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おじさんの教え

 ガサガサと草むらが動き、ケンはとっさに小屋へと身を潜めた。猛獣でもいたらどうしよう、という心配とは裏腹に、出てきたのは太った、人の良さそうなおじさんだった。

「やあ暑い、暑い」

 汗をハンカチで抑えながら、小屋の前を通り過ぎてゆく。その風貌からは、凶暴さや恐怖は感じられない。というよりは助けてくれそうな雰囲気もある。急用でもあるのだろうか、おじさんは少しでも先に進もうとしているが、大きなお腹が邪魔で走りにくそうだった。手にはカバンを持ち、流れる汗でズレそうになるメガネを気にしながら、小走りで走っている。ケンは申し訳ないと思いつつ、声をかけた。

「あの、すみません」

「何?」

「この辺りに小屋はありませんか?聞きたいことがあるのです」

「小屋?小屋ならここにくる少し前にあったよ」

 おじさんは足を止め、汗を拭きながら答えてくれた。

「本当ですか?」

「本当だよ、君に嘘をついても仕方がないだろう?」

 なるほど、確かのその通りだ。ケンはおじさんにお礼を言い、教えてもらった方角へと向かった。相変わらず辺りは暗く、見通しは悪かったが、おじさんが通ってきた道で、なおかつ小屋がこの先にあるというだけで、道のりは安全かつ希望のあるものへと変わった。少し前まで暗かった心が明るくなり、先へと進む足取りも軽くなった。状況が変わらないのに、情報があるだけでこうも心強くなるものかと、タツは自分でも驚いていた。

 暗闇にうっすらと屋根の形が見えてきた。意外と早く小屋が見つかったので、ケンの足取りも早くなり、心の中で改めておじさんにお礼を言った。いい人に出会えてよかった。今度こそ、城へ連れて行ってもらおう。連れて行ってくれる人なら誰でもいいや、と今からお願いとお礼の言葉を用意して、小屋へと向かった。


 小屋に着いたケンはまたも、大きなため息を付くことになった。確かに小屋はあったが、誰もいない。これでは何の意味もない。先程まで感謝していた気持ちは一瞬にして消え去り、ケンは数々の言葉でおじさんを罵倒した。

「この野郎、よくも騙したな。誰もいないじゃないか。いい人振っていたけれど、お前も僕ががっかりするのを想像して、喜んでいるのだろう。もし目の前にいたら、今すぐ殴りつけてやる」

 流石に口に出すには躊躇するこられの言葉を、頭の中でおじさんに投げつける。その作業は想像以上にケンを疲弊させた。

 人に感謝して喜ぶときは、思った以上のパワーを発揮するが、人を憎んで罵るときは、言いようのない黒い感情が出口を探して体中を巡り、活力を奪う。それはスポーツや掃除などと違い、途切れることがない。まるで黒い感情の底なし沼に足を取られ、動けば動くほど、沈んでゆくようだった。


 どこへ向かうべきか、方向も分からぬまま一歩踏み出した時に、足に違和感を覚えた。何かを踏んでいる。小さな小銭入れのようだ。開けてみると中にはラムネのようなものが入っている。ラムネは手の上で勝手に動いているように見えるので、ケンは入れ物を左右に降ってみた。

 それはスライムのように動くたびに形を変えながら、ゴソゴソと入れ物の中を小さく移動している。気味の悪いものを拾ったな、と足元に戻そうとした時、先ほどのおじさんが戻ってきた。

「この辺で小さな入れ物を見なかった?」

 探しているのは恐らくタツが手にしている小銭入れだろう。ケンは腹立たしさから、返事をしなかった。おじさんは困った様子で、地面を這いつくばっている。自分を騙したことなど、すっかり忘れているようだ。悪びれる様子もないこのおじさんに向かって、ケンはできるだけ感情を隠しながら言った。

「あの、小屋に人がいなかったのですが」

 おじさんは動きを止め、不思議そうな顔でケン見た。その態度にますます腹が立ったが、相手は自分よりも体の大きなおじさんだ、下手に絡まれても困るが、何か言わないと気がすまなかった。

「何のこと?」

「何のことって、おじさんが教えてくれた小屋には誰もいなかったのですよ」

「だって君は『小屋を教えてくれ』といったではないか。僕は小屋の場所を教えただけだよ」

 ケンは意外な答えに絶句した。確かに小屋を教えてくれといったが、それは小屋にいる人に会いたいためで、小屋自体には用はない。この太った人の回答は意味のないものだった。

「僕は城への行き方を知っている人を探していたのです。今までは小屋にいた人達が知っていたから、小屋にいる人は知っているのかと思ったので」

「それならそう言いなよ。誰も気味の本当の目的なんて知りっこないのだから。それよりも僕の小銭入れを知らないか?」

 そうダイレクトに聞かれたので、ケンは手に持っていた小銭入れを差し出した。心の中では『知らない』といって、おじさんが探しまわる姿を笑いながら見ていたかった。それがせめてもの報復になるだろうと考えていたのだ。

「これだよ。ありがとう、本当にありがとう」

 おじさんはケンの手を両手で握り、満面の笑顔でお礼を言った。そのあまりにも無邪気な笑顔に、ケンも笑顔になった。

「いえどういたしまして。ところでこれは何ですか?」

「これは食べると元気になるものだ。お礼に一つあげよう」

 おじさんは小銭入れの中から、ラムネを二つ取り出して、一つは自分の口に、もう一つはケンの手に置いた。ラムネはの手の中でゴソゴソと動いている。どう見ても昆虫にしか見えないが、おじさんはムシャムシャと口を動かせ、手を振ると、来た道を走っていった。


 あっという間に一人になったケンは、おじさんの言葉を頭の中で繰り返していた。確かにおじさんの言う通りだ、いつの間にか自分は『城へ行く』という目的から『小屋を探す』へと変わっていたのだ。そうやって小屋にフォーカスをしていた為に、頭の中が小屋でいっぱいになってしまっていた。あのおじさんはいとも簡単に目的を達成した、自分は何をやっているのだろう。おじさんに城の行き方を聞けばよかったのに。そしてまた一人になってしまった。


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