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9:西街区 路上、町娘:リタ(1)

 不審な余所者――そう感じ取ったときリタは男を追った。ヌワコット西街の路地を軽やかに駆け抜けた。


☆☆☆☆☆

 

 ヌワコットは万年雪と神々が住まうコングール大山脈の中腹に生まれた街であり、大陸東西交通の要所となる場所に位置している。ヌワコット(七つの丘)というその名の通り7つの丘を睥睨する街だ。街は大きな山に形成された神殿と、それを取り囲む住居と広場と水路によって形成されている。外周は斜面や崖を利用しながら街壁が築かれ、住居は全てその壁内にある、城壁都市だ。街壁外にあるのは夏の盛りに使われる放牧用の小さな家畜小屋か、睥睨される7つの丘に作られた小さな見張り小屋ぐらい。城壁の三門(南門・東門・西門)には楼閣が建ち、山裾の草原からも街を望むことができる。


 街の中心は何といっても北側にそびえたつコングール・チュベ(白い帽子の山)とその涯壁に築かれた宮殿ダルバールだ。山は高く険しく山頂部は万年雪を頂く。山の形状は綺麗な円錐――懸垂曲線――に固めた砂の一角を削り取ったかのような垂直な崖が一部にある。その山の南面にある崖、その岩盤をそのまま横に掘り進めて室内を形成し、崖の外観には日干し煉瓦と朱塗りの柱や瓦にて飾られた宮殿であり社殿。この2つが一体となり全ての中心となっている。全ての――というのは誇張ではなく、それは街の地形的なものであり、住人の精神にも至る。

 宮殿ダルバールは歴代女王が住んでいる王宮であり、行政機関であり、霊廟だ。ヌワコット住民だけでなく近郊の村々だけでなく東西交易路から南北の支路に至るまで数多くの都市と国、大勢の民からの信仰を一身に受ける。山岳民が信仰する「山の神」、その神の妻として生き神として女王がいる街、それがヌワコットだ。


 リタの住む下町はヌワコットの西側斜面に形成されている。この街には日当たりと風向きから、形成にある一定の法則がある。街の南斜面、一番日当たりのよい斜面は広場であり市場であり大きな公共施設を中心に形成されている。隊商の宿場宿もここに設置され、繁華街も形成している。東斜面は年中吹きつける風を避ける場所となり、日差しも柔らかい、ゆえに豪商の館や中産階級の家屋が立ち並ぶ。そして西斜面はやや下層、職人や肉体労働者や下働きを生業とする者たちの街区となっているのだ。

 西側は年中風に晒される。

 夏の暑い時期ならば、まあありがたい。砂交じりゆえに始終、室内を掃き清めなければならないのは主婦たちの文句の種ではあるが、涼しいのは良いことだ。水路を十分に行き渡らせて涼を取ることのできる南と東斜面と違い、砂で水路が塞がりやすい西斜面は午後の日差しと相まって非常に暑い。そして夏の暑さ以上に厳しいのは冬の厳寒期である。冬場の身を切るような冷気の暴風にさらされる西斜面は、年に何度か凍死者を出す。室内にいても薪や毛布が不足するような生活となる家庭では、子どもと老人から倒れてゆくのだ。華やかな交易都市ヌワコット、東西の文化が混ざるヌワコット、女神が統治するヌワコット、そこもまた生き抜くことが過酷な土地だ。ゆえに人々は祈りとともに営みを続ける、少しでも過ごしやすい夏が来るように、少しでも温かな冬が来るように、雪解け水は暖かく、風は程よく弱くあるように。

 山と、水と、風と、空に祈りをささげる、そして神の妻たる女王に頭を垂れる。


☆☆☆☆☆


 ――新参の不法定住者スクワッター


 リタはこの界隈で生活をしている。貧しい下街とはいえ、きちんと届を出してまっとうに生きている側の住人だ。しかし、新たにやってくる者たちはそうとは限らない。周辺での食い詰め者、貧乏隊商からの放逐者、前科者、傭兵崩れ、元山賊――さびれた外観や痛んだ家屋を見て、ここならば自分も勝手気ままにふるまえるに違いないと勘違いをして住み着こうとする者は後を絶たない。しかしそれでは、まっとうな生活を送っている住人たちは困るのだ。貧しいながらも住人は協力し合い生計を立てている。


