トンネルでの出来事
リュウは目の前に見える出口を目指し、上機嫌で歩いていた。こんなに簡単に帰れるなら、もっと早く帰っておけばよかったと後悔も混ざっていたが、そんな気持ちもすぐに吹き飛んだ。なぜならば出口はすぐそこだったからだ。
しかしすぐに別の気持ちが湧いてきた。かれこれ20分は歩いているはずだが、出口近づかないのだ。いや、それよりも遠ざかっているような気もする。そんなばかなと走ってみるが、やはり出口は先ほどよりも、小さくなったようだ。後ろを振り返ると、光が見える。もしかすると逆を歩いていたのだろうか、いやそんなはずはない。入口には扉が付いていて、婆さんが閉めた音がしたからだ。もしかすると婆さんが再び、開けたのだろうか。トキは確かめるために、先程とは逆の方向へ走り出した。しかし走っても光に近づくことはできなかった。焦ったトキは左右に首を振ると、両脇にも光が見える。トンネル内に光は届くが、一向に出口にたどり着かない。
一体どうなっている?見るたびに出口が増えるが、近づくことができない。どこへ行き、どうすればここから出て、元の場所に帰れるのだろうか。
「おーい、誰かいないか?」
大声で何度も叫んでみたけれど、自分の声が響くだけで、返事はない。何度も試してみたが、結果は同じだった。暗闇から出られず、どこに行けばいいかも分からすに、リュウは次第にパニックになっていた。
「誰かいないか?」
と叫ぶ自分の声が、他人の声に聞こえた。誰かがどこかで見ていて、そのうちに自分を襲うのではないか、そんな不安に押しつぶされそうになっていた。
歩き、叫び疲れたリュウはその場にしゃがみこんだ。もうどうしたらいいかを考える余裕すらなく、方向感覚もなくなり、ついに倒れ込んでしまった。仰向けになって、天井を見上げながら、考えた。
ここがトンネルなんて、嘘じゃないか。なぜ教えてくれなかったのだ、ちくしょう。もう俺は誰とも会うことができないのだろうか。最後に会ったのが、あの婆さんなんて笑えない。そういえばあの婆さん、なぜ俺にヘルメットなんて被らせたのだろう。スコップまで持たせたが、土なんてどこにもないではないか。
リュウは四方八方に伸びたコンクリートのトンネルを見渡した。トンネルの先には光が見えるが、その光が徐々に上に見え始めた。ついにバランス感覚までおかしくなってしまったのか、それとも意識が朦朧としてきたのか、もうどちらでもいいやと光を見つめていた時に、婆さんからもらった紙のことを思い出した。
「そういえば通信がどうって言っていたな」
リュウはポケットから紙を取り出して、広げた。どう見てもただの紙にしか見えない。秘密基地に通っていたとき、ミキとじいさんからよくもらっていた。集めた紙でジクソーパズルのようにある絵ができるから、できるだけたくさん集めておけと言われ、4人で集めていた。
リュウは秘密基地を思い出していた。ケンとレイ、そしてヒロの4人でいつも遊んでいた。ヒロの様子がおかしくなってから、自分たちも不思議な世界へやってきて、そして今こんな暗闇にいる。何とかしてあの時の自分たちを取り戻したい、でもどうしたらいい?トンネルの向こう側に行けばヒロに会えるのに。
そうしているうちにトンネルの先にある光は増えていき、もうどの光を目指せばいいのか、わからなくなってきた。自分がどの方向を向いても、その先に出口がある。後戻りもできない。リュウは立ち上がって、背中についた土を払った。土は湿っていたのか、服に水がついてしまい苦々しく思ったとき、ふと気づいた。トンネルは洞窟だが、足元は土なのだ。
「地面を掘れということか?」
リュウはスコップを手にして、地面を掘ってみた。適度に水分を含んだ土はスコップとの相性がよく、サクサクと地面に穴を開けてゆく。リュウはその快感に、しばらく無心で穴を掘り続けた。そして自分の膝までが入るくらいの穴になったとき、ふと声が聞こえた。
「ボウズ、元気か?」
リュウは手を止め、辺りを見回したが誰も見えない。息を飲んで、もう一度声を聞こうとした。
「ワシじゃ、キヨじゃよ」
「キヨ婆さんか?どこにいる?」
「お前のポケットじゃ」
