04 旅支度
魔王さまは被害者っぽい感じ
指輪についての調査が終わり、その夜、左手の薬指を見ながら呆けていた。
「結婚……か」
嫌な感じはしないのだが……モヤモヤとした感じが続いている。
「これは……なんなのだ?」
昔、父上とエレノールから禁じられていた書物を読んだことがある。
その本には主人公が、ある人間と出会い、紆余曲折あり番になるという物語が書いてあった。その中に、私の心境と同じような描写があったことを朧気に思い出す。
番になるまでの物語はよく覚えていない。というより、その時の私にはちんぷんかんぷんで、内容の大部分を忘れている。
故に、どうして結婚に至ったかが不明なのだ。ただ、この謎の感覚とは無関係ではないだろう。
ここ数日、城に勇者一行を宿泊させている。その間は必然的に、勇者と行動を共にすることになった。そして四六時中、勇者と居て分かったことがある。
纏っている空気。これが大変心地よいのだ。澄んでいるというか、悪いものが混ざっていないというか。それに比べて、エレノールは真反対だ。今まで分からなかったが、あいつの周りの全てが気持ち悪い。
と、言うより、件の一行を除いて城に居る者は同じような空気を纏っている。
エレノール他、配下の者達へ城に勇者一行を泊める話をしている時は、顔を顰めないように努めていた。
あ、あのオーガは別だったな。真っ直ぐな空気を感じた。まあ、それ故に空回りしてしまったのだろう。
あいつには、本当に悪いことをした。今度、詫びのひとつでもいれておかないと。
とりあえず、今までになかった感覚。勇者と出会い助けられ、数日を過ごす間にも積もっている謎の感覚。
「本当に、なんなのだ……いったい……」
◆
コンコンと扉を叩く音が聞こえる。
「入れー」
「失礼するよ。おはよう……って随分と眠そうだね」
静かに扉を開け勇者が部屋に入ってきた。
因みに、ここ数日は私が逃げ出そうとしていないため、扉には鍵が掛かっていない。
捜索の時もそうだが、不用心すぎないか?
「あ、ああ、少しな」
「もしかして、今後のことについて考えていたのかい?」
「そんなところだ。勇者は?」
距離を置くと全身に痛みが走る。離れすぎると立てなくなるくらいだ。
故に、勇者の部屋は隣に設けさせた。ぱーてぃめんばーも近くの部屋を使っている。
勇者はなんともなかったが、それ以外の者は「ひ、広いわ! ユーラ、広いわよ!」「分かっている。広い」「おーこりゃ立派だな。外から見た感じで分かってたが、ここまでとはな……」「こ、これは……すごい」とかなんとか言ってはしゃいでいた。
語彙力の低下が激しいぞ、一行。
「僕もそんなところだよ。そろそろ此処を発って、陛下への報告をしておきたいのさ。先日、報告の催促――基、期待する文が届いてね。陛下は待ちかねているそうだよ」
「それは――」
我を殺すことか? と口を開こうとしたが、勇者によって遮られた。
「いや、君の言おうとしていることは違うよ。僕は元々、“女神に依る和平協定”を結んでいる魔族の王。つまり魔王のもとへ赴き、その意志の確認をするために来たんだ。僕も、人間側も基本的には争いは好きじゃないからね」
どちらかと言えば嫌いだよ。と、続ける勇者。
「ん? “女神に依る和平協定”とはなんだ?」
「あれ? 知らない? 歴史では、二百年ほど前に、魔王を倒され憤慨した魔族が人間と大規模な戦争を起こした際、女神様が降臨され、その戦いを仲裁、鎮静化。後に異種族間による和平協定を結ばせたんだ。この協定に大幅に叛くと“天罰”が下るそうだよ。今のところ、叛いた者は居ないから天罰が本当か分からないけどね」
「知らなかった。というか二百年ほど前なら我は生まれているはずだが? それを知らないとは、なにかおかしいぞ?」
ここだけの話。と勇者が耳元に顔を近づけてくる。く、くすぐったい。
「エレノールが何か企んで、あえて教えていなかったんだと思うよ」
大凡、女神からの天罰の確認と、人間との再戦の兆しにするための囮かなにかだろう。
あの嫌な空気を纏っている者が考えそうなことだ。
「話が逸れてしまったね。それで、僕が何を言いたいかというと……」
一旦言葉を区切る勇者。む? なんだ、言い出しにくいことなのか。
「僕はこれから王都へ出発しようと思う。その際に、君にも同行してもらいたいんだ。身勝手な振る舞いだと自分でも思う。君なんて軽々と呼んでるけど、実際は一国の王。そんな相手に対して、こんな態度をとった瞬間、打ち首モノだよ」
