1:砂の王国(1)
朝焼けに染まる乾いた草原に、人々が「2つの塊」となって集結していた。
遠景から、大地に生まれた模様として捉えたなら、各々の塊は「モザイク模様」と「キルト模様」に見えた。もし空高く舞う鳥の視点で捉えることができたなら、モザイクは「半月状」であり、キルトは「形の崩れた四角」だった。
モザイクは400名前後の「軍勢」であった。構成は騎兵と歩兵がほぼ均等の半数づつ、力強く、獰猛で、剣呑な雰囲気を放って、これから起こるであろう血の宴を待っている。軍装には統一感は全くなく、色合いも異なるために遠目にはモザイク模様のように見えているのだ。ある者は魚鱗や板金の鎧を、ある者は皮鎧を、ある者にいたっては毛皮を身にまとっている、統一感はまったくと言ってなかった。手にする武具もまちまちで、短弓に長弓に弩、手斧に剣に槍に鎚矛、中には鉄片を巻いたこん棒を持つ者までいる、そのどれもが使い古しの黒ずんだ色をところどころ見せている。そして彼らの中には、その身に不釣合いな高価な装身具や宝飾品を身につけている者もいた。全財産を身に纏い、肌身離さず持ち歩いているのだろう、指にありったけの指輪を、兜や鎧の留め金に貴金属を、首飾りを複数下げ、腰の袋には金貨や銀貨の袋を下げている。それらの重さはかなりの物であろうが、それを日常としている者にとって、その重みは煩わしさではなく喜びをもたらす。彼らは元兵士であり元傭兵であり元盗賊であった、今は集まり無法者となった者たちであった。定まる場所を持たず、生むことせず、暴力と強奪にて生きる者たちであった。
一方、キルトは倍する800名程度の「集団」であった。20名から50名程度の小集団ごとに服装的な統一感もあった故に遠目にはキルト布のように見えていた。こちらはモザイクよりも人数は多くあったがとても軍勢とは呼べそうにない風情の集まりであった、集団が持つ、その雰囲気が違っていた。しかし一般人と呼ぶこともできない、ささやかな武装がそれを否定もしてもいた。色良く揃っている集団ならば揃いの長上着と古びた長槍に小剣を持っていた。揃いの上着が無い小集団でも、出身地区や社会階層を示すかのように同系色の粗末な衣類を身に付けており、木板の盾や農具や平鍬や棒を手に取って固まっていた。色合いの揃った長上着の集団はこの近隣にある街の自警団であり、粗末な装備の者たちはその近郊農村の農民たちであり職工たちであった。
そして「軍勢」と「集団」にはそれぞれ「鋼の巨人」が控えていた。
巨人の背丈は6~8m程、その身は鋼の鎧を纏っていた。巨人は、鎧を鋳造する「鍛冶師」と、肉体を創る「培養師」の手によって生み出される存在、人の姿を模した「ヒトガタ」であった。かつては神と崇められ、過去には権力者の力の源であり、現在では戦場で扱われる武具である。
巨人は別称で「機体」とも呼ばれ、大きく分けて2種類に分類される。
人の姿を模したものは「人型」や「大鎧」と呼ばれ、人の姿から外れたものを「獣機」と呼ばれた。
巨人を操る者は「機士」と呼ばれ、かつて全ての王は機士であったし機士でなければならなかった。
ならなかったというのは機体とその搭乗者(操者)には相性があり、誰もが操れるものではなかったからだ。胸部にある操者漕にその身を預け、機体に循環する流体神経回路と自らの精神と心(ここで言うところ、別物である)を一体化させ、その大きな体躯を己がモノとして捉え一体化し、自在に操り動かす。
大鎧は人の姿を模されているがゆえに、その巨体の心理的圧力は強大であった。また繊細で美しい動作も可能であった。場合によっては開墾や建築にも活用でき、人々の営みを大いに助けた。道具や武具を手に取り闘えば戦意高揚に大いに役立った。選ばれた者だけが操れるというところから「神に近い者」や「神に選ばれた者」としての認識に繋がっていった。
そして、それと区別するように獣機を操る者はあえて「獣機士」と呼ばれた。