「ポケット?」
慌ててポケットに手をいれると、婆さんからもらった紙が入っていた。キヨのしわがれた声は紙の向こう側から聞こえてくる。
「婆さん、騙したな。暗闇ばかりで先に進めないではないか。どうしてくれるのだ」
「何を言うか。そこは確かにお前が望む場所につながるトンネルだ。本当に行きたいと望めばな」
「だからどうやったらここから出られるのか、それを教えてくれ」
「それはわからない」
「わからない?」
「それはお前が自分で見つけるのだ」
「どうやって?」
「それも自分で考えろ」
「ふざけるなよ」
「ふざけてはいない、お前は自分の望むところへ行きたいといった。そしてそこは間違いなくその場所へとつながっている。どうやって行くのか、それは大した問題ではない。ゴールが決まっていれば、道は開ける」
「道なんてどこにもないではないか!」
「その道ではない。方法のことだ。少し落ち着け」
落ち着いていられるか、とリュウは言い返しそうになったが、我慢した。とりあえず外とつながったことで状況は変わらないが、一筋の光が見えたような気がしたのだ。それがたとえキヨ婆さんであっても、自分が一人きりではない、妙な安心感が出てきた。リュウは大きく深呼吸しながら、紙から聞こえてくる婆さんの声を聞いていた。
「それにな、ワシは前からお前に話しかけていたのに、届いていなかったようだな。きっといろいろな不安に駆られていたのだろう。でも今、ワシの声が聞こえているということは、邪念が消えたのだろう。でも油断するな、邪念が増えると、本当に聞きたい声が聞こえなくなるからな。」
それきり婆さんの声は聞こえなくなった。婆さんの言っていることは、よくはわからなったが、自分が閉じ込められている訳ではなく、どこかに出口があると言う以上、見つけるしか他になかった。
穴の底には水が溜まっていた。どこかに水源があるのだろう。トキは自分の掘った穴を見て、ため息をついた。穴なんか掘って、自分は何をするつもりだったのか。ケンやレイと別れて、勝手にこんなところまで来てしまい、どこかもわからないところにいる。いつだって自分勝手で、思いつきで行動する、そもそも自分は本当にヒロの元に行きたかったのだろうか、ただ逃げたかっただけではないのだろか、そんな思いが穴底から染み出る水のように溢れ出し、不安に駆られていた。そんな時、光の向こうから声が聞こえてきた。
「君たちは悪くないよ。さあこちらへおいでよ、引き上げてあげよう」
光の入口はリュウの頭上の遥か遠いところにある。無数にあったトンネルの出口は、いつの間にか一つになり、遠くにある。入ったときは目と鼻の先だったのに。リュウはしばらく光を見上げていると、ふと誰もいないはずのトンネルに何やら気配を感じた。誰かが歩いている音もする。リュウは自分が掘った穴に入り、身をかがめて様子を見た。
歩いているのは男の人や女の人、子供もいて、みんな背中を丸め、力なく歩いている。声の方向に顔を向けると、男の人が宙に浮きいたまま人々に話しかけ、光の方へと吸い上げられていった。それを見た女の人も、同じように手を挙げると、吸い上げられて行った。
「さあ、皆さんもどうぞ。そんな暗いところからこちらへいらっしゃい。楽になりますよ」
上からの声に、何人もの人が上がっていった。どうしようかとざわめく人の中に、リュウの知った顔があった。ターボのお母さんだった。ターボのお母さんは光の方を見ながら、手を途中まで上げては、下ろしており、迷っているのが十分に分かった。そして近くの人に手を上げるよう勧められると、
「私はまだ息子を探していませんから!」
と叫んで、来た道を走って戻っていった。彼女が走り去った後、何人かも引き返し、残った人は全て光の方へと上がり、誰もいなくなった。
リュウはその様子を呆然と見ていた。自分も出て行って、手を上げれば外へ出られるのかもしれない。出て行くべきか、迷っていた。光の向こうには何があるのだろうか。出口があるなら、行くべきだ。いつまでもこんなところにいられない。外に出る最後のチャンスかもしれないのだ。
