幽霊たちの狙い
グランは喜んで二人を案内するために階段を滑るように降り、エントランスを通って、ホールへと入っていった。ホールには重厚な扉が、入場者を選別するように立っていたが、グランは扉をするりと抜けていった。レイがドアノブをひねると、うめき声にも似た音と共に扉が開き、その先には先ほどと同じ光景が広がっていた。
ホールに入った途端、冷蔵庫を開けたのかと錯覚するほど、気温が低かった。薄暗いため幸か不幸か、様子がよく見えない。でもやはり状況把握ができないというのはいたずらに不安になる。ケンはレイから離れないように歩き、辺りを見回し、グランは二人を連れてきた喜びから、ホール内を走り回っている。 レイはポケットからバランサーの成分を入れた瓶を取り出すと、覗き込んだ。
「それをどうするつもりだ?早くここを出よう」
「まあ見てなよ」
レイは窓を眺めている少女に近づいた。窓に写っているのが、少女とは似ても似つかない白髪のおじさんであることに驚いた。一体どんなトリックかとケンが恐る恐る少女の横に立つと、窓にケンの顔が写った。
「レイ、この窓はどうなっているんだ?」
「おかしいのは窓ではなく、この子だよ。見てごらん」
瓶越しに見た姿は、少女ではなくおじさんだった。
「どういうこと?」
「なぜおじさんが写るのか考えていたら、これを持っていたことに気がついたのだ。そうするとどっちが本物かがわかると思ってね。バランサーでもじいじが若い姿で写っていただろ?」
「ということは、これを使えば本物の姿がわかるってことか」
レイは自慢げに頷くと、周辺を調査し始めた。相手の正体がわかったことで、どこか安心したケンは秘密のメガネを手に入れた気持ちになり、レイの後をついて回った。どことなくホールが明るくなったような気がした。
瓶越しに見ると、衣装ケースの男性は実は若い女性であり、掃除をしていたのは赤ちゃんだった。壇上の女性は同じ人物のようだが、着ているものはみすぼらしい服だった。また古ぼけたピアノも、瓶越しでは綺麗に見える。不思議なことに一度、本当の姿を見てしまうと、今まで奇妙に感じてきた彼らの動作も、余裕を持って見られるようになった。また汚いと感じていたホールの雰囲気も、少し明るく感じられた。目の前の現実は変わらないが、解釈を少し変えることで心の状態が変わるなんて、初めてのことだった。
レイは相変わらず観察を続けていた。瓶に写る姿と実際の姿の関係性を調べようとしているのだろうか。あらゆる方向に瓶を向けていた彼の手が一瞬止まった。
「何だって?」
驚きの表情を浮かべた先にはグランの姿があった。しかし瓶に写っていたのはグランとは似ても似つかない太った中年男性の姿だった。髪の毛は薄く、手入れの行き届いていない肌からはうっすらとヒゲが生えており、物色するような目でこちらを見ている。口元には笑があるが、気持ちのいい種類のものではなかった。
その男は愛想よくホールの人々に声をかけて回っているが、掃除の老人とぶつかった際は、怒鳴り散らしていた。瓶を通さずに見れば、掃除の老人がグランを泣かしているように見えるのに、実際は逆だ。壇上の女性には優しい口調で近づき、スキンシップを図っている。「寂しい」とつぶやいていた幼いグランの姿からは想像もできない。
あまりのギャップをグランの姿に見た二人は、一旦ホールを離れることにして、気づかれないようにドアへと向かった。鬼ごっこやかくれんぼとは違う、妙な緊張感に包まれて歩くドアまでの距離が、非常に遠く感じる。
「お兄ちゃん達、何処へ行くの?」
振り返るとグランがすぐ後ろから声をかけた。どこから着いてきていたのか、ケンは心臓が止まるほどで、顔を強ばらせながら黙っていると、ケンよりは対応がマシがと考えたのだろう、レイができるだけ丁寧に答えた。
「そろそろ帰ろうかと思ってね」
「どうして?」
「ここには友達はいないようだから」
「じゃあお部屋に案内するよ」
「いや、実はちょっと用事が出来て・・・」
レイの煮え切らない返事にグランはまじまじと顔を見つめてきた。あどけない顔で見つめる幼いグランが、実は腹黒そうな男かと思うと、一体何を信じればいいのか訳がわからなくなってきた。グランを見つめれば見つめる程、正反対の二人の人物の顔が重なり、どちらと話しているのか、わからなくなる。とにかく一度冷静になろう、ここから出よう、そう焦った気持ちがレイの言葉に出てしまった。
「とにかく、僕たちは帰るから!」
服の裾を掴んでいたレイの手を振り払うと、グランは驚いた顔で一瞬、泣きそうになったが、何かを悟ったのだろう、人を出し抜くような目つきに変わった。その表情は謝りかけたレイも冷や汗をかく程、気味の悪いものだった。
「そうか、お兄ちゃん達もいなくなるのだね。でもその体だけは、置いていってほしいな」
「体だけ?何を言っている?」
「言った通りだよ、その体を僕にちょうだい」
グランはそう言うと、レイの体にまとわりついた。
「離せ!」
懸命に振りほどこうとしたが、力が強いのだろう、グランは離れようとしなかった。危機を感じたケンもグランとヒロを引き離そうとするが、実体がないのでするりと通り抜けてしまう。にもかかわらず、レイの体を支配できるのはどういうことだろうか。
