第五話
「アイツも忌血だったんだよ」
まだ怪訝そうな面持ちのセツナにケイトは諭すように繰り返した。二人は大きな木の又の上で向かい合わせに座っている。追いかけてくる音はしない。逃げ切ったかなと安堵するケイトとは裏腹に、むっと睨むセツナの目線は、軽く咎めているようだった。
「だって、カナタの事を知ってたかもしれないのに」
「そ……それはそうだけどさぁ、アイツだって探してるって言ってたし、知らなかったんじゃない?」
「知らなくても一緒に行けたかもしれないのに」
「それはダメ! ……あ、えっとー」
言えない。嫌な予感がしただけなんて。ケイトは視線をそらし頭を搔いた。別にセツナを独り占めしたいとか、そういう欲ではないような気はする。ただ、漠然とした不安にかられて、セツナを抱えて逃げてきてしまっただけ。
「ほら、攻撃されるかもしれなかったし……支配者の一族、だったし。……セツナを今まで閉じ込めてて、酷い目に合わせたヤツらと同じような血が流れてるんだよ。いいの?」
「そんなの関係ないよ。オレに危害を加えたのはあの子じゃない。やってもない罪を押し付けられるなんて、可哀想だと思わないかい? あの子はあの子、オレを閉じ込めた人とは違うんだよ」
「そうかー、そうだよな。……セツナは優しいなぁ。俺、酷い事したかもしんない」
セツナはごめん、と言って項垂れるケイトの頭に手を置いた。カクンと首を傾げて、上目遣いでセツナを見上げたケイトの瞳は金色にキラリと輝く。それは子供が悪い事をして、親に叱責された時の顔によく似ている気がした。
「まぁまぁ、落ち込まないで。オレはもういいから。ケイトもオレの事考えて行動してくれたんでしょ? それなら怒らないよ」
「うぅー、セツナ好きっ!」
「……オレも好きだよ、ケイトの事……わわっ、ちょっと、落ちちゃうよ!?」
セツナが答え終わるか終わらないかのうちに、ケイトはがばりとセツナに覆い被さる。そのままセツナの胸にグリグリと頭をうずめながら、ケイトは何かを振り払うようにふるふると震えた。
「どうしたの、大丈夫?」
「だいじょーぶ。でも、今日はこのまま寝る」
「危ないよ。このままだと、ホントに落ちちゃうよ? オレが寝れそうな場所作るから、待ってて」
「じゃあ俺はセツナの晩飯……あ、みたらし団子しかないや」
「……それ、忘れてなかったの」
「当たり前じゃん! あーでも空きっ腹にみたらしはキツイかなぁ。白飯でも貰ってこよう」
「白飯? そんなの、貰えるの? 食べられるの?」
「貰えるってー、多分。お小遣いも持ってきたし、おにぎりにしようか」
やたら白飯に反応を示すセツナにケイトはケラケラと笑いながら言った。夜中だが、まだ町は賑わっているだろう。……確か、今夜はお祭り。なんのお祭りかは知らないけれど、明るくて楽しい物はケイトにとっては心を休める場所だった。いつかセツナとも行ってみたいなとは思っていたけれど、今日はゆっくり寝たい。確か明日の夜までだから、その時はセツナと行こうと思う。
「んじゃあ、行ってくるな!」
「うん、気をつけてね」
木から飛び降りて、ケイトは元気に手を振った。それを見たセツナは、小さく手を振り返してクスリと笑う。やっぱりケイトは子供みたいだ。無邪気で、素直で、可愛らしい。それなのに、こんなに力のない自分を外に連れ出してくれたのだ。こんな事をしてケイトは大丈夫なのだろうか。きっと、お父さんとかお母さんとか、家族が心配するだろう。後先考えないケイトの事だから、何も言わずに出てきたに違いない。
溜息をつきながら糸を編む。太い枝と枝の間に絡ませて行く作業だ。両手の指先から出る十本の糸を、背中から生える蜘蛛の足で目的の場所まで運ぶ。縦、縦、横、横……細い糸がもつれて太い糸になり、太い糸が重なり合って布になる。それを繰り返して誰が乗っても落ちてしまわないような、丈夫な場所を作るのだ。
「ケイト、まだかなぁ」
寝床作りも終盤に差し掛かり、セツナは呟いた。髪と同じ色の糸は月光でキラキラと輝いている。元々獲物を捕獲する為の糸だ。簡単に切れるはずがない。わかってる、わかってても不安になるほど細い糸。
指から垂れた糸は風であおられてふわりと弛み、近くの枝葉に絡まった。それを足でプツリと切って、大きく息を吐く。自分の家で作ったものより倍も糸を使った気がする。大きさもそうだが、多分密度のせいだろう。時間も沢山あり、何より最初の夜くらいはゆっくり寝た方がいいだろうという考えでもって無理やり結論付けて、セツナはゴロリと横になった。
適度な弾力が背中を押し、トランポリンの様に感じられる。時折軋む枝の音と呼吸音が風に交じった。
「おーい! セツナー!」
夜闇にケイトの大声が響く。音に驚いた鳥が一斉に飛び立った。セツナの肩もビクリと震えたが、ケイトの声だと認識するとニコリと笑って応答した。
「ケイト、しー」
「あ、悪い悪い。しー、な」
「そうそう。もう夜だから。あと、おかえり」
「おう! ただいまー!」
無邪気に笑うケイトの腕に抱えられているのは沢山の包み。その一つ一つが食物だとすると、セツナはそんなに多くのご飯を見た事がなかった。
「そんなに買ったの?」
「いいや? 大きなおにぎり二つ頼んだら、二つも食べるの? っておばさんに聞かれて、お腹すいてる友達のため! って言ったらいっぱいオマケしてもらえた」
「……すごいね。でも、そんなに沢山食べきれないんじゃない?」
「んーん、明日の朝ご飯にしよう。取り敢えず、今そっち行く」
そう言ってケイトが地面を蹴ると、まるで身体が真綿か薄紙で出来てるんじゃないかってくらい軽く、簡単に真横の枝に飛び乗った。