本当のじいじ
3人は洞窟から出て、バランサーへと向かっていた。城に向かう時に通った、あの湖だ。
「何でわざわざ俺たちが装飾の材料を探しに行かなければならないのですか?それになぜ、僕たちがあの人と行動を一緒にしないと行けないのですか?」
レイが不満そうに呟いた。ケンはビッキーとはあまり仲良くなれない気がしていたが、レイはさらにその思いが強いようだ。
「そう起こるなよ、レイ。彼は愛想が悪いが、根は悪くない。自分の興味の対象以外には無関心なだけだ。逆に言うと、興味の有ることにはとても高い能力と集中力を発揮する。純粋だから、人に理解されないことも多いが、彼だから、あの隔離された意識の世話ができるのだ。彼は心の声で、彼らと対話ができる。導くわけでもなく、説教するわけでもない。ただそばにいて、その意識が自らの力で浄化するのを待っているのだ。ユウは今でも言葉で意思疎通ができている、僕には言葉だけでは見つけることはできなかったが、彼なら、感覚でユウを見つけてくれるだろう。そうしたらついでにヒロも見つけてもらおう。これで万事解決だ!」
ヨシは自らを納得させるような口調で言った。「ついでに」という言葉に納得はできないが、ヨシも手探りの状態なのだろう。他に解決策のない今、彼の言葉に従うしかなかった。
バランサーに着くと、前回、船をこいでくれたじいじがいた。二人を見ると、シワだらけの顔をさらにしわくちゃにして、手を振ってくれた。胸元のネックレスに光が反射してまぶしかったが、その光がじいじを見つけるきっかけになったことは不思議な偶然だった。ヨシは城に戻ってアンと合流するというので、二人はじいじの船に乗り込んだ。
今回もチロがオールにまとわりつきながら、こちらを見ていた。どうみても蛇にしか見えないチロを何とか視界に入れないように、二人は肩寄せ合って座っていた。
「探し物は見つかったかな?」
「探し物というよりは探し人なのですが、まだ見つかっていません」
「というか、どこにいるかも、どんな姿をしているのかもわからないのです。これでは見つかりそうもありません」
ケンはじいじを見つめながら答えた。ヨシの前ではどことなく弱音と本音を出すのをためらっていたが、優しそうな老人の前では素直な気持ちを出すことができた。
どうしてお爺さんやお婆さんには、素直になれるのだろう。両親には言いにくいことも、受け入れてくれる優しさがあるのだろうか、それとも駆け引きのない、ちょうどいい無責任さが心地いいのだろうか。ケンはふと、そんなことを考えていた。
「そうかそうか、それは大変だな」
じいじは笑いながら言った。
「でもな、坊やたち。姿が見えなくても、人を見分けることはできるのだよ。その人に関心を持って、常に問いかけて、思い出すのだ。『あの人なら、こんな言い方をするな』、とか『あの人はこれが好きだったな』とかね。そうすると人は、本当の自分を出してくる。ほらこの通りに」
じいじは湖面を指差した。覗き込んだ先にはケンとレイの顔、そしてお父さん位の男の顔が映っていた。髪の毛は短く、すっきりとした面長、目はほっそりと切れ長で、爽やかな男の人だった。慌てて辺りを見回しても、爺さん以外には誰もいない。爺さんは相変わらず笑っていた。
「これが本当のワシなのだよ。他の人の前では隠れているけどね」
「隠れている?」
ケンが尋ねると、爺さんはおどけたような顔で答えた。
「本当のワシが見えていないのだよ。皆がワシを年寄りだと思っておる。だから年寄りと信じて疑わない。今日も明日も、年寄りだと思っている。なあチロ」
じいじはそばにいたチロに話しかけが、チロは気にする様子もなく、バランサーを見つめては、時々潜っていた。二回目の出会いということもあり、チロへの恐怖は少し薄れていたので、思い切って話しかけてみた。
「こんにちは」
チロはケンの声など届いていないようで、じいじの腕に巻き、こちらを見ない。
「こんにちは、また来たよ」
再度、話しかけてみるが、反応は同じだった。
「ケン、なにを言っている?」
