使われない図書館
ここには本だけでなく、椅子や壺といった装飾品までおいてあり、ひんやりとした空気が漂う中、マナとアンの歩く音や話し声が遠くまで響いて反響する。その中でただ黙って座る巨大な仏像を見ると、どことなく心が落ち着かないが、アンはそんなマナの心中など気にするはずもなく、一目散に『歴史』のコーナーに行き、器の本や資料を集めていた。アンの表情があまりにも真剣なので、何を探しているかを聞きにくいほどだった。
仕方なくマナはネイチャー・キャッスルのことを調べるべく、『地理』のコーナーへと進んだ。手にした一冊の本には背表紙に『図解・宇宙一詳しいネイチャー・キャッスル』とあった。何をもって「宇宙一」なのかわからなかったが、イラストの色使いが綺麗だったので、気にしないことにした。
見開きには全体図が載っていた。一番初めに来たときに、受付でもらった地図とよく似ていたが、この本のほうが読みやすく、詳しい。
入口から真正面に見える大きな城が、今いる場所で、手前の小さな二つの池は『意識』の出入り口ということは知っている。その横にモダンな造りの美術館。美術館の後ろの砂場は像ができる場所。そこから城の間にある楕円形の湖が『バランサー』。ここで船に乗り、リュウが落ちた場所だ。お城の横にある施設は研究施設。この辺りで門番に出会い、引き返すこととなった。実際に行ったことのある場所だけに馴染みがある。マナは一つ一つの場所での出来事を思い出しながら、見入っていた。ほんの少し前の出来事のはずなのに、遠い昔に感じるのは、出来事の厚みがあるからだろうか。同じことを繰り返す日々では、時はあっという間に過ぎていく。日常とは全く違う場所で過去を振り返ることは、何か大きな気づきがあるかもしれないと感じていた。
城の周りは森で囲まれており、森の外れには公園があるようだ。『癒しの公園』と書かれた公園の前にはバス停とバスがある。その横に森を隔てて『迷いの森』と書かれているが、そこはスペースが確保してあるだけで、絵も説明もなかった。
マナはページをめくり、『癒しの公園』の説明を読んだ。
『癒しの公園』
・『遊びの池』や『美術館』だけでは物足りなくなった人がくる公園。美術館から来る場合とバスでくる場合がある。赤ちゃん~老人までの姿になれるが、他人の姿にはなれない。なりたい自分になって、希望がもてたらいつでも帰ることができる。中にはいつまでも帰ることができず、『迷いの森』へ移る人も一定数いる。この数を減らすことが、ナイチャー・キャッスルの存在意義といえる。
「どういうこと?『迷いの森』って何?」
マナは独り言と共に、ページを進めた。
『迷いの森』
・『癒しの公園』で自分のどんな姿にも希望が見いだせない人が来る森。もはや自分でいることを放棄した人が、体を捨て、意識だけの状態でやってくる。ここでは好きな姿になることはできるが、自分自身にはなれない。ここに来た人の殆どは、元の世界に戻ることはないと言われているが、誰も近寄らないので、実際の状態は不明。
「不明ってどういうことよ、『宇宙一』なんて嘘じゃない」
マナはページをめくり、『迷いの森』に関する記事を探したが、見つけることはできなかった。
「元の世界に戻れないのなら、彼らは何処へ行くのかしら」
不意に疑問に思い、城の高い場所から森を見たくなったので、図書館を出ようとしたが、ドアが開かない。押しても引いても、ドアはビクともしないので、アンにカギをもらいに行ったが返事はこうだった。
「カギなんてかかってないわよ」
「本当に開かないのよ」
マナの言い分にアンは本を閉じ、ドアへと向かい動かしてみたが、結果は同じだった。二人のあいだに嫌な空気が流れた。アンはドアを叩き、大声を上げるが、ドアの向こうに人のいる気配はない。
「どういうこと?ここは元々、カギなんてかかっていないのよ。ドアの向こうになにか置いてあるのかしら」
アンは平静を失い、ドアの前をウロウロするばかりだった。こんな時、マナはいつも以上に冷静になる。いや、冷静な振りをしてしまうのだ。
「他に出入り口はないの?」
「ないはずよ、ああどうしましょう」
アンがだんだんイライラしてきたので、マナはその場を離れた。イライラしている人には何を言っても無駄なことは知っているし、何とかイライラを解そうとしてしまう自分がいるからだ。
そもそもどうして皆、人前でイライラを出すのかマナには理解できなかった。自分の感情を顕にするのは、傍から見ても格好が悪いし、自分の弱点を見せているようで、あまりにも無防備だ。いつ、どんなふうに攻撃されるかわからない。常にクールでいることは、小さい頃から培ったマナの防御術でもあったのだ。
天井を見上げると、そこにもメモリがいる。高い場所まで自分たちを感知できるのかと思うと、見守られている、と言うよりは監視されている気分になった。
「見ていないで、ここから出る方法を教えてよ。リュウたちにも会えないじゃない」
マナは天井の絵に向かって言った。人に言うと角が立つが、絵ならその心配はない。普段から絵はマナにとって、言いたいことがなんでも言える、気兼ねない相手でもあった。火の影のためだったのだろうか、女の人の表情が曇ったように見えた。
「何よ、本当のことを言っただけでしょ」
