王様の執務室
城ではマナとアンがレイを呼びかける傍ら脱出口を探すが、結果は芳しくなかった。図書館の出入り口は、中央にある大きな扉のみで窓はない。扉を入って中央まで行くと、右手に大きな肖像画があり、白髪の髭を長く伸ばした男性を賛美するような、立派な額縁が光っている。その他は規則正しく本棚が並べられ、人が一人通るのがやっとのスペースしかなく、入りきらない本がそこら辺りに溢れている。どう見ても手入れをされていないし、誰かが読んだ形跡もない。中には表紙が破れ、なんの本かもわからないものもある。図書館というよりは、本の倉庫だ。
何のためにここへ来たかというと、アンが調べ物をするためだ。城へ戻り、王様に面会すべく執務室を訪ねたが不在だったからだ。
王様というと王冠を乗せ、大きな椅子に座っているというイメージがあるが、ここでの王様というのはどちらかというと管理人のような感じだ。散歩がてらネイチャー・キャッスルの様子を見て回り、気の向くままに手入れをする。もちろん、お供なんていない。痩せた体に麦わら帽子、薄いグレーのシャツに短パンという姿だから、誰が見ても庭師にしか見えない。「昨日と同じが一番いい」が口癖なので、昨日と同じでない所があると、一目散に駆けつける。その特殊な感覚がネイチャー・キャッスルの王様と呼ばれる所以である。
「昨日と同じが一番いい」はずの彼が、何かを変える時は大変だ。どうでもいいことに悩み、考え、愚痴を言う。ちょっとでも助言しようものなら、普段の温厚な性格とは真逆の、凶暴なおじさんに変身する。 テーブルにあるコップやお皿を叩きつけたり、大声を上げたり、ひどい時には家具を壊したりする。他人に対しても「昨日と同じこと」とやっていなければ、物を投げつけたり、ひどい時には殴ったりする。そうしてひと暴れした後、すっきりしたのか、いつもの王様に戻り、「それやろう」とゴーサインを出す。
だから許可証がないと入れない、という「昨日と違うこと」をアンが知らないはずがないのだ。そんな不思議な気持ちと、万が一のための許可証を得るために、執務室に向かったのだ。執務室といっても、管理事務所のような質素な部屋だ。ここでやることなんて、ほとんどない。高い窓から一帯を眺め、おかしいな、と気づいたところへ出かけていくだけだ。だから王様がいないことなんて、日常茶飯事で、いることのほうが少ない。ごく当たり前の風景に、アンは少し安堵した。
ほら、いつもと変わらないではないか。いつもと同じ机、いつもと同じ椅子の位置、いつもと同じように並べられたコレクションの陶器・・・、いや違う。何かが違う。アンは並べられた陶器を一つ一つ、チェックし始めた。
「何か」が違う。その「何か」を感じ取る能力が、ネイチャー・キャッスルのスタッフとしては必要不可欠だとアンは考えていた。意識が発する波動のようなもので溢れている世界では、見えるものだけを信じていては、何の役にも立てない。王様は怒ると手がつけられなくなり、かなり面倒な存在だが、何かを察知する能力はずば抜けていた。最も能力がないのがヨシだ。いつも言われたことや、目に見える変化で右往左往しているから、ミスも多い。ユウが行方不明になったのも、ヨシが絡んでいたからに違いない、きっとヨシが何かしらのミスを犯したのだろうとアンは感じていた。
執務室には美術館が展示品のように整然と並べられている。3枚の皿、花瓶が1つ、そして蓋付の器が5つ。立て掛けられた土色の大きな皿は土で出来ているため、持ち上げるのが怖いくらいの重量感だ。中に小さな丸が三つ描かれており、その周りをさらに小さな丸で囲まれている。表面は砂でざらざらしているため、飛んできた砂がこびりついているのではないかと思うほどで、マナは皿の表面を指でつついてみたが、しがみついているように固く付いていた。ちょっとした意地悪のつもりで、一粒の砂を剥がそうとしてみたが、力をいれ過ぎて指を滑らせ、引っかき傷をつくってしまった。この皿は嫌な感じね、と花瓶に目をやると、これまた昔の土器を連想させる面持ちの花瓶だった。
形はいたって平凡なものだが、片方にだけ取手があり、注ぎ口のような出っ張りがある。これは花瓶というよりは、水差しなのかもしれない。
その横に並んだ器は、ビアグラスのように飲み口から徐々に細くなり、真ん中からは真っ直ぐに伸びている。ウエストから上部は土色、下部は茶色のツートンでウエスト部分は滑り止めの加工が施してあり、まるで女性が服を着ているようだ。その上に土色の蓋が、帽子のように置いてあり、おしゃれなカフェに出てくる部類の器だ。ふと見ると5つの器のうちの1つの蓋が開いていた。掃除をした時に、たまたま落としたのかもしれないし、蓋を開けて締め忘れただけなのかもしれない。アンは蓋を手に取り、角度を変え、どこかおかしなところがあるのではと観察をしたが、特に「何か」を感じた訳ではなかった。
消化不良のような不快感を伴い、険しい顔で見えない何かと戦うアンに近寄りにくかったので、マナは別の蓋を手にしてみた。ところが蓋は器にぴったりとくっついて、離れない。蓋を持つと、本体までが浮き上がったので、マナは慌てて器の底を手で抑えた。陶器には詳しくないが、価値がわからないということは、万が一壊した時には、何が起こるかわからない。途端に恐ろしくなり、そっと元の場所へと戻しておいた。
それからはすることも特にないので、執務屋の様子を観察するふりをしていた。アンが懸命に何かを探しているのに、自分だけがのんびりと寛ぐのもどうかと思ったのだ。アンがそんなことを気にすることは思わなかったが、それでも真剣な振りをすることがマナなりのセーフティネットだったのだ。
マナには人に合わせて「振り」をする自分に疲れることが多かった。ケンたちと一緒に行動するのも、男子だと気を使わずに済むからだ。女子が相手だと、遊ぶには楽しいのだが、好きでもない遊びに付き合ったり、聞きたくもない話に付き合ったりすることも多く、その時は楽しいのだが、別れてから異常に疲れている自分に気づくことが多い。
情報を集め、皆よりも有利なポジションに立ち、少しでも華やかなグループに入る事に魅力を感じなくなっていた。お互いにファッションをチェックし、流行っているからと、無理して服を買うのもバカらしく思い、一人で行動することが多くなっていた。そうするうちに、グループから徐々に孤立していったが、代わりに別の友人ができたのだ。若干の孤独を感じる数名が自然に集まったので、傍から見ればグループに見えるかもしれないが、実はただの寄せ集めだ。過度に干渉しない、適度な距離感がマナにはありがたかった。もしかすると異常な力を使っていたのは、自分だけだったのかもしれない。
しかし初対面の女子と行動するときには、以前のように合わせてしまう自分がいた。癖なのか、習慣なのか、もしかするとこれが本当の自分なのかわからない。ついやってしまうということは、何かトラウマでもあるのだろうか。




