レイが捕まった
ドアを開けて廊下を見渡すと、誰の姿も見えなかったので、3人は静かに廊下へと出た。エントランスまで辿り着くためには、ホールの前を通らなければならない。ホールのドアは閉じられているようだが、相手はドアや壁を必要としない。いつ飛び出てくるかわからない不安はあったが、先に進むしかない。
「そういえばホールの人たちは無視するようにとあの子に言われたわ。怖がるとついてくるからと」
ターボのお母さんの助言はありがたくも何ともなかった。相手にするはずがないが、先程も向こうがまとわりついてきたのだ。今までに感じたことのない、あの締め付けられるような感覚は、それが続いた後に何が起こるのか想像がつかず、不気味さが残っていた。相手の正体がわからないというのは、人をいたずらに不安にさせる。
この緊張から早く解放されたいために、ケンの足取りは早くなった。次第にパタパタと走る音が立ったが、今更スピードを緩める訳にもいかない。ケンが後ろを振り返る間隔も長くなり、ターボのお母さんとレイが遅れていることにも気付かなかった。
「ケン、待ってくれ!」
レイが大きな声を出した途端、周囲が暗くなるのがわかった。壁や階段、奥の部屋から人が出てきたのだ、いや人と言うよりは、人の姿をした意識の塊だ。
彼らを見たレイは、足が止まった。ケンは玄関まで辿り着いていたので、「早く来い!」と叫んだが、レイの足は動かない。レイの横を通り過ぎたターボのお母さんは、何とか玄関まで来ることができた。
「レイ!早くこっちへ!」
ケンは彼らが気づくよう、わざと大きな声を出した。こちらへ注意を引きつけている間に、レイを逃がしたかったのだ。しかし彼らはケンに注意を払うどころか、その声が全く届いていないかのようで、そのうちに何種類かの光がレイを取り囲み、宙を浮いた。
「レイ!レイ!」
ケンは力の限り大きな声で叫び、レイの元へと走ったが、レイはホールへと連れて行かれ、彼らの姿も消えた。それはあっという間の出来事だった。
ケンはホールへと後を追ったが、中には誰もいなかった。そして荒れ果てていた部屋は綺麗になっており、窓からは光が差し込んでいた。今までの出来事が夢のように感じるほど、静まり返っている。ただレイだけがいなくなった事を受け入れられず、呆然と立ち尽くすケンにターボのお母さんが声をかけた。
「とりあえずここを出ましょう。いつあの人たちが戻ってくるとも限らないから」
ケンは力なく首を振った。
「レイがこの近くにいるかもしれない。探さないと」
自分がレイを置いて走ったせいだ、自分の事だけを考えて走ったせいで、レイが捕まってしまった。これからマナのところに行こうとした矢先に、レイがいなくなるなんて。どうしてこんなことになってしまったのか、考えても出てくるはずのない答えを考えていた。
ターボのお母さんもケンにかける言葉が見つからず、自分を責めていた。自分が横を通り過ぎたとき、なぜ一緒に連れて行かなかったのか。子供の友達を見捨ててしまった、こんな自分だから息子が行方不明になってしまったのだろうか。周りの人を助けることもできず、自分は何のために存在しているのだろうか、と溢れ出る涙をこらえながら、ふと壁に付いたシミが目に付いた。
新品のように綺麗な壁についたシミは、ふと降りてきたクモのようにも見えた。シミは細胞分裂のように少しずつ、大きくなり始めた。目の錯覚かと思ったターボのお母さんは、壁に近づき様子を見ると、別の場所でも同じことが起こっている。やがて光は薄くなり、部屋が徐々に暗くなる。棚のガラスにはヒビが入り、テーブルクロスにも穴が空き始めた。元の薄汚れたホールに戻りつつあるのではないか、と感じたターボのお母さんは我に返った。そうだ、こんなところでメソメソしている場合ではない。これでケンと自分が彼らに捕まったら、元も子もない。逃げなければ!レイの二の舞は踏まない、ケンを守らなければ。
ターボのお母さんは駆け寄り、ケンの腕を掴んで走った。「痛い、離して」という言葉を気に留めず、全速力で屋敷から出た。そこから二人は黙って歩いた。行き先を改めて確認しているわけではないが、バランサーの方向に向かうしかなかったのだ。




