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ヒロとターボ

 次の日もヒロは学校に来なかった。そろそろひょっこりと現れるのでは、と思っていた3人は、焦りにも似た気持ちだった。

「どうなっているんだよ」

リュウはいらいらした口調で消しゴムを黒板に投げると、勢い余って跳ね返り、最前列の机の上に落ちた。あまりの大きな声に、クラスメイトは遠くから見ているだけだったが、一人の女の子が消しゴムを拾って近づいてきた。

「何を大きな声を出しているのよ」

 クラスメイトのマナだった。明るくて運動神経のいいマナは、ケンたちが対等に付き合える数少ない女子だった。

「なんでもないよ」

リュウがぶっきらぼうに答えた。

「ねえ、ヒロが休んでいるからつまらないのでしょ。でもあいつ、ズル休みよ。だって夜に遊んでいるもの」

 マナの発言にケンは驚いた。

「そんなはずはないよ。あいつは家で寝ているもの」

「だって私のお母さんが見たって言っていたもの。それにね、誰かと一緒だったみたい。それがどうやらターボらしいの」

「何だって?」

 3人は声を揃えて言った。その大きな声にクラスの皆が注目したが、そんな事はどうでもよかった。マナは皆の注目を集めたことに、どこか自慢げに続けた。

「それにね、何日か前にも裏山であの二人を見たって子がいるのよ。あの二人ってそんなに仲が良かったの?あなたたちといつも一緒だと思っていたけれど」

 3人は顔を合わせたまま、何と答えていいかえわからずに、黙っていた。


 ヒロとターボは仲がいいとは思えなかった。それにターボは隣町に引っ越したと聞いていたから、引っ越した後も一緒に遊ぶことなんて有り得ない。秘密基地に誘った時以来、どこで接点があったのだろうか。

「なんだよ、あいつ。俺たちが行っても、起きもしなかったくせに、ターボとは会うのかよ」

リュウは怒ったように言った。ヒロとリュウは幼馴染で特に仲がいい。何かあれば、きっと一番に連絡をくれただろうと思うと、寂しさを感じたに違いなかった。


 放課後、3人は秘密基地を訪れた。途中でいつものようにじいさんとミキに出会った。

「こんにちは。はい、どうぞ」

ミキはキャンディを配りながら、にこやかに挨拶をした。

「あの、何日か前に僕たちくらいの子供二人を見かけませんでしたか。一人は僕たちといつも一緒にいた奴なんですが」

 珍しくリュウが話しかけた。リュウは知らない人に自分から話しかけることはない。特に女の人には。こんな珍しいこともあるものだと感心する傍ら、ヒロが心配なのが見て取れる。

「いいえ、見てないわよ」

ミキは答えた。じいさんはというと、3人と目を合わせることもなく、遠くの山々を見ていた。じいさんの表情に笑みはなく、3人がじいさんを見つめても、それに応えることもなく、どこか悲しそうだった。


 ミキはそんな婆さんを気にする様子もなく話しかけてきた。学校のこと、家のことなど、当たり障りのない話だったので、3人は適当に答え、先を急いだ。そんなどうでもいいことよりも、ヒロとターボの事を知りたかったのだ。それでもミキはしつこく後をついてきたので、3人は走って秘密基地へと急いだが、結局、ヒロとターボのことは何もわからなかった。

 

 いつの間にか、秘密基地までに小さな道が出来ていた。初めてケンとレイが来た時には、腰の高さまでも草が生い茂っていたのに、4人で毎日のように草を踏み潰したためにできた、彼らの作った道だった。この道をヒロ抜きで来るのはめったにないことで、少し変な気がした。ヒロは秘密基地が大好きで、いつも先頭を走り、一番はしゃいでいたからだ。ヒロはおもちゃやお菓子をいつも持ち込んでは、辺りに隠していた。その後片付けをするのはいつもケンとレイだったので、お陰で何をどこに埋めたのか、大体把握することができていた。


 秘密基地に着くと、3人はいつものように小屋に入った。何をするわけでもなく、しばらく座ったままキャンディーの包み紙を広げていた。今回は古ぼけたマンションのような建物の一部だった。

