もいたような気がするわ」

「マナの気のせいだよ。こんなに離れているから、見間違えたのだよ」

「そうかもしれないわね」

 マナと同時に自分にもそう言い聞かせたとき、 頭の中に名無しの女性の声が響いた。

「あの子たちは何かを伝えたがっている」

彼女はエリカの抱えたヘルメットの中にいるといい、その声はマナにも届いているようだ。姿のない声が聞こえても、マナはケンよりも驚いていないように見える。

 エリカがケンの手を握り、ケンにマナの手を握るよう言い、二人の手が握られたことを確認すると、エリカの体はふわりと浮き、二人を伴って天井へと向かった。

「どうなっているの?」

「僕にもわからない」

 驚く二人を他所目に、エリカはただ天井を見つめていた。よく見ると最初に出会った時のあどけない、不安げな表情とは違い、鋭い目をしている。まるで別人のようだ。その変化にマナも気づいたようだが、彼女の手が命綱となっている以上、何も言わずに従うことにした。



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