第四話
「おい、大丈夫か?」
セツナは差し出された手を掴み、立とうとする。その時、ジャラ、と金属のような音がした。
嫌な予感がして二人同時に下を見れば、セツナの左足首に枷のようなものがはめられていて、伸びている鎖が打ち合う度に先程のような音がする。見覚えのないそれがいつセツナの足にあったのか本人ですらもわかっていない様子で、暗闇でよく見えないと言って首を傾げながらしゃがんだ。
「ねぇケイト、これ、継ぎ目がない」
「じゃああの首輪と同じ、ってわけか。それにしても、どうして今な……」
ケイトはそこまで言って言葉をとめた。足音がする。反射的に足を囚われて自由に動けないセツナの前に立った。セツナは下からじっとケイトを見つめていたが、おそらく聞こえていないらしく不思議そうな表情をしている。それもそうだろう。それは感覚の鋭いケイトでなければ聞こえないほどの、微かな音だった。
「誰だ、そこにいるの」
ケイトは普段のテンションから想像もできないほど静かで、厳かな声音で言った。脅し、とも取れる。できれば戦いたくないのがケイトの本音である。何故なら、事を荒立てず、誰にも知られずにここを出発したいのだから。ケイトの能力が告げるには、そこにいるのは小さな――まだ稚い少年。それならば脅しが通用するだろう、という考えだ。
だが、ケイトの言葉に一瞬止まったものの、すぐに近づくのを再開した。迫る人物にセツナはやっと気づいたようだ。意図的に足音を隠していた人物は、隠すのを辞め堂々と歩き出したから、かもしれない。
「……こんばんは。突然ですが、貴方、柵の中の人ですよね」
姿を現した人物は、やはり子供だった。長い前髪が右目を隠し、頭巾からのぞく髪は少なくとも肩より長い。隠されていない方の瞳は髪と同じように黒く、木々の隙間から漏れ出た月光を受けて白く浮かぶ顔は少年というには可愛らしさが勝っていた。見たところ、服も上等そうなものを着ている。
そして、夜間に二人の人間を見ても凛とした表情を崩さない彼は、淡々と質問を続けた。
「その頬の血、ボクの一族の血液なんですよ。そんなのどこで付けてきたんです? ボクの知る限り、柵の中の人の身につけるもの、しかありません」
「……そこまで疎まれてる地の事を知ってるなら、お前は支配者の一族なんだろうな」
「……そうですよ。ボクの血は分家ですけどね」
こいつとは関わってはいけない。ケイトの脳裏に警鐘が響く。身体に流れる天狐の血が、研ぎ澄まされて綺麗になっていく思考に干渉しているかのよう。意識してもいないのに、勝手に臨戦態勢に入ろうとしてしまう。目の前の小さな子供と目が合うたびに、頭に張り付いた考えが重みを増してゆく。セツナとこの子、一緒にいてはいけない存在だ。それに、この子は……
「セツナ、それ解いてあげるから一緒に行こう。俺がおぶっていくから走るよ」
「ちょっと待って、君の名前は」
「ボク? ……ボクは、トオン」
「そっか。君、少しカナ……古い友人の幼い頃に似ていて。そうだよね、こんな所にいるわけない。し、少し君は可愛すぎるかな」
「失礼ですね、ボクは男……って、今カナタって言いました!? その人、夏樹、奏多……?」
「え、君も知って……」
「おいセツナ、行くよ! 早く!」
「待ってよ、オレ達はカナタを探しにき……もごっ」
「ちょっと静かにして、集中するから!」
「ボクもっ、カナタという兄を探していてっ…………あ、行っちゃった」
突然トオンの目の前から二人の男は瞬く間に消え失せる。木々をつたって離れていく音が、途切れることなく遠のいて言った。切れた鎖と、溶けた血液が地面に染み込んで消えてゆく。残されたトオンは、伸ばした手を見つめて首を傾げた。
「……あの人たちも、忌血なのかぁ」