2:砂の王国(2)
荒くれ者が集まる軍勢の中心、獣機ハヌマーンの操者槽の中で、軍勢の長たる「ムルガブ」はまだ僅かに痛みが残る頬を撫でながら敵――自警団と農民兵――の集団を緩めた口元で眺めていた、そしてその前面にぼんやりと突っ立っている古びた大鎧を見つめていた。あの機体にはこの頬に手ひどい傷を――腫れ上がって2日は飯を食えなかった――つけてくれやがった憎い男が乗っている。放浪者の風情の、下手をしたら流民かと見間違うほどに貧相でしみったれた風情の男が乗っているハズだ。
ここから左手、5㎞ほど先に見えるのは、ここ近在で一番のオアシス都市「楼蘭」だ。ここから騎馬や獣機の脚ならはほんとうに目の前の距離といえる。そこに目を付けたのはもう何年も前。少しづつ手勢を増やし、協力者を募り、自ら従える軍勢がついに400を超えるようになった。そろそろ襲撃計画を実行しても良かろうと、いやむしろ万全だとの判断を行い、襲撃前の現地の下見をしようとしたのが十日ほど前。一番財貨を蓄えているだろう屋敷の位置と、若くてやりがいのある娘たちがいそうな家屋や区画を押さえておくべく、信頼のおける手下数名で街に乗り込んだのだ。自ら従えている手勢とはいえ、強奪の権利は早い者勝ちだ。後から「頭の命令だから」という理由で財貨や娘を横取りしたらそれはそれで角が立つ、実入りの良い場所はかっちり直参の部下とともに押さえておく必要があった。
久しぶりの交易都市、手下とともに酒場で軽く数杯ひっかけ、娼婦街をたむろし、そこで見かけた娘のひとりふたりさんにんと、気に入った娼婦や下働きの娘をかっさらって前祝と、都市を出て行こうとした所で、砂と埃にまみれたひげ面の男に出会った。小脇に娘っこを抱えているとはいえ、男の拳はムルガブの目に留まらぬ速さで頬をとらえ、彼は盛大に倒れこんだ。通りの端まで殴り飛ばされ、頭がふらつき手足がしびれ、やっと身を起こした時には手下も全員殴打されていた。このままではすまさんと怒声を上げた。見れば男は引き締まった身体をしてはいたが、野獣のようだと言われ剛腕で鳴らしたムルガブより上背は低かったし、腕回りも胴回りにも格段に違いがあった。が、騒ぎを聞きつけたのか娼婦街の用心棒たちから「すぐに警邏がやってくるのだ」と喚いているのを聞いたとき「俺は団長ムルガブさまだ! 見ていろ数日中にこの街を襲いに来るぞ!」との一声を上げてすぐにどんずら、駐機場からハンダル(ハヌマーンはあえて隠してきた)を駆って街の外に飛び出すことを選んだ。あの状況では仕方があるまい。あの後、手下や砦に残してきた部下を引き締めなおすのに苦労した、何より剛腕と気風の良さで400人の部下を集めた己の矜持を宥めるのには苦労した。
かつて、楼蘭には大鎧があった。ほんの数年前までは都市を支配する王が機体を駆っていたという、だがその王はこの地域一帯の支配権を巡る争いの中でそれを喪失した。王の従者たちもことごとく機体に深刻な傷を負い、やがては喪失したと言う。勝利を得ながらその勝利を保持するための手段を失った王は、腕利きの騎兵や兵士、そして流浪の機士などを雇い入れ、なんとか統治を保っていたたが、徐々に街の周辺においてムルガブを初めとする盗賊集団が跋扈する状況になる頃、戦の傷がもとで病死したという。王の支配を受けついだ女王は、あの手この手で工夫を凝らし、何とか治安維持に隊商警護にと街の経済活動を続けていたが、ついには手に負えなくなった。流浪の機士はこの地を去り、またはムルガブの元に来た。これで決まりだった。ムルガブが無様な真似に陥らなければもう十日も前にこの地はムルガブのものになっていたはずであった。
傷を治すのに2日、手勢を引き締め直すのに数日、砦や近在の隠れ家からの総出にてこの地に戻り、いざ楼蘭を攻め落とさんと意気込んでみれば、なぜか腰抜けの自警団や素人の近在農民どもが一塊になって抗する風情を見せていた。街の外に出てきた奴らなぞ放っておいて強奪に走っても構わないが、さりとて街中に入って収奪をしている最中に個々に叩かれては敵わない。ならば騎兵で蹴散らそうかと、その前に手間を省こうかと「お前らごときが束になっても俺たちに敵うものか、死にたくなければ武器を捨てておとなしく待っていろ」と話を持って行ったのが昨日夕刻の事、すると連中は「盗人に俺らの街を焼かれてなるものか!」「家畜を奪われ、家屋を焼かれ、家族を殺された恨みを思い知れ!」と怒声と罵声を浴びせてきた。その中心に何も語らぬあの男ががいた。あの男は農民兵だけでなく自警団にも支持をされ、この反抗組織のリーダーに収まっていた。そうしたヤツがの背後には大鎧があるではないか、なるほど新たに雇い入れられた流浪の機士であったか、そういえば、流民かと思われるボロ着を思い出してみれば、膝や肘の各関節に当て布を当てた機乗着(に似た何か)でもあったかもしれん。そこでムルガブは「ならば仲間になれ」と語りかけた。もちろん後で約束を守る気などさらさらない、大物ぶって格の違いを見せつけ、あわよくば懐柔し、その後に叩きのめすだけだ。すると農民兵や自警団のやつらは「我れらには指導者がいる!」と言いやがった。確かにあの街には最後の王族として女盛りの身体を持て余した未亡人の女王と、まだガキのような年齢の王女と王子が1人いると聞いている。さてはそこらへんに懐柔されたか。
ムルガブは再び頬を撫でる。アイツは許さん、自らの手で細切れにしてくれる。傭兵崩れのムルガブ、僅か10歳の頃より戦場を渡り歩いてきたムルガブ。弱さは罪であり、弱さは裏切りを呼ぶ。何が何でもアイツを倒し、どちらが強者かを手下に示さねばあらゆる意味で気が済まない。そして楼蘭の女王をこの手で組み敷き、王女と王子は二人並べて裸に剥いてオオカミでも嗾けてくれよう。あの時は酒が入っていた、あの時は油断をしていた、だが今は違う。手下は勢揃い、俺は大型獣機に乗っている。アイツは古びた大鎧だ、負ける理由はひとつもない。大型獣機特有の広めの操者槽の中でムルガブは皮袋からぬるくなった麦酒を口に含む。脚を組み直し、舌なめずり。さて、どんな残酷な方法で切り刻んでやろうか。
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