第二話
「でも、どうやって出るの? オレの首輪、外に出るとやかましく鳴り響くんだ」
「そんなもの、取っちまえばいいじゃん」
心配そうに首を傾げたセツナに、ケイトはあっけからんと返す。確かにケイトの神通力だと外せる気もするのだが、何かひっかかるものがあった。こんなにうるさいものはセツナの世界にはこれしかなかったから。それは、下の家の前の野菜をうっかり取ってしまった子供がおばさんに金切り声で怒られていた時よりも、たくさんのカラスが木々から一斉に飛び立った時よりも、ずっとずっとうるさかった。
「取れないよ。成長する度に眠らされて、どうやって着けられたなんて覚えてない……し、硬いし、継ぎ目も無いみたいだ」
「俺が取ってあげる。それくらい大丈夫だよ、バレるわけない」
「そうだけど……本当にバレないの?」
セツナにはもう一つ、気がかりな事があった。それは、セツナが1歩でも茨の外へ踏み出した瞬間、首輪の音が鳴るからだ。どこから見てるのか、ぐるりと見回してみても背の高い木々と広がる枝葉以外誰もいない。それなのにいつ脱出を謀ってもすぐにバレてしまうのだ。まるで、透明なナニカに見張られているように……
「バレないって〜。心配性だなぁ、セツナは」
「……オレ、いつもバレてしまったし」
「それはその首輪のせいだろ? そもそも、気づかれるんだったら俺、今頃ここにはいないしな」
「……そうだね。考えすぎかもしれない。ケイトがいるなら大丈夫な気がしてきたよ」
「そーそー、何も考えずに俺に任せとけばいーの!」
不安げだったセツナは、ケイトに顔を向けて口元に笑みを浮かべた。その表情を嬉しそうに見たケイトは、拳をドンと胸に当て不敵に笑んで見せる。そんなケイトが頼もしくて、少し眩しくて。セツナはその長いまつ毛を伏せた。うっすらと、一族の特徴でもある綺麗な緑の瞳が光を反射して透けている。ケイトはそんなセツナに首を傾げると、両手でセツナの顔を持ち上げてじっと正面から見つめた。
「だから、そうと決まればすぐ行こう! 考え込んでる時間が無駄だろ? もし失敗しても、セツナだけは命に変えても逃がすから!」
「ち、近いよ、ケイト……」
「ねぇ、俺と来てくれるよね……? 絶対、置いていかないから。こうやってコソコソ会いに来なくてもずっと一緒にいられるんだよ。だから一緒に行こ?」
「やめて、ケイ。ホント近いから…………そんな近くで見ないで。恥ずかしいよ……」
「あ、ごめん」
ハッとしたようにケイトは身を離す。髪も肌も色素の薄いセツナの頬は、ほのかに赤く染まっていた。一言で言うと、綺麗。それは内側だけ色付いた牡丹のような美しさだった。
風が吹いて、花びらがヒラヒラと舞い落ちる。その中の薄桃色の一枚がセツナの頭に乗った。セツナはそれに気づかずに、すっと顔を逸らして言った。
「綺麗だね。……オレ、この色好きかも」
「うん、俺も好き。でも、俺セツナの瞳の色も好きだよ。とっても綺麗な色をしてる。じいちゃんが家に家宝だーって飾ってる翠玉より綺麗」
「え、オレの眼? オレの髪や肌が白いのは見られるけれど、瞳の色は見られないよ」
「え〜、もったいないなぁ。機会があれば見せてやるよ! 瞳の色を見たことないなら、顔も見た事ないんだよな。セツナはすっげー美青年だぜ〜?」
「そうなの? ちょっと気になる。でもケイトの方がカッコイイと思うよ、オレは」
そう言って、セツナは立ち上がった。そのはずみで頭から花びらがひらりと落ちる。それは、足元のたくさんの花びらの上に乗っかると、再び風に吹かれて混ざってしまった。それをあえて探そうともせずに、ケイトは腰を上げる。ケイトよりも少し目線が高いセツナは、まだ赤い顔でニッコリと笑った。
