ビッキーの秘密部屋
「あの子の後を付けると、駅のロータリーに停まっていたバスに乗ったの。あんな緑色したバスは初めてだったけれど、多くの人が乗っていたのには驚いたわ。私もこっそり乗っていたらここへ着いたのよ」
ターボのお母さんが指差した先は、お城の裏側で、ケンたちがタクシーを降りたのとは反対の方向だった。
「バスを降りた後、この広場で好きなことをしていたわ。あの子は散歩をしたり、虫を捕まえたり。他の人もお酒を飲んだり、歌を歌ったり。私はそんなあの子を遠くから見ているだけで幸せだったわ。だって家ではつまらなさそうな顔をして、部屋に閉じこもっているから、あんな嬉しそうな顔を見たのは久しぶりだったのよ。そして気がつくと、朝ベッドで目が覚めるのよ。そして夜になるとまた出て行く、の繰り返し。そうしてここへ来ている人の顔を覚えていくうちに、バスに乗ってここへ来ているのに、広場に姿がない人がいることに気付いたの。あの子もだんだんと広場で座るばかりで、楽しそうに見えなくなった。そしてある日、広場を抜けて森の方へ歩いて行ったので、後を着けたけれど、ある門の前で門番に通してもらえなかった。あの子は通してもらえたのに。そして別の入口を探すうちに、ここへたどり着いたわけ」
「気がつくとベッドにいることはあるのですか?」
「時々ね。でもあの子の姿は家にはないの。だからすぐにここへ来て探してしまう」
「この部屋にはどうやって?」
「この屋敷の辺りを歩いていたら、ある男の人に出会って、この辺りは危ないから近づかないほうがいいって教えてくれた。でも息子を探していることを伝えると、自分が時々使う部屋なら安全だからってここを教えてくれたのよ」
「その人の名前は?」
「さあね、聞いていないわ。でも不思議な子だったわね。そこにある入れ物は、全部彼の持ち物よ」
ターボのお母さんはそう言うと、棚の入れ物を指差した。棚には無数の蓋付の入れ物が並べられており、細かい装飾が施されている。デスクにはコーヒーカップが飲みかけのまま何個も置いてある。
「いつも飲みかけのままにしているので、私が洗っているのよ」
ターボのお母さんは困った息子を世話する母親のような口調で、どことなく嬉しそうに言った。ケンとレイは顔を見合わせ、この部屋の持ち主が誰であるかを改めて確認した、ビッキーだ。
部屋の中は脱ぎっぱなしの衣服やバッグなど、彼の所有物らしき物が散乱している。ゴミも散らかり放題で、ターボのお母さんがゴミを見つけては拾っていた。壁には棚が取り付けられており、無数の入れ物が整然と並べられている。床の雑然さとは対照的だ。机の上にはカードが山積みになっていて、机に乗り切らないものは、床に並べられている。落ちているというよりは置いている、といった方が正しいようだ。
部屋の散らかり方よりも気になったのが、ソファやカーペット、いや部屋全体がホールにあったものとテイストが似ているが、こちらのほうが断然新しかった。その差はホールのものとは比べ物にならないくらいで、同じ時期に作られたとは思えない程だ。もしかしたらこの部屋だけが、後から作られたのだろうか。
ケンは机に置いてあったカードを一枚手にしてみた。カードには人の顔と名前、特徴が記載されていた。
『ジュディ、お金持ちに憧れる。人から人気があると思い込んでいる』
カードの顔は意地の悪そうな女性から、上品な顔立ちの男性へと変わった。そして次は小さな女の子へと変わり、また元の顔に戻った。
「あらこんにちは、私の名前はジュディ。幸せ過ぎて、困っているの」
「全くだ、世の中は俺のために動いている」
「早く大きくなりたいわ」
突然ジュディが話し始めたと思ったら、次は男の人、最後は女の子が話し始めた。その声を聞いたナベが近寄ってきて、カードを覗き込んだ。
「何のカード?」
「知らないよ、勝手に話しかけてくる」
「3人いるよ、これ全部ジュディ?」
「3人とも?でも別人だよ」
「でも全部『ジュディ』って書いてある」
「どういうこと?」
レイは持っていた例の瓶をかざしてみると、男の人も女の子も、ビン越しに見えたのは最初の意地の悪そうな女性のジュディだった。
