チロとの出会い
「ねえねえ、意識って見えないのでしょ、どうやって探せばいいの」
マナの無邪気な声が聞こえた。最も知りたかったことをあっさりと聞くマナを羨ましく思いながら、ケンは聞き耳を立てていた。女同士だからか聞き上手なのか、二人の会話は弾んでいる。
「形がないから見えない、伝わらないってことはないわよ。例えば風。風自体は目には見えないけれど、木が揺れたり、物が飛んだり、体に当たることで風を感じることはできるわよね。あと感情も。感情も目には見えないけれども、ないのかって言われると、そんなことはないわよね。大切なのは、こちらがどう感じてあげることができるか。だから感じてあげて、ヒロはきっと何かを発しているはずだから」
「そうね、好きとかかっこいい、って感情がある人は、見たらわかるものね。あと嫌な感情も。でも『感じる』ってどうすればいいの?」
「目に見えるものや、人の言葉、価値があるとされるものを過信しないこと。その人が何を欲しているかを、観察すること忘れないで」
「そんなことができたら、超能力者ね。私には無理だわ」
「すぐには無理でも、その人に興味を持てば、感じるようになるわよ」
二人の会話は奥が深そうだが、ケンには理解できなかった。マナは理解できているか気になったが、聞くことはできず。レイに聞いてみたが返事はこうだった。
「意味不明だよ。感情だけで解決できるなら、勉強の意味がなくなってしまう。そんな非科学的なこと、信用できないね」
ケンはどちらの意見も正しいような気がして、結論が出せぬまま、黙って歩いていた。
一行が行きついた先には湖があり、何艘ものボートが優雅に漂っている。湖は端から黄色、緑、青、紫、赤と色が変わり、所々に黒い斑点のようなものが見え、水面からは蒸気が出ており、向こう岸に、うっすらとお城が確認できる。水嵩が低いようで、地面から1m程下の湖岸にボートが停めてある。
「これはアン様、いらっしゃいませ」
近くにいた老人が声をかけた。
「こんにちは、じいじ。ボートを1台用意してくれるかしら」
「かしこまりました」
じいじと呼ばれた老人は身軽にもボートに飛び乗り、地上にはしごをつけると、戻ってきた。年齢には似つかわしくないネックレスが胸元で光てっている。マナはそのきれいな装飾のネックレスを見せてほしいと頼んだが、大切なものなので近くで見るだけにしてくれ、とじいじに断られていた。
「今日は黒い斑点が多いわね」
「はい、最近は湖面の上下が激しくて心配をしています。ですから様子を細かくチェックするために、船員を増やしたのです」
じいじはボートに乗って調査をしている人を指差した。彼らは長い棒を斑点に刺したり、網ですくったりしている。じいじは5人をボートへと案内した。足を踏み入れると、船は大きくぐらりと揺れたので、慎重に腰をかけた。全員が揃ったところで、ボートを止めていたロープが解かれ、じいじは緑色のロープをぐるぐる巻きにして下に置くと、オールを手にした。
「では出発します」
一漕ぎ毎に風がふわりと顔に触れ、心地よさを感じた。ケンは湖に手を入れてみたが、水の感触がない。綿飴のようなふわふわとした感触で、手も濡れてはいなかった。
「ここは・・・湖ではないよ」
「何を言ってんだ。どう見たって湖だろ」
ケンのつぶやきに、リュウはからかうように答えた。素早く手を湖に突っ込んだリュウは、驚いて立ち上がったので、ボートは大きく傾き、湖へと落ちてしまった。
「助けないと!」
立ち上がったケンを止めたのは、アンだった。
「大丈夫、よく見てごらんなさい」
その言葉通り、トキは湖の中で立っていかのように、胸から上を湖面から出したまま動かなかった。
「俺、濡れていないぞ!」
リュウは大声で叫びながら近寄ると、ボートへと引き上げてもらった。ケンはリュウに触れたが、服は濡れてはいなかった。
「ここは『バランサー』と呼ばれる調査場なの。地球全体の幸せ、希望、満足などを測る所で、ここにある一面の『ホッピー』の量が、現在の状態を教えてくれるの。ここ数年、随分と量が減ってきている。ここではその原因を調査しているのよ」
「調査ってどうやるのですか」
「この緑の・・」
じいじが足元のロープを指差すと、最後まで聞かないうちにレイはそれを手にとった。するとロープと思われたものは長い蛇にも似た動物で、体を一直線に伸ばすと、ボートの縁に柱のように直立した。
4人は大声を上げ、その生物から遠い場所へと動いたため、またしてもボートはぐらりと傾いた。
じいじは慌てて皆と反対側へ移り、どうにか均衡を保つと、どこか嬉しそうに言った。
「それはチロと言って、潜ってホッピーの状態を調べてくれるのだ。ホッピーの中に入ると君たちの住んでいる場所も見える。ここはすぐに浮いてしまうので、中に入るのは難しいからこいつらチロが、自由自在に泳いで、調べてくれるのだ。怖くはないぞ、挨拶をしてごらん」
チロはじいじの言葉を理解しているのか、尻尾をこちらに向けた。ケンは勇気を出して尻尾に触れてみると、滑りとした感触は蛇そのものだが、皮膚の温かさからどこか安心感を得た。
「よく来てくれたね、待っていたよ」
どこからともなく声が聞こえた。目の前にはチロしかいない。チロを見つめると、また声が聞こえてきた。
「友達だよね」
ケンはとりあえず頷いたが、この声が自分にしか聞こえていないようなので少し怖くなり、レイに話しかけ、話題を変えた。するとそれきり、声は聞こえなくなった。マナはチロを警戒してか、目を合わそうとせず、わざとのように湖の景色を見てはアンに質問をしている。
「ねえ、あの黒い塊は何?綺麗な色の中にあると、何だか変」
「あれは湖の奥底の濁りを表しているの。表面には出てこないけれど、奥底にある不安、絶望、不信感といった感情が色となって現れるの。そこをチロが潜って調査するの。そうするとどの国、どの地域からきた感情なのかが、ある程度わかるのよ」
「わかってどうするの?」
「私たちにはどうすることもできないわ。見守り、祈るくらいしかできないの。でもね、
関心を持ち、祈ることは、力を与えるものなのよ」
「でも祈っても何もできないのでは、意味がないし、相手も喜ばないわ」
「いいえ、何かを与えたりすることだけが相手のためになることではなないの。あなたたちだって、何か嬉しいことや悲しいことがあれば、誰かに相談するでしょ。その相手はきっとご両親だったり、親友だったり。あなたのことを普段から思ってくれている人がいるということは、喜びが倍になり、悲しみが半分になるものなの。その力の大きさはあなたたちだって、よくわかっているはずよ。だからこうしてお友達を探している」
アンはそう言うとチロの長い体を持ち上げ、自分の体に巻き付けて頭をなでると、チロは湖へと潜っていった。リュウはチロに続いて、またバランサーへと入っていった。泳ぐわけでもなく、その感触を楽しんでいるようだ。その横を何匹かのチロとボートが通り過ぎて行く横で、レイは瓶にホッピーの成分を入れていた。各々が不思議な感触を楽しんでいる間に、チロが一匹、また一匹と黒い塊に引きずり込まれるのを気づいた人はいなかった。




