一人ぼっち
終始うつむいたままのケンに声をかけることもなく、じいじは船を進ませていた。ターボのお母さんも何かを考えていたようだが、意を決したような表情でケンに話しかけた。
「おばさんね、この船が岸に着いたら、行こうと思うところがあるの」
ケンは黙ったままだった。
「この先に『行きたいところに行けるトンネル』があるのよ。そこに行けばレイくんに会えるかもしれない」
レイの名前が出たので、ケンは少しだけ顔を上げ、ターボのお母さんを見た。
「トンネル?」
「そう、トンネル。何度か行ったことがあるのだけれど、そこに行くと本当に自分がそこに行きたいかを試されるのよ。この場所には戻れないのなくて、もしあの子がまだここにいたらどうなるのかしら、と考えると、いつも先に行けなくて戻ってきていたのよ。でも今度は戻らない。レイくんを探してくるわ」
ケンは顔を上げ、真剣な面持ちで話すターボの母親を見た。そのトンネルはリュウが行ったトンネルかもしれない。レイとリュウ、二人に関係するトンネルなら自分も行きたいと本来思うはずだが、周りから人がいなくなった事実を受け入れないために、心をフリーズさせていたので、全てがどうでも良くなっていた。
「ぼうず、いつまで乗っているつもりかな?」
じいじがケンに声をかけた時には、辺りは暗くなっていた。ネイチャー・キャッスルで夜を迎えることは初めてだったので、今までと風景が違うように見えた。
バランサーにはじいじの船しかなく、ここがベッドであれば間違いなく眠ってしまうほど、何も考えたくなかった。船にはじいじとの二人きりだった。
「お連れさんなら、一人で降りていったよ。お前さんは声をかけても反応がないから、仕方がなく船を動かしていたのだが、そろそろワシも帰りたくてね」
じいじは歯を見せて、シワだらけの顔で笑った。降りろと言われても、行き先も連れもいない。この状況でじいじとも別れたら、本当に一人になってしまう。ケンはさらに不安になり、どうしたらいいかも分からなかった。
「一人なのか?」
じいじの問いかけにケンは力なく頷いた。
「そうか、そうか。でも人は皆、本来は一人なのだぞ」
そんな哲学的なことをいきなり言われても困る。こんなところでいきなり一人になり、どうしたらいいかもわからない。ケンは黙ってじいさんを見た。
「何があったか知らないが、どんな時でも自分で判断し、行動しなければいけない。それは大人も子供も同じだ。助言はするが、最後に決めるのはお前だよ。ワシは帰りたいから、船を降りて欲しい」
今のケンにできることは、言われたままに船を降りることだけだった。でも降りた後どうしたらいいのか、どこに行けばいいのかがわからない。ケンはなんとかここにとどまる方法を考えながら、できるだけゆっくり船を降りる準備をした。
「船を降りるのが怖いかい?」
ケンは小さく首を縦に降った。
「でもお前さんの目的は、ここに居ることではないだろう?目的があれば、船を降りることなんて初めの一歩に過ぎない。でも目的を見失うと、次に起こることを不安に思い、一歩が出ないのだ。そうやって時間ばかりが過ぎていくのだよ。君には何かやるべきことがあるのではないかな?」
心の内を見抜かれた恥ずかしさと、自分の心を理解してくれている安心感の両方だったが、理解してくれる安心感が優って、ケンの目から涙が溢れ出した。
「僕はここに来たくて来た訳ではない。それなのに勝手に人を探せとか、友達がいるからとかなんとかしないと、とか思って言われたことをやっていたのに、一人になってしまった。友達がいたから楽しかったけれど、一人になったらこんな世界、楽しくもなんともない。早く元の世界にみんなで帰りたい」
「人は不思議なものでね、一人が二人になると二倍楽しくなる。悲しさは半分になっていいことばかりだ。でもそのために目的や責任感が半分どころかゼロのなってしまうこともある。相手がいるか頼ってしまったり、その人のせいにしたりするようになる。各々の目的と責任をはっきりしていないと、相手や環境のせいにして、自分らしくない生き方になってしまうよ。そんな生き方は、最後に後悔や恨みを生むことになる。その感情を持った意識がここにはたくさんある。もちろん、人は誰しも恨みや妬みはある。それをうまくコントロールするためにネイチャー・キャッスルはあるのだよ。大多数の意識は健全で、城の表口のエリアで遊んで戻ってゆく、でも健全でない意識が城の裏の公園やバランサーの向こうの澱んだエリアにいる。永遠に他人を基準にしていると、自分がかわいそうだよ。だって自分の意識は自分でケアしてあげないとね」
じいじの低くてゆっくりとした口調は、物語のようだった。ケンは泣いた顔を見られたくなくて、湖面に写る爺さんの顔を見ていた。前回はおじさんの顔をしていたが、暗いせいか別人に見える。じいじほど年寄りではなく、でもおじさんよりは偉く見える。でもそんなことを聞く余裕もなく、大きな深呼吸をして、じいじの顔をみた。
船はやがて岸に着き、じいじはロープで船を固定した。ケンはゆっくりとした足取りで湖岸に降り、バランサーを見渡した。光を失った湖は、灰色に統一され、小さく波打っている。そこへじいさんが小石を投げ入れると、波を描き、また消えていった。
「感情というものは、あの波のようなものだ。しばらくは形に現れるが、また消えてゆく。元々なかったかと言われると、確かにあった。でもいずれ消えてしまうものだから、波を中心に考えていると先に進めなくなる。大切なのは波とうまく付き合うことだ。また会おう」
じいじはそう言い残すと、暗闇の中へと消えゆき、ケンはついに一人になった。満点の星の下、孤独と不安で押しつぶされそうになりながら、湖岸に座り星を見ていた。