マナはまた絵に向かって呟いた。絵が動いたとは思わないが、誰かに何かを言いたかったのだ。絵に文句を言うなんて、自分でも少々、馬鹿らしいとは思っていたが、この事態に少なからず動揺していた心を落ち着かせるには、この方法しか思いつかなかったのだ。すると天井から水が何滴か垂れてきた。岩にしみ込んだ水が落ちてきたのか、どこかに隙間でもあるのか。
「少し落ち着きましょうか」
自分よりも遥かに動揺していたアンが近寄りながら、持っていた本を見せた。人は感情が高ぶっている時には、反応が敏感になるものだ。普段なら気にならない言葉も妙に腹が立ったり、周りの人に感情をぶつけたりする。でも感情というものは長くは続かない。次第に疲れ、冷静になると、さっきまでの自分が恥ずかしくなり、安心のために人に声をかけたりする。マナはそのことがよくわかっていたから、感情的な人が苦手だ。自分はそうならないように気をつけているのに、相手は遠慮なくぶつけてくる。どうやらアンも落ち着いたらしい。
「幸いここは図書館だから、この図書館の構造などが載っている本があるかもしれないと思って」
アンは椅子に座り、古い本を読み始めだ。ここの住人であるという責任感もあり、彼女なりに何とかしようと思っているのだ。
「この本、誰かが読んだ形跡があるわね」
挟んであった栞を手にした。栞は経年のために黄ばんでいることもなく、最近のもののようだった。物好きな人もいるものだと思いながら、栞のさしてあったページを見ると、図書館の見取り図が載っていた。これこそアンとマナが欲しかった情報だ。二人はまだ何も見ないうちから、笑顔で手を取り合った。
アンの笑顔はこれまでの不安を取り除き、問題に向き合う力となった。人の反応で心が動くことが嫌だと思う自分もいるが、それでも相手の顔色を気にせずによくなったことで、素直に問題解決へと気持ちを向けることができた。
見取り図は鮮明に書かれており、本の配置、机の位置、カーペットの色などが細かく記載されている。ページを捲るとまた見取り図が出てきたが、机の配置が変わっていたり、カーテンの色が変わっていたりする。どうやら修理やインテリアを変更した際には、新しい見取り図を作り直して、載せることになっているらしい。
設立当初、王様の肖像画のある場所はエレベーターだったようだ。それが十年ほど前にエレベーターのドアを閉じ、その場所に肖像画をおいたらしい。二人は肖像画を動かそうとして額縁を持ち、手前に引っ張ったが、ドアにしっかりと固定されていてビクともしない。
「当然よね、このエレベーターは古くて危険だから、動かないようにしたのでしょう。さすがにこの肖像画を壊すことはできないわ」
「この肖像画はなぜここに置いてあるの?」
「もともとは広間に飾ってあったのだけれど、ちょっと困ったことが起きて」
「困ったこと?」
「王様の表情を見て」
アンが『美術全集』を開いたページには、王様の肖像画とよく似たものが載っていたが、よく見ると、その表情はまるで違うものだった。『美術全集』の王様は威厳はそのままだが、大きな口を開けて笑っており、手には花瓶ではなく、長い槍を立てている。
「長い年月の中で、少しずつ、表情が変わってきたの。元々の絵を知らない人は気づいていないと思うけど、私は幼い頃からここが遊び場だったから、知っているの。歴代の王様の誰かが気づいて、この絵をこの場所へ移してから、ここは図書館ではなく物置になってしまったのよ。新しかったり、人気があったりする本は王様の部屋があるフロアの一室に移され、ここには誰も必要としないものが持って来られるようになったの。いつも人がいないから、よくヨシやユウと遊んでいたわ。」
アンはため息をついた。マナは青い花瓶の部分に触れ、王様を見上げた。花瓶は本物のようにヒヤリと冷たく、眉間にシワを寄せ大きな眼でこちらを睨んでいる王様は、生きているような気がして、マナは視線をそらし、エレベーターを見た。
「このエレベーターはどこにつながっているの?」
「王様の部屋よ。陶器が並べてあった棚の後ろがエレベーターなの。もう使わないから、閉じてしまったのよ。この絵が来るまでエレベーターは、私たちのいい遊び場だったわ」
アンは悲しそうな目をして、また全集に目を移した。マナがヒロを探しているように、アンもまたユウを探している。いつも強気なアンだが、友を思う気持ちはマナと同じなのかと思うと、何とかここから脱出し、もう一度みんなに会いたいと思うのであった。
改めて部屋を見回した先にはスフィンクスに似た強大な像があった。手に二つのボールを持っているが、これは設立当初からあるようだ。他の殆どのものが、配置図に記載されており、その厳重に管理されていることが伺えるが、天井の絵については記載がない。
「ねえ、あの絵はいつ、誰が描いたのかしら」
マナは絵を見上げながら、アンに言った。絵はメモリに照らされ、優しく微笑んでいる。
「さあ、私も何度かここへ来たことがあるけれど、全く気付かなかったわ。どこにも説明がないわね、どういうことかしら」
マナは受付カウンターに鍵があったのを思い出し、手にしてみた。鍵はかなり古いのだろう、触ると錆が手についた。束を持ってドアに近づいたが、鍵穴はなく、相変わらずドアも開かない。
「一体、どこの鍵なのかしら」
マナは不機嫌そうに手についた錆を落としながら呟いたとき、足元が湿っていることに気が付いた。
どこからか水が漏れてきているのだ。