そのうちにホールにいた人々が何の騒ぎかと集まってきたが、誰一人、止めようとはしなかった。
「もしかして人間?」
「あいつ、独り占めするつもりか?」
「私だって欲しい」
「生き返れるチャンスだ」
人々の異様な視線は二人に向けられていた。彼らが一斉に近づいたとき、一瞬グランの注意が逸れ、レイの体が自由になった。
「逃げるぞ!」
ケンはレイの手を取り、走り出した。グランがすぐに気づき、人々が集団になって後から追ってくる。階段ではすぐに追いつかれるので、二人は長い廊下を全速力で走った。しかし相手は比にならない程速く、彼らのうちの一人がケンの体に巻き付いた。
拘束されるというよりは、小さな服を着せられたように体中が締め付けられる。どんどん強く締め付けられて苦しいが、頭だけは緩やかだった。その代わり、頭の中から何かが出そうな感覚がして、ケンは思わず片手で頭を抑えた。
頭から何かが出る・・・、そんな初めての感覚に怯えながらも、同時にどうなってもいいやという投げやりな感覚も出てきて、どちらが正しいのかを考えることすら、面倒になった。そしてその瞬間、ある部屋のドアが開き、中から人が出てきて二人を掴み、部屋へと投げ入れた。ドアが閉められると、グランたちが中へ入ってくることはなかった。
「大丈夫だった?危ないところだったわね。」
声をかけた人物を見て、二人は驚いた。ターボのお母さんとビッキーがそこにいたからだ。
「ターボのお母さん!」
同時に声をあげた二人を、ターボのお母さんは笑顔で答えた。
「あなたたちなぜここにいるの?」
「僕たちはちょっと訳があって。ターボのお母さんこそ、どうしてここにいるのですか?」
「私も訳があってここにいるのよ」
ここで出会った初めての大人の顔見知りに、二人はとてつもない安心感を得た。つい先程まで人の姿をしたものに追いかけられた恐怖から解放されたのも重なって、近くのソファに倒れ込むようにして、腰をかけた。しかしいつまた彼らが来るとは限らない。二人はドアがとても気になっていた。とはいえ、彼らはドアを使わなくても通り抜けられるので、無駄な心配とはわかってはいたが、見ない方が逆に恐怖心を覚えたからだ。そんな二人の様子を見て、ターボのお母さんが言った。
「大丈夫よ、この部屋は安全なようだから」
「どうしてそう言えるのですか?」
「私もここへ迷い込んだ時、あなたたちのように襲われて、ビッキーに助けてもらったの」
「ビッキーに?」
ケンは驚いてビッキーを見ると、彼は面倒くさそうな顔をして、部屋を出ていった。
「ビッキーは時々、様子を見に来てくれるのよ。すぐに帰ってしまうけれど、彼以外は誰も入ってこないから安全よ」
「おばさんはいつからここに居るのですか?」
レイが聞くと、ターボのお母さんは寂しそうな笑を浮かべながら言った。
「ほら、あなたたちも知っていると思うけれど、あの子の様子がおかしくなって学校へ行かなくなっちゃったでしょ。家でも様子がおかしくて、私も心配で落ち込んじゃって。でも夜な夜な出かけている様子があったからこっそり後をつけると、ここへ着いたのよ。でも結局あの子を見つけることは出来ていないの。あなたたちはどうしてここへいるの?」
「僕たちはここの世界の人に案内されてきました。この世界のユウっていう人が行方不明になったから探すのを手伝って欲しいということで。僕たちもヒロを探していたから、交換条件というかなんというか・・」
レイは途中で言葉を止めた。ヒロは探しながらも、ターボの心配をまるでしていなかったことに気づき、お母さんに申し訳なく思ったのだ。ターボのお母さんもレイの遠慮に気づいたのか、黙って笑っていたので、ケンが口を開いた。
「僕たちターボを見ましたよ」
「どこで?教えて頂戴」
ターボのお母さんは目を大きく見開いて、ケンに近寄った。自分たちがヒロを探すのとは違った迫力に、どれほどターボを心配しているかが伝わった。ということはヒロのお母さんもどれほど心配しているだろうか。そしてもしも自分たちが行方不明になったら、お母さんたちはきっと想像以上に悲しむに違いない。そう思うと、今までターボのことを気にしていなくて申し訳ない、もっと早く気にかけていたら、こんなことにはならなかったかもしれないと、後悔した。そして一刻も早く、ヒロとターボに出会わなければ、と強く思ったのだ。
「ターボに出会ったというよりは、ターボっぽい別の人、といった方が合っていると思います」
ケンはアンから教えてもらったネイチャー・キャッスルの役割、世界をできるだけわかりやすく伝えた。こんな話し、信じろという方が無理だし、現に自分たちも信じているわけではないので、伝わるとは思わなかった。でも目の前で起こる出来事や、現状を踏まえると、これが現実だと割り切ったほうが、前進できるとケンは思っていた。そしてもしかしたらターボのお母さんの方が、自分たちよりも詳しいかもしれないとも思っていた。
「信じるもなにも、私も実際にここにいるから、信じるわよ。とにかくあの子とヒロくんを見つけないとね」
「まずは情報を共有することから始めましょう。おばさんはどうやってここまで来たのですか?」
レイが地図を広げながら言った。ターボのお母さんは、大きなため息を一つ付き、寂しそうに笑いながら説明を始めた。