レイがからかうように言うので、ケンは気恥ずかしくなり、大きめの声で言い返した。
「この前は話しかけてきてくれたから、今回は僕から話しているだけだよ」
「何を言っているんだ。チロが言葉を話すはずがないよ。船に乗る前に何匹も見かけたけれど、話すチロなんて一匹もいなかったよ。ねえおじいさん」
じいじは黙って頷くだけだった。
「でも確かに聞こえたんだ『よく来たね』って・・・」
「本当か?」
「本当だよ。『待っていた』と確かに聞こえた。誰かに似ている声だった・・」
誰の声だったのかを思い出そうとしたが、すぐには思い出せなかった。チロは湖に潜り、この前より少し増えている黒い塊に向かって、泳いでいった。
何となく気まずい感情をどう処理していいか分からずにいると、じいじが優しく言った。
「言葉というものは感情の電波みたいなものでな、受信して欲しいと思うから、発信する。君がその声を聞いたというのなら、何かを受信している。声の主が誰であれ、君を待っている人がいるのだろう」
「知らない人から言われる言葉なんて、大したことないよ」
「そうかな?知らない人からの一言で、勇気づけられたり、傷つけられたりしたことがあるだろう。時には自分自身を傷つけることもある。言葉の力は大きいのだよ」
じいじは遠くを見ながら言った。どこか懐かしむような、別の誰かにつぶやくような表情だった。その表情だけを見ると、じいじが別の地点にいるかと思うほど、彼を遠く感じた。そもそもそんな感覚を抱くこと自体、自分でも奇妙に感じるが、『感覚』という目に見えない、非科学的なものに左右される自分が、不思議な力でも手に入れたかのように感じるほどだった。
そもそも、この世界は一体何なのだろう。奥底に漂う黒い塊を見つけては、チロのような蛇みたいな生き物や、ここの住人がアタフタする。自分のことでもないのに調査したり、祈ったりしたところで、本当に意味のあることなのだろうか。そんなことで、自分が住んでいる世界がよくなるとでも言うのだろうか。
ゲームや動画みたいに相手が明確で、強さも命も数字で現れる方がわかりやすい。何が好きで何が苦手か、申請して『友達』になり、嫌になったら、相手を消せる。そんな世界の方が悩むことも少ないのではないか。こんなふわふわとしたわかりにくい世界では、何を信じていいのかわからなくなってきていた。
レイも同じように感じていた。答えがはっきりして、それを数多く覚えたり、正解を出したりした人が偉い。それが苦手だという人は、努力が足りないだけだ。科学が発展した世界では、物事の結果には原因があり、なぜそうなったのかも説明ができる。だから頭を使い、自分にとってよりよい環境を選び、無駄なことには関わらない。そうした方が先生や親にも褒められ、居心地もいい。自分と仲良くない人の事には関わらないのが、スマートだと思っている。だからなぜ、こんなはっきりとしない世界があるのか、ここではどう振舞えばいいのか、分からなかった。
ただ二人に共通しているのは、この世界に少なからずワクワクしていることだった。このワクワクはヒロが見つかるというよりは、別のものに出会えるのではないかという、高揚感だった。そんな二人の心中を知ってか知らずか、じいじは胸元のネックレスに触れながら、独り言のように続けた。
「人は無視されることほど、辛いものはないのだよ。自分の存在価値がないと思ってしまうからな。でもそんなことは決してない、価値のない者などいないのだ。それは誰かの判断ではなく、自分で判断することだから、自分だけは自分のことを大切にしなければいけないよ。だから自分は何がしたいのか、何を大切に思っているのか、相手は正しいことを言っているかを『自分で』判断するのだ。このワシだって、本当の顔はこうなのだから」
じいじは再び、湖に映った若い顔を指差して笑った。どうして本当の姿に戻らないのか、それを聞く前に湖岸に着いたため、じいじはボートを固定しに降りてしまった。二人を降ろした後、気をつけて、と声をかけ、じいじは再びボートで出かけていった。




