砂の美術品
池の近くにあった建物は、レンガ作りの窓のない建物だった。長方形のその建物は無機質で、貨物列車のようにも見え、端にあるドアの前には、門番のようにこちらに矢を放つ男性の像が建っている。真っ直ぐに伸びた男の矢は、こちらを狙っているようにも見えた。どことなく冷たい雰囲気の建物だが、澄み渡った天気であるということと、4人一緒だということが、そこへ向かう原動力となっていた。
「いらっしゃいませ」
ドアを開けると、帽子をかぶり、光るネックレスをした女の人がにこやかに出迎えてくれたので、4人はどことなくほっとした。
「お待ちしておりました、4名様ですね」
女の人は4人を奥へと案内した。
「すみません、ここはどこですか」
ケンの問いかけに、女の人はこう返した。
「ネイチャー・アートの館ですよ。地図でもご案内していますが、文字通り自然の芸術品を集めています。展示物にはむやみに声をかけないでくださいね」
「声をかける?」
女の人は不思議な表情のケンを気に止めることもなく奥へと案内したので、それ以上、何も聞くことができず、4人は先に進んだ。館内は白で統一されていた。壁も柱もソファも。白は洗練されたイメージがあるが、ここまで白いと病院のようにも感じる。
天井には美術の教科書に出てきそうな、半裸の男が息を吹きかける絵が描かれている。視線がこちらに向いているのと、どこからともなく吹いてきた風が、息を吹きかけられているような気分になって、顔を背けた。
ケンはもう一度天井を見上げると、また上から風が吹いてきた。突然の風に思わず閉じた目を開くと、半裸の男が笑っている。先程は睨んでいたような気がしたのだが、きっと見間違いに違いない。なぜなら絵の顔が変わるはずがないのだから。
大きく深呼吸をして辺りを見回すと、棚には壺が無数に並べられているが、中身は空っぽだ。手を伸ばそうとしたリュウに、すかさずマナが言った。
「触っちゃダメよ」
「少しくらいいいだろ」
「ダメよ、壊したらどうするのよ」
その時、壺の一つが揺れたので、ケンが慌てて支えた。
「ケン、触っちゃダメって言ったでしょ」
「いや揺れたから、危ないと思って」
「壺が勝手に揺れる訳ないでしょ」
マナに叱られ、少々納得がいかなかったが、これ以上言うと倍になって返ってきそうなので、黙っていた。でも確かに揺れた。きっと何かの振動で揺れたに違いないと思い直し、その場を後にした。
さらに奥には教科書やテレビで見たような、立派な絵が飾られていた・
「美術館だったのね」
「美術館なんて、つまんないよ」
「ネイチャー・アートってなんだろう」
3人は各々の感想を言い合っていたが、ケンには女の人の「声をかけないで」という表現が少し気にかかっていた。「手を触れないで」ではなく「声をかけないで」の真意は何だったのだろう。
美術館には様々な彫刻が並べられていた。全身の彫刻もあれば、胴体までのもの、頭だけのものもあったがそれらはすべて、人の彫刻だった。モチーフとして人の横に犬が立ってたり、鳥が背に乗っていたりするものはあったが、動物だけのものはなかった。
美術館といえば、広々とした空間に美術品が並べられるものだが、ここはそうではなかった。どう見ても雑然と並べられてあり、飾る、というよりは置いてある、と言った方が正しく感じられる。そして圧倒的に数は少ないが、所々に絵画も飾ってある。絵画はすべて風景画や静止画で、人物画は見当たらなかった。
4人はこの静かな美術館を、銅像を避けるようにしながら見て回った。館内には他のお客さんはいなく、4人の歩く音だけが館内に響いた。どれもケンの興味を引くようなものではなかったが、レイだけは熱心に見ていた。マナは専ら風景画を見ていたので、ケンはリュウの姿を探すと、彼はある像の前にいた。それは像というよりは土の塊だった。
「壊したのか?」
思わず声をかけると、リュウは怒ったように言った。
「バカ言うなよ、いくらつまらないからといってそこまでやらないよ」
「じゃあ何で壊れているの?」
「そんなの知らないよ。それよりこの土、熱くないか?」
土の近くに手を伸ばすと、確かに土は熱を帯びていた。そして台座には予め、シートが置いてあったのだろう、土はその中に収まり、飛び散ってはいなかった。この土から発せられる熱はとても穏やかで、心地のいいもので、ケンはこの熱にエネルギーをもらいながらも、なぜ土が台座に置かれてあるのか、不思議に思った。
「これって不良品なのかな」
「そんな訳ないだろ。しかもこんなに粉々になるなんておかしいぜ」
リュウはそう言いながら、土に触れた。
「リュウ、やめろよ」
「少しくらい、いいじゃないか」
リュウはそう言って、土をポケットに入れた。
「ここは本当に美術館なのだろうか」
レイが近寄ってきた。レイがこういった話し方をする時は必ず論理的に話すので、誰も返事をせずに、ナベの論理を待った。
「そもそも美術館とは、美術品を展示する場所だよね。美術品には題名や作者、背景やモチーフの説明がある。でもここにはそういったものが何もない。しかも何をテーマに展示をしているのかが、全くわからない。どういったテーマでこんなにも人の像が並べられているのか。これでは美術館というよりは、倉庫だ。おかしいと思わないか」
「言われてみれば、そうよね。私はずっと絵を見ていたのだけれど、怖いのよ。だって振り返ると、肖像がこっちを見ているの。絵って肖像に見せるために飾られている気がするわ」
「俺は美術館なんてつまらないから、奥の方まで探検に行ったら、これみたいに潰れている像が何個かあったぜ」
「僕は肖像に関しては何も思わなかったけれど、受付のお姉さんが『展示品に声をかけるな』って言ったのが、気になっている」
ケンの言葉に、リュウが反応した。
「声をかけるなってどう言う意味だ?まさかこいつらが生きているって訳ではないよな。試しに声をかけてみようぜ」
「やめてよ、怖いじゃない」
マナの頼みにもかかわらず、リュウは近くにあった女の像に向かって、声をかけ始めた。その像は2m程の大きさで、鎧を身にまとい、片手に剣を握り締め、もう片手には鷲を乗せ、睨むような目で遠くを見ている。リュウは彼女の下から大きな声でヤジのような声をかけ、像の周り近づいたり遠ざかったりしながら、彼女の気を引こうとしていた。いたずらっぽい顔で相手の反応を待つ行為は、いつもリュウがやる仕草で、それを見ているうちに、ケンの緊張感が薄れてきた。
「やっぱりダメだ。像が動くわけない」
リュウはつまらなさそうに言いながら、動きを止めた。像はピクリともしなかったので、やはりこれはただの像だ、変な心配をしてしまったと、ケンは安心した。レイも納得した表情したその時、マナの大きな声が聞こえた。
「きゃっ」
振り向くとマナが触れていた子供と犬の像が姿を消していた。いや、消したというよりは、土の塊へと変わっていた。
「お前壊したな?」
リュウが冷やかすように言った。
「何もしていないわよ、いきなり崩れたの」
土の塊は徐々にサラサラになり、砂へと変わると、周囲は温かい空気に包まれ、少し前と同じ感覚に包まれた。
砂が風に触れ、舞い始めたころ、大柄な二人の男が近づいてきた。美術品を壊したと勘違いされるのではないかとビクビクしたが、男たちは4人を気に留めることもなく黙って台座に敷かれたシートを持ち上げ、どこかへ運んでいった。