 そう思いながら不審者――白いぼろ着の男を追った。と、気が付くとリタもそうは足を向けない地区にまで行くことになった。南斜面にやや近い、開けた場所だ。斜面の上層部にもほど近く、本来なら「西の一等地」ともいえるような場所だが、そこは朽ちた倉庫区画となる場所だった。焼け落ちたレンガ跡が残る小さな広場、かつて倉庫だった建物がもう何年も何十年も前に焼失し、今は瓦礫と僅かな草が生えているだけの場所だった、宮殿の朱塗りの一角が、建物と建物の隙間から望むことが出来た。神聖な建物を望める一等地、しかし元倉庫街ゆえに水路からはやや離れ、再整備で街路から切り離され、ちょうど「住みにくくなった場所」だった。それ故に新規住人が来ず、空き地のままとなった区画。「これは本当に不審者だな」そうリタは考えた。


 白いぼろ着の男は、一時期少し悩んだ歩みだったが元倉庫街に踏み入れてからは足早になっていた。すぐに崩れた煉瓦の一角にたどり着くと、しばらく佇んで、それから焼け崩れた煉瓦に埋もれかかった石階段を上った。なんだろう? あの男は浮浪者ではなさそうだ、ねぐらを探している風情ではない。なら、何かの待ち合わせだろうか? 少し不安そうな、少し躊躇いがちな足ぶり、リタはそう感じた。何か危険な品の受け渡し? 何か違和感を感じながらも、その予測もありうると考えた。御禁制の麻薬ハッシシや盗品の扱いかも。前者なら自警団に、後者なら仲間とともに回収する機会を狙うべきかもしれない、盗品の返却に係る手数料も下町の立派な収益だ。そんな事を考えているうちに、男は本来ならば倉庫の2階3階になるだろう位置の石段――倉庫本体はもう朽ちて無い――で、山を睨み据えるような仁王立ちになった。そして唐突な音が発せられた。合図? 符牒? リタが身を固くする。しかしそれは予想を超えた『音』になった。


 風が谷を抜けるような低い低い低い音、音はやがて少しづつ変化し土鳩の鳴き声のような低い音へ、やがて小夜啼鳥ナイチンゲール瑠璃鶲(ルリビタキ)雲雀ヒバリのような甲高い音へと変化していった、一定の旋律の音は、鳥の囀りを再現したものとなり、繰り返し繰り返し奏でられた。


 やがてリタは気が付いた。土笛オカリナだ。下町の住人なら知っている、太鼓どんたくや笛に並んでよく祭りで使われる庶民の楽器、土笛もそこそこ使われる。子供向けの笛のような小さなものは甲高く、大人向けの大きなものは低い音を奏でる。だがそれは素朴な構造による安価な楽器で、軽やかな一定の音頭を繰り返すだけのようなものだ、それこそ子どもの玩具に近い、素人用の楽器。だが、それを、このような「旋律」にしている土笛は聞いたことがない。あまりに流暢に流れる旋律に、リタは背筋を震わせ棒立ちになった。そして繰り返される哀愁の旋律に意識を持って行かれた時、身体から力が抜け、身が震え、リタは足ものとレンガを崩した。割れてガラガラと崩れ落ちた。ずるずると滑る足元に「ひゃっ」と子ども特有の澄んだ響く悲鳴を上げ、あわててレンガ壁にしがみつく。旋律は終わっていた。


 土笛を持った男がこちらを見ていた。静かな黒い瞳は、栗色のおさげ髪、袖なしの赤い毛織物の上着を身に付けた、色黒で痩せっぽっちの下町娘を見つめていた。白い――砂色の服の男がまっすぐにリタを見つめていた。

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