透明な女性
そういえばリュウは今どこにいるのだろう。リュウが走った方向に向かい、小高い丘と小さな小屋が見えたところで、チロが止まるよう合図をした。
「ここかい?小屋じゃないか」
ケンが不安そうにしていると、秘密基地近くにいるじいさんによく似た老婆が出てきた。
「じいさん、なぜここに?」
すぐに女性だと気づき、とっさに謝ったが、老婆は気にする様子もなく言った。
「あの小僧にもそんなことを言われたが、お前は誰だ?あの小僧の知り合いか?」
「あの小僧?」
「ああ、あの威勢のいいガキじゃ。なかなかの度胸だったぞ。今頃どうなっているかは知らないがな」
「もしかしてリュウのことを言っているの?僕くらいの男の子で、髪の短い、やせ型の男の子のこと?」
「ああ、そんな感じの奴だったな。ところでお前も行きたいところがあるのか?」
ケンは我に帰り、図書館へ行くことを思い出した。もしこの老婆の言う男の子がリュウだったとしたら・・・。別れた友の行き先を知っているかもしれない人を目の前にして、興奮するなという方が無理な話だ。
「行きたいところはあります。図書館へ行く道を教えてください。あと僕の友達がどこへ向かったかも」
老婆はあからさまに嫌そうな顔をして、舐めまわすような目で見たが、足元のチロに気づくとシワだらけの目を大きく開き、ケンの顔を覗き込んだ。
「ほほう。お前、なんて名前だ?」
「ケンです」
「チロを手懐けるとは大したものだ。言っておくが、図書館も友達がどこへ行ったかもワシにはわからん。ただ一つ言えるのは、お前の行きたいところへ案内をすることはできる」
「どういうことですか?」
「しつこい奴だな。お前の友達はグズグズ聞かずに、さっさと行ったぞ。行きたいところがあるならば、その方法を全部知るのではなく、まずは一歩を踏み出すことじゃ。どうする?行くのかいかないのか?」
婆さんは丘の下のトンネルを指差した。そこを通れば、いきたいところに行けるというなら、躊躇する必要はない。
「行きます。ここを通れば行けるのですね?」
「ああ、お前には必要ないと思うが、これを持っていけ。友達に渡して、お前に渡さないのは不公平だからな。チロ、いいだろう?」
婆さんはチロを見つめながら、ヘルメットとスコップを渡した。ケンは不審に思いながらも、ヘルメットをかぶり、スコップを手にした。鏡がないので、自分の姿を確認できないのが残念だったが、あまり格好の良くないことは容易に想像できる。何のために?と疑問に思うが、説明を求める時間もない。もし必要ないなら、どこかで脱ぎ捨てればいい、そう思い出発しようとしたとき、婆さんから紙を手渡された。ターボに奪われたのと同じだが、色は緑色だった。
「なぜこれを?」
「最後の砦じゃよ」
「よくわからないけど、ありがとう」
ケンはお礼を言うと、チロと共にトンネルの中に入っていった。出口はすぐ先に見えるが、そこは図書館ではなさそうだ。ではどこへつながるのか、不安に思いながら足に巻き付くチロをみると、彼はどことなく笑ったような表情で、先を見つめている。
リュウは一人でここを通ったのだろうか。ネイチャー・キャッスルの住人であるチロが一緒なので、勇気をもって前に進めるが、一人ではどうなっていただろうか。『行くしかない』と思えただろうか。誰かと一緒にいることで先に進めるなら、一人ではないことはどんなに心強いだろうか。早くみんなに会いたいと思う気持ちが強くなる。
トンネルの中はひんやりとしていた。どこにでもある小さなトンネルは、ケンが入ると頭の横で灯りがついた。小さな電球のような灯りは、火の玉のようにふわふわと浮かんでいるが熱くはない。恐る恐る手をかざしてみると、灯りは手をすり抜ける。まるで飛び回る虫のようだが、不快感はない。それどころか辺りを照らしてくれるので、大いに役立っている。
灯りを頼りに出口を目指して前に進むが、歩けば歩くほど、出口が遠くなる。いや、それどころか出口が遠くなるスピードの方が早い。一体どうなっているのか。だんだん不安になる。チロをちらりと見るが、彼はケンの足を離れ、トンネル内をうろうろとしている。ケンは不安から立ちすくんでしまった。
