トンネルのキヨばあさん
リュウはトンネルに向かって走りながら考えていた。時々現れるヒロの姿は、きっと何かのトリックに違いない。すべて予め仕掛けてあって、俺たちを驚かそうとしているに違いない。もしかしたらヒロも仲間に加わって、俺たちを騙そうとしているのだ。家族まで巻き込んで。それか本当に病気で寝ているだけで、いい加減に起きるに違いない。
そんなことを考えながら、リュウはトンネルを探した。レイが地図にマークした場所は、この辺りのはずだ。トンネルなんてものは小さなものではないから、すぐに見つかるはずだと思っていたが、しばらく走っても見当たらない。場所を間違えたのだろうか、それならレイの地図を借りてくればよかった、と少し焦りながら辺りを見回すと、小高い丘に扉が張り付いているのが見えた。扉の横には小さな小屋があり、扉を見張っているようにも見える。リュウは近づき、小屋を覗くと、中には老婆がうたた寝をしながら、椅子に腰掛けていた。
「ばあさん、ちょっといいか」
リュウはぶっきらぼうに小屋の窓を叩き、老婆を起こした。老婆は突然の出来事に、慌てて目を開け、不機嫌そうにリュウを見つめた。
「何じゃ、ボウズ」
「ここはトンネルか?」
「ああそうじゃ」
「通してくれ」
そう言って、扉に手をかけようとした。老婆は小屋から出ると、慌ててリュウの手を扉から放してから言った。
「待て、ボウズ。ここが何のトンネルか知っているのか?」
「元の場所に帰れるトンネルだろ?」
「元の場所ね・・、間違いではないが。まあ慌てるな」
薄汚れた服を着て、裸足にサンダル姿。深くかぶった麦わら帽子からは白髪がいろんな方向を向いている。首には多くの鍵がぶら下がっており、骨の浮き上がった首を圧迫しているようにも見える。
老婆はニヤリと笑いながら鍵の一本を取り出し、鍵穴に差し込むと、鈍い音と共に扉が開いた。ドアの向こうには光が差し、ここがトンネルの入口には違いないようだが、向こう側の出口にはこちらと似た風景が広がっている。
「おい婆さん、これはただのトンネルじゃないか。俺は向こう側に行きたいのではない。帰りたいんだよ」
「帰ればいいではないか。いいかボウズ、このトンネルは自分が『本当に』帰りたい場所に帰れる。『本当』でなければ帰れない。お前自身も知らなかった『本当の』自分の気持ちが試されるだろう。それでも帰りたいか?」
「何を訳のわからないことを言ってるんだ。俺は帰ると言ったら、帰るんだよ。ここを通ればいいのか?」
リュウがあまりにもはっきりと、即座に答えたので、老婆はシワだらけの顔をさらにシワだらけにして笑った。
「呆れたやつだ。久々にお前のような生きのいいヤツが来た。それでは行くがいい、自分の気持ちに正直に。そうだこれを持っていけ」
老婆はそう言うと、小屋の中からシャベルを一本取り出した。
「何だよ、これ」
「これは今までにここを通った者が使ったスコップじゃ。何かの役に立つかもしれん、持っていけ。それからこのヘルメットは、ワシがトンネルを掃除する時に使っているものじゃ。着けていけ」
老婆はスコップとヘルメットを渡した。工事現場の人のような装備に、リュウは思わず口走った。
「格好悪いな」
「何が格好悪いじゃ、お前は今からトンネルに入るのだ。それに必要なのは格好のいい服でも帽子でもない。お前の役に立つもの、お前を守るものが必要なのだ。何のためにトンネルに入るのか、自分はどうしたいのかを忘れないこと。そうすればどんな時でも、道は開けるだろう」
老婆はトキにヘルメットを被らせ、あご紐を調節し始めた。ヘルメットは思ったほど重くなく、サイズもピッタリだった。老婆の嗄れた声がヘルメットの上を滑って耳に届くので、イヤホンをつけているような感覚で、老婆の話を聞いていた。そしてふと、誰かに似ているのに気づいた。
「婆さん、あんた誰かに似ていると思ったら、じいさんによく似ているな」
リュウの言葉に婆さんは手の動きを止め、睨むような目でリュウを見つめた。
「じいさん?誰だそれは?」
「俺たちの秘密基地に向かうときにいつも会うじいさんだ。あんたと違って、上品なじいさんだよ」
婆さんは調節の終わったヘルメットから手を放し、大きな息を一つ吐くと、地面に腰をかけた。顔は確かに似ているが、雰囲気や話し方、仕草や服装など、全てが正反対だった。
「そいつはワシによく似ているのか?」
「ああそっくりだ。でもじいさんはあんたと違って、のんびりと暮らしているさ。なんなら俺と一緒に会いに行くか?」
「いらぬ世話じゃ」
婆さんは不思議そうな顔で何かを聞きたそうだったが、リュウは気に止めることもなくスコップを肩に担ぎ、出発することにした。扉の前に立つと、すぐ先に出口が見えたので、こんなに短いトンネルならあっという間に通り抜けられるに違いない、老婆心からだろうけれど、こんな装備は必要なかったな、と思ったが、黙っていた。
「これを持っていけ」
婆さんはポケットから一枚の紙を取り出した。それはじいさんからもらっていた、キャンディの包み紙と同じものだった。
「何だよ、ごみじゃないか。いらないよ」
「これはゴミではない、通信機じゃ。自分が迷っている時には、いろいろな声が聞こえるが、本当に届けたいメッセージや、受け取りたいメッセージがあれば、聞こえるはずじゃ。これをもっていると雑音も聞こえてきて、逆に迷う奴もいるが、お前なら大丈夫かもしれん」
「そうか、よくわからないけれど、とりあえずおらっておくよ。そういえば婆さん、あんた何て名前なの?」
「名前?ワシの名前は・・・」
婆さんは驚いて声が詰まっているようだったので、リュウはからかうように言った。
「何だよ、忘れてしまったのか?」
「忘れてなどいない。ワシの名前はキヨじゃ」
「じゃあな、キヨ婆さん」
リュウはそう言い残し、自信満々で中へ入っていった。
キヨはその様子を後ろから眺めていたが、リュウの姿が入口からは見えなくなったのを確認すると、扉を閉め、鍵をかけながら呟いた。
「そういえば名前を聞かれたのは、初めてだな。とっさに言ってしまったが、我ながら芸のない名前にしたものだ。それにしてもなぜ皆、トンネルが短いと思う?なぜ向こう側が出口と思う?なぜ当初の目的を見失う?愚か者たちばかりだったが、アイツなら行けるかのしれない」