「初めて見る絵柄だ」

 ケンが紙を広げると、シワ一つない、新品の紙に早変わりする。ここまできれいなのだから、と捨てるのがもったいなく、大切に集めていたのだ。


ふとリュウが座っている近くに、以前見つけた『消えたい』の文字がまだ残っているのに気付いた。

「これだよ、変な字がかいてある」

ケンは指で示して、2人に見せた。リュウは興味なさそうに黙ったままだったが、レイは近寄ってじっくりと文字を見ながら言った。

「誰だよ、こんな落書きしたのは。他に誰かが来ているのかな」

「じいさんは誰も見てないって言っていたけど」

「でもマナが言っていたよね、ヒロとターボをこの辺りで見た人がいるって」

「さっきもじいさんに聞いたけど、誰も見ていないって言ってたじゃないか」

 ケンとレイは不思議に思い、お互いの顔を見つめた。すると今まで黙っていたリュウがふと言った。

「じいさんが嘘をついているのだよ。だってあのじいさん、何のために毎日あそこにいるのか、おかしいとは思わないか。あのミキって人もキャンディをくれるためだけにいるのではないと思うよ。何だか気味が悪い」

 リュウはぶっきらぼうに言った。今日は少し機嫌が悪いようで、態度もどこか荒々しく、小屋から出て池に向かって石を投げ始めた。


 池は大きくないので、思い切り投げると、向こう岸に届いてしまう。仕方がないので、水面を何段か跳ねるように投げ、何回か続けていると気持ちが落ち着き、投げるのに熱中してきた。するとある一投が順調に水面をはねたあと、宙を舞って池に落ちた。どうやら何かにぶつかったらしい。何かといっても魚に違いない、池にいるのは魚かアメンボに決まっている。アメンボなら石はすぐに沈んでしまっただろう。


 リュウは石を投げるのをやめて、池を観察した。確かに水中に動く物がいる。視線を向けると、こちらに近づいてきた。それはフナほどの大きさで、魚のようだった。ようだった、というのは体が透き通っているが、目とエラもあり、その動きは確かに魚だったからだ。

 魚は池につながっている小さな川へ向かった。川は山奥につながっており、先には草木が生い茂っているので、草木の手前で捕まえないと逃げてしまう。リュウはその珍しい魚と同じ方向へ向かった。


 水面から見た魚は、やはり透き通っており、体越しに水底も見えた。背骨は七色で体の淵は黒い。初めてみる魚だ。久しぶりに興奮したリュウは何とかして捕まえてやろうと、川の中に手を入れると、異変を察知した魚はスピードを上げ、奥へと逃げてしまった。

 諦めきれないリュウは草をかき分け進んだ。川沿いに進めばきっと、あの魚が見つかるはずだ。草の隙間から川に目をやり、魚を捉えようとした瞬間、水音と共に七色の光が目に映った。魚がはねたと判断したリュウは急いで光の見えた方へ近寄った。

 しかし魚は見当たらなかった。少し大きめの魚だ、きっと近くにいるに違いない、と顔を近づけ、注意深く川を見渡したが、それらしい姿を見つけることはできなかった。

「くそっ」

 悔しそうに川の水をかき混ぜ、立ち上がったリュウの目に飛び込んできたのは、一匹の犬だった。


 黒色の小さな犬は、濡れた毛を乾かすかのように体をブルブルと振った。そして草の根元を食べ始めた。リュウの心臓はドキンと大きく動き、呼吸も大きくなった。そう、リュウは犬が苦手だったのだ。逃げようとしたが、突然のことで体が動かない。


 リュウは心の中でつぶやいた。

 犬は俺に背を向けているので、静かに逃げれば大丈夫だ。いや、急に振り返って襲ってきたらどうする?襲うといっても小さな犬だ、きっと逃げられる。子犬か?いや小さな種類の成犬だな。種類は何だ?凶暴か?そうでないのか?草を食べているのに必死だから、今のうちに逃げるしかない。草?犬が草を食べるのか?いくら勉強が苦手な俺でも、それくらいはわかる。犬は草を食べない。でも食べている。あれは犬か?いやどう見ても犬だ。


 そんなことを考えているうちに、少し落ち着いてきたので、逃げる準備をしながらも、観察を続けた。

犬が一本、草の根元を噛むたびに、半径30センチほどの草が消える。それを繰り返すたびに土が現れ、平地になってゆく。まるで優秀な草刈機のようだ。犬が進めば、道ができる。それは不思議な光景だった。


 

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