そこまで言うと、勇者は恭しく膝をつき、頭を垂れた。
「どうか、王都まで足をお運びなってはいただけないでしょうか?」
困った顔で見ていると「どうか」と消え入りそうな声で言ってくる。行かないわけがない。それに――
「この指輪のせいで、我はお前から離れられないからな。頼まれる以前に、お前に付いていく選択肢しか、我にはないのだよ」
序で、外の世界に出られる。絶好の機会じゃないか。
「それと、その喋り方は止めろ。今までどおりに軽い感じで良い。あ、あとあれだ勇者よ、面を上げろ。気色悪くて堪らん」
すると、勇者は顔を上げ此方に駆け寄り手を握ってきた。こいつ、意外とゴツゴツした手をしているのだな。だが、嫌いじゃないぞ。
「ありがとう……ありがとう……」
そんな喜ぶものなのか? まあ、とりあえず、旅支度でも――
「あ、前から思っていたんだけど。その“お前”とか“勇者”って呼び方はなんとかならないかな……。僕には一応、アランって名前があるんだけど……」
しようと思ったのに……な、なんだこいつ、切り替えが早いな。
「答えとしては、駄目だ。理由は、我にとっての勇者は“勇者”であるお前しかいないからだ。他に“勇者”と言われる者が現れたとしても、そいつを“勇者”とは呼ばないし、認めもしない。寧ろ“勇者”に見合う実力か、我が手合わせし、確認してやる。どうだ、なにか文句があるのか?」
「い、いや……」
暫しの沈黙。
「そうだね。文句の一つも浮かばないよ。じゃあ、君は僕を、そう呼ぶということで……で、僕は君のことをなんて呼べば良いかな?」
不意な質問。名前……あれ? 私の名前……。いや父上も先々代もそうだが、我ら魔王には名前なんてあったか?
父上が私のことを呼ぶ時は決まって「我が娘よ」だった。名前、名前か……んー。
「どうしたんだい?」
「我に、名前は、無い」
「へ?」
素直に答えると、勇者は口を開けたまま呆けた顔をした。面白い顔だ。
「だから、我、名前、無い」
「え、いや……そんなこと言ったって――」
「だから……」
勇者の言葉を遮り、私の言葉を優先させてもらう。
「だから、お前は我のことを好きに呼べばいい。名前を付けたければ付けるといいし、今までどおりに、魔王だとか、君だとか呼べばいい。我もお前のことを好きに呼んでいるからな」
「え、と……それじゃ――」
少しの空白の後に、勇者は口角を上げてハキハキと答えた。
「じゃあ、僕は君のことを今までどおり呼ぶことにする。君は、僕にとっては唯一の“魔王”だからね。今後、“魔王”と呼ばれる存在が現れても、“魔王”とは呼ばないし、認めない。その実力が“魔王”に相応しいか、全力で確認に当たるとするよ。これでどうだい? なにか、言いたいことはあるかい?」
したり顔で此方を見る勇者。ふん、言うではないか。
「我は何も言わんぞ。我はお前のことを勇者と呼ぶだけだ。勇者は我のことを魔王と呼ぶ。これは絶対的で普遍的に揺るがぬ誓いだ。分かったか?」
「ああ。よろしく頼むよ、魔王」
「ふん。よろしく頼むぞ、勇者」
◆
「よし、こんなものか。勇者、確認して欲しい」
「畏まりました、魔王さま」
「貴様――」
なにか言いたそうにしている魔王を軽くあしらう。
「軽い整容の道具、替えの服に……あれ? 魔王、下着は?」
「シタギ? なんのことだ?」
「え!?」
今、僕はものすごい状況に陥っている気がする。というより、女の子に下着のことを持ち出すのはまずいような気がする。いやまずい。
パーティメンバーのラニアの着替えを見てしまった時みたいな――いや、それ以上の緊迫感がある。やばい。
「おい、なんだ、シタギ? それがどうしたんだ」
魔王が、しゃがみ込み荷物を確認している。ワンピースのような寝間着を着ているせいで……せいで……。
おお、落ち着け僕。
「い、いいい、いや! 別に!? なにもな……くわない!」
落ち着けない僕。冷静になれ、僕。僕は勇者じゃないか。こんなことで怯んでどうする。
いや、かなりのダメージを負ったような気がする。というより勇者は関係ない。
「さっきからどうしたのだ? 様子がおかしいぞ。……あっもしや、我の荷物に不備があったのか? 早く教えよ。“シタギ”意外にもなにか必要なのだろう!?」
そう言って、少し後退していた僕の腕を抱くようにして、引っ張ってくる。
こ、これはまずい! 早急に下着について言及しないと!!