「荷物を取りに行こうか」
「そーだな! じゃ、今日の夜にココに集合ってコトで」
「わかった。絶対来てよ、忘れないで」
「わかってる〜、オレそんな忘れっぽくないし」
「どうかな……ケイト、本当に心配だよ」
セツナは本当に不安げな顔でケイトを見つめる。一瞬眼をまんまるにしたケイトは、少しムッとして言い返した。
「なんだよ! 絶対忘れないって! 忘れたらしっぽ1本ちょんぎってやる!」
「しっぽなんてあったの?」
「あるよー。ま、今夜見せてやるよ! セツナ、絶対びっくりするだろうなぁ〜」
「ふふ、そうか。楽しみにしておくよ」
「あ、そうそう! この酒、持っておいてくれよ。今更持って帰れないからさぁ」
「わかった。ココから出られたら飲もうかな」
「おー、いいね。俺も飲む〜」
「いいの? 未成年なのに」
「だって、俺人の血より妖の血の方が濃いもん。大丈夫大丈夫」
「そういうものかなぁ……」
押し付けられるがまま、ひょうたんを手に取る。それを渡すとすぐにケイトは走っていこうとした。だが、振り向きざまに大きく手を振ってきたので、セツナも手を振り返す。少年のような笑顔を正面に向けて、ケイトは木々の向こうへ消えていった。
セツナはくるりと背を向けると、反対方向に足を進めた。家までは、歩くと少し距離がある。だけど、これからの事について思案していると、それは一瞬だった。ボロボロで、お世辞にも綺麗と言えない家だけれど、一人でいればとても広く感じられる。
扉をくぐると、誰が投げ込んだか、自分の物ではない壺が転がっていてた。その周辺には無数のムカデや毛虫が床を這っている。壺に貼られた紙には「お前のご飯だ、クモおばけ」と汚い字で書いていた。
「まいったな……」
この辺で字を書ける人など限られているというのに。セツナは幼少の頃父や母に字を習い、親がいなくなってからはケイトに教えてもらったのでその言葉が読めたが、正直字など読めぬほうがよかったと嘆息した。
虫の体液で汚れた床には寝たくない。かと言って、掃除をする気にもなれなかった。指先で壁にそっと触れると、反対側の壁まで歩いていって、また触れる。そこには、日光を反射してキラキラ光る糸がピンと張られていた。
何度か往復すると、キリがないと思ったのか、セツナはおもむろに糸に乗る。丈夫な糸はセツナが乗ったくらいじゃ切れない。セツナは目を瞑り、背中に意識を集中させた。
ぐしょ、と変な音がした。例えてみるならば、水の中を高速で移動した時のような音。それはセツナの背中――ちょうど肩甲骨の辺りから。蜘蛛の足が一本、二本……全部で八本。太くて長いそれを擦り合わせると、器用に動かして糸を編み始めた。
セツナの人間の体は殆ど動かなかった。それもそのはず、広い部屋の端から端まで、セツナの背中から生えた足は十分届くのだから。
「ふぅ……こんなものかな」
また音を鳴らしながら、セツナは足を引っ込めて言った。一体どこにそんな物が存在するのか、それはセツナも知らない。身体の一部のように自在に動かせる便利なもの、そして他の人には無いものとしてしか認識してなかった。
糸でできた真っ白なハンモックにごろりと寝転んだ。当然、蜘蛛の糸、と言ってもベタベタしないものを使っている。端から端まで寝返りを打って、ふと気がついた。
「君、なにしてるの?」
戸口から覗いていた小さな女の子。おかっぱに黒髪を切りそろえた可愛い子。目を見開いて、恐怖におののいている子。
「バケモノ……来ないで! 誰か助けて!」
その子は声をかけた瞬間、その子はどこかへ逃げてしまう。あーあ、やっちゃった。セツナの口はそう動いた。