獣機は大鎧より小柄のモノが多く、その理論でいうならば基本「大鎧」より劣った「補助的」なものとして多く運用されることが多かった。一方で常に例外はあり、大鎧より大きな獣機もあったし、また大鎧より明らかに優秀な獣機もあるにはあったが、その外観が特徴的すぎ、場合によっては禍々しさを感じさせるものでもあったが故に大鎧よりは軽んじられた。また、獣機は過去、一部の王国以外では流浪の狩猟集団において族長などが使用していた歴史も長かったため、ゆえに「蛮族の扱うもの」とか「猛々しい(だけ)の者」が扱うものとしての認識にも繋がった。それゆえに長じて「従属機」や「補助機」という認識を持たれることが多くなった。また獣機の方が大鎧よりは「やや扱いやすく」「人を選ばない」というのもその認識を補強することにも繋がった。
軍勢側に属する巨人は2種類の「獣機」であった。
その内の1種、太い腕をしながらも全体的な印象はやや矮躯であり、姿だけ見れば大猿か類人猿を連想させる。身の丈が6mをいくらか超えている鋼の鎧を身に纏った手長猿。「ハンダル」と呼ばれる機体であった。長く太い腕、やや前傾姿勢の背中、低い重心の機体で、動きに繊細さを求めることは出来ないがとにかく扱いやすく、両腕の腕力は強大であった。一時期はどこの王国でもこぞって入手・運用をしていた普及機でもある。手にする武器は短めの棍棒だが、これは金属の軸を束ね、金属の輪で補強した丈夫なものであり「とにかく当たれば良い」という、不器用な獣機には向いた得物であった。ハンダルの腕力と遠心力が加われば、まともに当たれば大鎧であっても手足がへし折ることができたし、小さな城塞の門扉であれば2~3度叩きつけるだけで粉砕することもできた。今では旧式・老朽機となったハンダルではあるが、きちんとした整備維持をしていればその破壊力だけならいまだに一線級でも通用する機体だ。それらが8体。三日月状に広がった軍勢全体に均等に点在していた。
そして残り1種、大型で特徴的な1体。同じように類人猿の姿ながらその体躯は2回りは大きく、頭部も厳めしい。その姿は他の獣機比べて強い存在感を放っていた。ハンダルの上位互換機種である「ハヌマーン」だ。胴回りほどもある両の腕は直立状態でも地面に拳が付くほどに長く、拳脚歩行を行えば走行速度は大鎧を上回り、背中に吊るした鋼からの削り出しで作られた鎚矛を振るえばそれこそ大鎧ですら吹き飛ばす、これに重ね打ちの分厚い鎧を身にまとっていれば、旧式機ではありながら昔日に付いた機体の字名は「機士殺し」。剛腕と重装甲で大鎧の機士たちを震え上がらせていた獣機である。このハヌマーンはその重装甲に似合わぬ飾りも多数付け「大将機」さながらの印象を放っていた。
一方、集団側に属する巨人は「大鎧」であった。
なかなかの風格のあるバランスの良い四肢を持つ8m級の機体は立派でもあったが、この大鎧の外装(装甲板)は傷だらけで色も剥げていた。塗装の剥げ落ち方はいっそ見事と呼べるほどで、今ではほとんど基部の色しか残っていない。基部の乳白色に似た白い砂のような色で全身を覆っていた。武器は腰に吊るした古びた小剣1本と手にする長槍1本。力の抜けた姿で立っている姿は、泰然自若と見えれば頼りがいもあったが、どうにも剥げた塗装がそれをそうは見せることを拒んでいた。完全な老朽機であり、心優しい技師であったら「お爺さん(グランパ)」と呼んだろう。手にする武具は足元に集う自警団の装備によく似ており、彼らにとっては親近感とともにどうにも頼りなげにも見えているかもしれない。
双方の集団はある一定の距離を持って対峙している。
鳥瞰図、上空から見れば軍勢側は薄く三日月の形状にて、集団側は丸く一塊になって、それぞれ守護者たる巨人を前面に押し出して対峙している。
獣機は1体で兵士50人に相当すると言われている。大鎧なら100人だ。となればこれで戦力数はほぼ拮抗する。しかし、装備充分な無法の荒くれ者と、周囲にあるものでとりあえず武装しただけの市民兵及び農民兵では数が1対5でも同一と言えるかどうかは怪しい。もちろん数の優位は大事ではあるが、日頃の闘う気構えや戦場の剣呑な雰囲気に呑まれれば、僅かな劣勢で一気に瓦解するのが農民兵の特徴である。まして無法集団の半数は騎兵、騎兵は兵士10人分だ。となればそもそも拮抗してはいなかった。
遠景には高山、万年雪を備えた神々の頂が見える。東西の交易路となる麓の乾いた草原にて、いま戦が起きようとしていた。
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