洞窟から流れ落ちる水滴が手に当たり、冷たい。当初は涼しいと感じていた洞窟も、長くいると寒く感じてきた。早く出たい、早く出なければと思うが、走ったためか足に痛みを感じ始めた。
「どこに行くの?」
辺りをウロウロしているチロは出口とは別方向を見つめており、その先にはうっすらと明かりが見える。ケンは近寄ってチロの視線の先を見た。
視線の先には人が集まっており、男性の話を聞いているようで、その人たちの顔の横にも灯りが点っている。
「あなたたちは悪くない、私が導いてあげよう。楽になりますよ」
男の力強い声に、話を聞いている人は一様に頷き、力なく笑っていた。マントを被ったその男がどこかへ消えると、手を挙げた人の灯りが消え、体が宙に浮き、姿を消した。一人、また一人と消えていく様を、チロは遠くから見ていた。一体彼らはどこへ消えたのか、本当の出口がそこにあるのではないか、そんなことを考えているとき、不安そうな顔で立ちすくむ一人の女の子の姿があった。そばにいる女の人の手を握っていたが、女の人は握っていた手を放して両手を上げると、宙に浮き、消えてしまった。
誰も女の子のことなど気に留める様子もなく、残った人も消えたり、別の方向へ走っていったりして、ついに一人きりになってしまった。ケンはとっさに泣き出しそうになった女の子のもとへと走り寄った。弟のトモと同じくらいの子を放っておくことができなかったのである。
「どうしたの?」
「ママがいなくなっちゃった」
エリカと名乗る女の子は泣きながらそう答えた。先を急がなければならないが、そうかと言って一人にしておく訳にも行かなければ、お母さんを探してあげる時間もない。ケンは助けを求めるようにチロを見つめたが、彼はエリカのことよりも、消えた人と跡に残された透明な動く物体が気になっているようだった。
それは見える、というよりは感じるものだった。目を凝らすとどうにか形が見えるが、触れると水のような感触がする。年配の女性のようで、穏やかだが悲しそうな表情が気にかかる。チロに尻尾でつつかれたり、触れられたりしても、嫌がる様子もない。
「こんにちは」
聞きなれない声がタツの頭の中で響いた。どこから聞こえるのかと辺りを見回すが、当然のことながら、誰もいない。チロが女性を何度も指すので、声の持ち主が彼女ということがわかった。
「あなたはまだ体から出ていないの?」
「体から出る?君は体から出ているの?」
「そう、気分転換になるって聞いて。すぐに戻れるし、嫌な気分が抜けて楽になるのよ」
「戻る?どうやって?」
「お城の向こうの病院に行けば、戻れるって聞いているわ」
足に巻き付いているチロの圧力が強くなるのを感じた。次第にチロは力を緩め、ケンの手の位置まで登ってきた。
「僕はケン。君の名は?」
「ないわ。自分を捨てたばかりだもの」
その女性ともっと話をしようとした時、遠くからカツーン、カツーンと足音が響いた。タツはとっさにエリカの手を引き、元いた場所へと移動したが、チロは洞窟の隙間に入り込み、様子を見ているようだった。
マントを被った人物は片手には灯りを、もう片手には長い杖を持ち、足元で何かを払い、腰につけた袋に何かを入れているようだったが、何かはわからない。いや、わからないと言うよりは何も入れていないように見える。というのも洞窟には何も転がっていないからだ。
ケンは早くこの場を離れたかったが、チロがマント姿の人物の近くにいるため、離れる訳には行かなかった。「チロ、早く戻って来い」と心の中で唱えながら、エリカと共にマントの人物を見つめていた。
次第に周辺が冷たくなっていくのを感じていた。人がいなくなったせいだろうか、それとも時々入り込む風のせいかはわからない。寒そうに見ていたエリカがくしゃみをすると、マントの人物の動きが止まった。
「誰だ?」
マントの人物は辺りを見回し、持っていた灯りを照らした。ケンはエリカの口を塞ぎ、息を潜めていたが、二人の横にある灯りが、相手に存在をアピールしているも同然だった。次第に心臓の鼓動が早くなる。どこへ逃げたらいいの?相手は誰だ?
一歩、二歩とこちらへ向かう人物の前にチロが洞窟の隙間からスルスルと出て行った。不意に足元に出てきたチロにマントの人物は目を大きく見開き、一瞬動きを止めた後、チロに向かって大きく一歩を踏み出した。