「あ、あぁ、ああ、魔王。えぇと、替えの服があるなら、下着も入れておかないと……」
「すまない、勇者よ。“シタギ”とは、なんだ?」
「え?」
「ん?」
まさか、魔王とはいえ、女の子に対して下着のことを説明する日が来るなんて思いもしなかった。
◆
昨晩、勇者に付いて行くための持ち物を準備し、確認してもらった際に説教を食らった。
なんでも、下着は女の子にとって必要なものだとか。
「やはりこれは……窮屈だぞ?」
現在、ラニアとユーラに連れられ、町の服屋に来ている。試着室というところで渡された下着が着られるものか確かめている。
勿論、勇者も一緒。昨晩の説教の後から今に至るまで、常に全身が痛くならないギリギリくらいの距離を保っている。何故そんなに離れるのだ。
「人の形をしている生き物はみんな、下着を身に着けているものよ」
ラニアがそう言ってきた。続いてユーラが口を開く。
「今まで、下着は?」
「既に勇者から聞いたのではないのか? 昨晩、勇者に聞き、その存在を知ったところだ。人間は皆、こんな窮屈な生き方をしているのか?」
「アランから話を聞いたのは私よ。人の形をしている生き物はって言ってるでしょ? 人間でなくとも、人の形をしている魔物でさえも服や下着を身に着けているの。それなのに、魔王であるあなたが着てないというのは、すこし問題が在ると思わない? それと、あなたの尺度で全てを語っては駄目よ?」
「む、それもそうだな」
昨晩、勇者にも同じようなことを言われた。どうやら、“下着”というものは、なかなかに重要なものらしい。
「……これ」
ラニアと違い、表情の変化と言葉数が少ないユーラが別の下着を持ってきた。
いつでも身につけなくてはならないとか言われ、道中も朝に渡された物を着ていた。
「……しかし、こんな何枚も必要な物なのか?」
「服だってなんだって、一日中何をしていなくても身につけていたら汚れるものなのよ。汗とかホコリでね。だから取り替えるために何枚も用意しておく必要があるの」
「汚れたら綺麗にすればいいだけではないのか? それに、取り替えるだけなら二枚で十分だろ」
「服だと洗って乾かしてって手間があるの。だから――」
「汚れたらこうすれば良いのではないのか?」
ラニアに手を向け洗浄魔法を掛ける。
「え?」
ラニアが驚いた顔で自分の体を見ている。自分の着ている物が光ったからか?
「これは?」
「洗浄魔法だ。力の弱くなった我でも、お前の装備を“キレイ”にすることは出来たのだ。元の我ならば、細かい傷の全てを消すことは造作も無い。お前たちも使えるだろう?」
「え、そんな魔法は……ユーラ?」
「そんな魔法はない」
ラニアは私の質問をユーラへと渡した。しかし、即答か。洗浄魔法が無いというのは、いったい。
「私達の知っている“綺麗にするような魔法”は、悪しき精霊によって造られた“生ける屍”か“霊的な存在”に効果がある“浄化魔法”のみ」
そういうことか。いや――
「それは退魔、除霊の魔法ではないのか?」
「そう言われている書物もある。私の知識が足りないだけだが、貴女の言う“洗浄魔法”は見たことも聞いたこともない。つまり、私たちは使えない」
なるほど。
魔族と人間では、魔法の認識について何か違っているようだな。
「ふむ、では今回の礼に今度教えてやろう。なんだ、簡単だ。すぐに使えるようになる」
「おそらく、それは難しい。いや、無理かもしれない」
ユーラという娘、魔法について話す時は饒舌になるのか。
「それは、どういうことだ?」
「普通、魔法を使う際は最低限の詠唱が必要。魔族でも、短縮してでもいいからある程度の詠唱は必要なはず。だが、貴女は詠唱せずに魔法を使っている。私達が使うには決定的なものが足りていない。教えられても使えるようになるのは難しい」
「なるほど……そういうことか。我は感覚で使っているからな。理論的に説明することは我には無理だ。前言撤回だ、すまない」
「でも、気になる魔法ではある。水浴びや湯浴みの手間が省けるのであれば、その分、他に時間を割ける。効率的」