俺も行こう、そう思ったとき、頭の中から何かが外れた気がした。痛いわけではないが、皮一枚が剥がれる感覚だ。外れた何かは、外へ出ようとしたが、ヘルメットが邪魔をしているようだ。頭とヘルメットの間を、何かが動いている。その不思議な感覚に包まれ、リュウはもうどうなってもいいような気持ちになっていた。
ヒロもケンも、皆それぞれなんとかなるだろう。それよりもこんな環境や不安な気持ちから解放されたい、俺ばかりがこんな苦労することはないはずだ、少し休もう。そう思い、ヘルメットを外そうとしたが、外れない。結び目がきつく固定されており、簡単には外せないのだ。リュウはヘルメットを上下させた瞬間、間にあったものが、また頭の中に戻った感触を得た。
リュウは我に返った。自分は一体、何を考えていたのだろう。自分はヒロを救うためにここへ来たはずだ、それなのになぜ、どうでもいいと考えてしまったのだ。そしてターボのお母さんが叫んだ『まだ息子を探していない』という言葉を思い出した。
ということは、ターボもここへいるのだろうか。お母さんは一体どうやって、ここへ来たのだろう。そしてどこへ行ったのだろう。そう考えている間にも、頭の上では妙な感覚が続いていた。ヘルメットと頭の間に隙間を作ると、逃げてしまいたい考えが浮かんでしまう。隙間を埋めると、我に返る、それを何度か繰り返すうちに、リュウは婆さんがヘルメットを被らせた理由がわかった。
そうか、婆さんは俺を助けるためにこれを被らせたのだな。俺の中から、何かが抜け出ないために。でもこの『何か』の正体は何なのだろうか。そしてリュウには他にも引っかかるものがあった。宙に浮いた人の表情がなくなっていくのが気にかかった。立っていた時には不安だった表情が、上に上がるにつれて、どことなく無表情な気がしたのだ。そして上がった人からの声を聞くこともない。あそこは本当に出口なのだろうか?
リュウは片手をヘルメットに当て、頭との間に隙間を作らないようにしながら、しばらく様子を覗っていた。ターボのお母さんを始め、何人かはその場から立ち去り、残りの人は宙に浮いて何処かへ行ってしまい、誰もいなくなってしまった。
辺りは再び静かになったが、人々が去った後には何かが残っている。それが何なのかは、遠くからはわからなかったが、かすかに動いているところを見ると、生き物のように見える。近づいて確認をしようと思ったとき、遠くから足音が聞こえた。
カツーン、カツーンと響く足音は、だんだん近くなり、現れたのは黒いマントを被ったキヨ婆さんだった。リュウは穴から出、近づこうとしたところで、婆さんと目があった。婆さんはリュウをちらりと見ると、関心なさそうに持っていた網で生き物のようなものをすくい、袋に入れ始めた。あまりの冷たい目に、リュウはこれ以上声をかけることはできず、その様子をただ黙ってみていた。そして作業が終わると、そのまま何処かへ行ってしまった。
再び一人になったリュウはしばらく立ちすくんでいたが、何をするわけでもなく、穴へと戻った。穴を自分の居場所のように感じるのはおかしな話だが、唯一、自分で作った場所なので、不思議な安心感があったのだ。
穴を見下ろしたリュウは、水かさが増えているのに気づいた。一体どこから湧いてくるのだろうと手を浸してみると、水ではなく、綿の感触がした。バランサーに浮かんでいたホッピーと同じで、掬っても漏れることはなく、手のひらでふわふわと浮いている。小さな穴は次第にホッピーで一杯になり、溢れたホッピーはそのうち、水蒸気のように辺りを覆い始めた。そして成すすべもなく立ちすくんでいたリュウの前に、一匹のチロが現れた。
チロはバランサーで出会った時と同様、縦に浮かび、リュウを見つめていた。逃げ出したい気持ちでいっぱいだが、足が動かない。チロは尻尾をリュウの手に置き、まっすぐに立つと、リュウを見下ろした。冷たく湿った感触は、リュウを恐怖感でいっぱいにするのに十分だった。そんな事を知ってか知らずか、チロはトキの手に巻き付き、リュウの体を一旦浮かせると、穴へと飛び込んだ。声も出せず、抵抗もできないまま、リュウはチロと共に、穴へ入っていった。