「これはホールにいた人たちの仲間のカードではないかな?ということはグランのカードもあるということか。ケン、調べよう」
レイはそう言うと、カードを調べ始めた。ターボのお母さんにも男の子が写ったカードを探してもらい、一枚一枚、3人で調べた。
「あった!」
半信半疑で調べていたケンだったが、レイの言う通りに探すとグランの写ったカードがあった。正確に言うなら、太った目つきの悪い男の姿だった。『グラン、自己顕示欲があり、裏表がある。お金と権威が全て』と書かれたカードには、中年の男性と交互に幼いグランの姿が写し出された。
「グランの本当の姿がおじさんなら、この少年は何なのだろう?」
ケンはグランのカードを握り締めながら言った。
初めて会った時の可愛らしい、母親を求める姿が印象的だったので、どこをどう間違えたらあの姿になるのか、理解できなかった。そもそも二人がここへ来たのは、無邪気な少年の笑顔に惹かれたためであって、物色するような目つきのおじさんに付いてきたわけではない。ケンは騙された気持ちになった。
「本当になりたい姿なのではないかしら」
小さな声で答えたのはターボのお母さんだった。
「私もここへ来て、いろいろ不思議に思うことがあったの。そもそもどうしてあの子はここへ来たのか。きっと何かを求めてきたと思うの。広場で見た人たちは、大人であっても虫取りをしたり、中にはハイハイしたりしている人もいた。ひたすらパンを焼く人もいれば、裸になっている人もいたわ。見ている方が恥ずかしくて隠れていたけれど、今思うと、本当にやりたいことをやっていたのではないかしら。だからもしかしたら、なりたい姿を写しているかもしれない」
こんな嫌なおじさんが小さな子になりたい?有り得ないとケンは思ったが、言葉に出せなかった。じいじが言っていた『目に見えるものしか信じないのは愚かなことだ』という言葉を思い出したからだ。仮にグランが幼い姿になりたいというなら、すでになっているから願いはかなっているのではないだろうか。それでもまだここで何がやりたいのか、タツには分からなかった。
「このカードは全員、ここの住人って訳か。すごい量だな。この入れ物は何なのかな?」
レイは棚に目をやった。そういえば部品を集めて来いと言われていたが、それがこの装飾のように細かくて、綺麗な天然石のようなものであるならば、二人が探していた木の実は、役に立たないということになる。ケンとレイはポケットに入れていた木の実や花を、机に並べた。
カタカタと音が聞こえ、振り返ると、棚に並べてある入れ物の蓋が揺れている。中に何か入っているようだが、ケンは手にとろうかどうか躊躇した。もし奇妙な生き物や、得体の知れないものなら、対応できない。少し前に追いかけられた恐怖も混ざり、ターボのお母さんを見た。
「私も中身を知らないのよ。あの男の子が『触るな』というものだから。でも動くのを見るのは初めてよ」
「僕が開けてみよう」
レイはそう言うと、近くにあった椅子を持ってきて、入れ物に近づいた。レイが近づくと、小さな入れ物はさらにガタガタと揺れ、まるで沸騰したヤカンのようだった。
恐る恐る蓋を取ると、中から何かが飛び出したような気がしたが、何も見えなかった。空気のようなものが出て、入れ物は動きを止めた。中には何も入ってなく、レイが入れ物を逆さにしても何も出てこない。
拍子抜けしたが、部屋に静けさが戻ったことに安心し、ケンは再びソファに腰をかけ、これからどうすべきかを考えてみた。
「レイ、僕たちはなぜここに来たのだろう?」
「それはユウって人を探すのを手伝うためじゃないか」
「それは僕たちが望んで来た訳ではない。でもターボは自らここへ来た。なぜターボはここへ来たのだろう?ここは誰のための世界なのか?」
ケンはターボのお母さんを見ると、お母さんは悲しそうに言った。
「恥ずかしい話、親なのにわからないのよ。突然、学校に行かなくなって。家では元気にしていたのだけれど、そのうち夕方に出かけるようになって・・。あなたたちは何か知らない?一度、ゲームを買って欲しいと言われたのだけれど、ダメと言ったの。もし買っていたら、こんなことにはならなかったのかしら?」