この娘は魔法が好きなのだな。ならば私も教えられるよう、いろいろと考えなければ。
「すぐにでも教えてやりたいが、説明のしようがないからな。少しばかり時間を貰うぞ」
「分かった、待つ。ラニアは?」
「え? 私はいいわよ。魔法への適性が壊滅的なのは自分が一番分かっているわ。……でも、ちょっと気になるわよね」
「お前にはこの魔法は使えないだろうな」
「なっ……」
真実というものは、教えてやらねばいけないからな。必要な嘘もあるが、自身の力や命に関わる面でのことなら伝えるべきだろう。
「それはどういうことよ!?」
「言葉のままだ。お前自身でも言っていたように壊滅的だ。防御魔法については、どれほどの鍛錬を積んだか分からないが、立派なものだったといえる。だが、それ以外の魔法は使えんだろうな。使えても僅かな肉体強化くらいだ」
「ど、どうしてそんなことがわかるのよ! やってみないと――」
「聞いたことはないか? 魔王には一応でも“魔眼”があるのだぞ?」
魔眼という言葉を聞いて、食い気味だったラニアが退いて行く。
「知っているとは思うが、魔眼でも“魔王の眼”はそんじょそこらの魔族とは違うのだ。お前の魔法適性なんぞ手に取るように分かる。故にお前に告げよう。お前に洗浄魔法は使えん。覚えたユーラにでも掛けてもらうことだな」
「くっ……」
ラニアが悔しそうな顔で此方を見ているが、どうしようもない。無理なものは無理だ。
「それで、下着とやらはもうこれでいいのか?」
「え、えぇ……。ここで取り扱っているものでなんとかなるみたいだから、あとは同じ大きさのものを何枚か買えば終わりね」
「そうか、ならば確認のためにあいつにも見せてこなければな」
「え、ちょ、どういう――」
ラニアを無視して、私たちに近い場所で男物の服を見ていた勇者へ走っていく。
「お、どうだ、勇者! 似合っているか?」
「あぁ、服も選んだのかい? それなら……っ!?」
声を掛けられ振り返った勇者は、私を見ると顔を真っ赤にして慌てだした。
「ど、どうしたのだ? 似合っているか聞いているのだ。早く応えんか!」
「え、いや、あの、うん、あれだよ、似合ってる! だ、だから、ラニアたちの所へ戻ろう?」
「どうしてそこまで慌てているのだ。昨晩もそうだが、我を見て何を慌てることがあるのだ?」
思い出した。「他人に対してあまり下着は見せないほうが良い」と、昨晩の説教で言われていた。はしたないとかなんとか……。
別に私は、勇者になら見られてもいいような気がするのだが……。“自分の力”という下着よりも大事なものを、不慮の事故とはいえ奪われているのだからな。
「そりゃ、女の子のそんな恰好見れば誰だって慌てるわよ! 早くこっちに来なさい!」
「お、うおっ」
片腕を腹に回されて元居た場所まで連れ戻される。
おそらく、ラニアは腕っ節――物理的な戦闘だけなら、あのオーガに敵うほどだな。魔法を絡められたら、すぐ敗れるだろうが。
「はぁ……今後どうなるのやら……」
「どうなるかはお前たち次第だな。話してわかったが、我は世俗に疎いようだ。その辺の事をいろいろと教えて貰いたい」
「このままじゃ変な所に連れて行かれるのも時間の問題だと思うからしっかりと教えるつもりよ……はぁ……」
「世話になるな。よろしく頼む。あ、あとあまり溜息をつくのは良くないと聞いたことがあるぞ。幸せが吐き出され逃げてしまうというじゃないか」
服屋に来る途中で、人間の親子が話しているのを聞いたのだ。早速役に立つ時が来るとはな。
この言葉に、ラニアは震え、私に向かって口を開く。
「だ……誰のせいで溜息が出ていると思ってるのよ!!」
ラニアの声が店内に響き渡った。
世話好きな女の子っていいですよね
どんどん感覚が開いていくと思います。ごめんなさい。
でも更新は頑張るので、よろしくお願いします。
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