「僕たちも全員がゲームを持っているわけではないから、わかりませんが、一度、秘密基地に誘ったときは嬉しそうでしたよ」
「秘密基地?初めて聞くわ」
「学校の裏山に池があるのです。そのそばに小屋があって、僕たちは放課後によく行っていて、ターボも一度だけ一緒に行きましたよ」
「知らなかったわ。本当に知らないことばかりね。でも家や学校が嫌だったのよね、きっと」
ターボのお母さんは自分を責めるように言った。その悲しげな声に、ケンはそれ以上、かける言葉が見つからなかった。
ふと、秘密基地に書かれていた『消えたい』の文字を思い出した。あれはターボが書いたとしたとしても、どうやったらこの世界につながるのかわからなかった。
「ヨシに連れてこられて、美術館の像を見て、ネイチャー・キャッスルに案内されて、説明もされたけれど、僕たちは何一つ、この世界を理解できていない。教わったことは本当なのか?そもそもユウって人はなぜいなくなったのだ?わからないことだらけだ」
頷きながら聞いていたレイは、地図を広げながら言った。
「ケンの言う通りだね。僕たちはまず、知ろうとしなければいけない。そして何をしたいのかをはっきりさせないと、感情だけで動いてしまう。やりたいことは何か、わかっていることは何か、そして誰を探せばいいのかをはっきりさせよう」
自分たちのいる場所、やりたいことをはっきりさせる、今まで考えたこともなかったことだが、そうすることが第一歩なのだということを感覚的に悟った。
「僕はみんなと帰りたい。リュウもどこかへ行ってしまったし、マナもお城へ行ったきりだ。ターボとヒロを探して一緒に帰る、これが僕のやりたいことだ」
「僕も基本的にはケンと同じだけれど、やりたいことがもう一つ。この世界を調べたい。不思議なことが多いからね」
レイの好奇心はどこにいても旺盛だ。地図を広げながら、気づいたこととを書き込んでいる横でケンは続けた。
「ヒロとターボを探すにしても、闇雲に歩いては無駄だと思う。まずは協力者が必要だ。誰を選ぶかで、結果が変わるよ」
「アンとヨシは?ユウを探せというなら、ターボも探してもらおう」
「ヒロを探すにはユウが必要と言っていたよね。なら先にユウを探せってことになる」
「本当にユウでないとヒロは探せないのかな?俺たちにユウを探させたいだけなのかも」
「どこにいるかもわからないし、顔も知らない人をどうやって探せというんだ?」
「だからビッキーを連れて行けって言っていた」
「そんな回りくどいことをしなければいけないの?そもそもなぜユウって人はいなくなったのだろう?」
「人がいなくなるのには必ず理由があるはずだよ。どうやら単にヒロとターボを探せばいいってことにはならないかもね」
ケンは大きく深呼吸をして、考えを整理した。何か難しいことを考えるときには、いつも深呼吸してから考えるようになったのは、母親の影響だ。大きく息を吸って、吐き出すときに嫌な感情や面倒なことが出ていくのをイメージするといい、と教わったのだ。ケンの母親はよく、深呼吸をしている。いつもそんなに嫌なことがあるのか、と聞いたときに『わざとたくさん息をすったら、出る息も大きくなるでしょ。余計なものを出した後で出てくることは大事なものだけよ』と答えた。それ以来、大げさにならない程度に深呼吸をするようにしている。
大事なものは何か、レイ、リュウ、ヒロ、ターボそしてマナ。この中ですぐに会えそうなのはマナだ。残りの人は居場所がわからない。とするならば最初に会うのはマナだ。マナはアンと一緒のはずだから、まずは合流してユウを探す方法を考えるのが良さそうだ。
「ケン、ビッキーはどうするの?」
「ビッキーは・・、後回しだよ」
ケンはどうもビッキーが信用ならなかった。風貌にしても、話し方にしても、はっきりしないことが多すぎる。この部屋だって何のためにあるのかもわからない。しかも幽霊のようなものが集まる屋敷に部屋があること自体、胡散臭い。とにかく、胡散臭いやつには近づかないのが一番だ。
3人は屋敷を抜け出し、ネイチャー・キャッスルにいるマナを迎えに行くことにした。無事に屋敷から出ることだけを考えていたので、机の上においた木の実や花が、一瞬にして枯れていることには誰も気づいていなかった。




