婚約者の奮闘
目の前には満面の笑みで紅茶を飲むライナスの姿。隣には今にも彼を殺しそうな目で見つめるクラウディオの姿がある。
この何とも言えない空気の中、二人に挟まれる形で椅子に座っているエルティーナは、何度目か知れない溜め息をこぼした。
* * *
内々にパルフィオール国から結婚の打診があり、エルティーナはこれを了承した。国王である伯夫は渋っていたが、エルティーナが説得したのだ。
『本当に良いのか? 嫌ならはっきりそう言ってくれ。別に断ったからといってすぐにどうにかなるわけではないのだから』
『陛下――いいえ、伯父さま。私が行きたいんです。ライナスさまと一緒に居たいんです』
『エルティーナ……』
『無理なんかしてませんわ。私の本心です』
そう言うエルティーナの顔は本当に穏やかで、その言葉を受けて国王も決断をした。
国王はすぐさまパルフィオール国に親書を飛ばした。両国和平の証としてパルフィオール国第二王子との婚姻を望む、という旨の親書を。
それを受け取り、パルフィオール国の反応は――意外にもめたらしい。
パルフィオール国としてはノーウォルド国との国交を保ちたいという本音はある。第三王子の不始末により、結婚の話そのものが流れるところだったが、幸い、ノーウォルド国側から条件を提示してきた。しかしその相手が第二王子ということが問題だった。
自国でもその存在を持て余している第二王子である。王宮に寄りつかず、まさに自由気ままに生きていた王子だ。果たして国が命じるままに結婚を承諾するのだろうか? また結婚式当日にとんずらなどされたら今度こそ開戦だろう。
結婚を急いで両国の国交を保とうとする急進派と、ノーウォルド国としっかりと話し合い、様子を見ようとする穏健派との間でこの話はもめたが、最後には第二王子であるライナスの強い希望で、エルティーナとライナスの結婚の儀が決定したのだった。
両国とも、今度の結婚は時間を置いて相互理解の期間を置いてから結婚式を挙げることにする。ライナスはそのことに不満そうだったが、しばらく恋人期間ができたのだと思えばそれも楽しいかもしれない、と思うことにした。
誰もがこの結婚に納得し、祝福していた。――ただ一人を除いては。
* * *
重苦しい空気がここ一帯を包んでいる。その重圧に耐えきれなくなったエルティーナはそっとクラウディオにクッキーの乗ったお皿を差し出した。
「お兄様、こちらいかがですか? 朝から私が焼いたんです」
遠慮がちに差し出すエルティーナの姿を見てクラウディオの顔が笑み崩れた。それはクッキーを食べるごとにどんどん酷くなっていく。
「ティナの作るクッキーは本当に美味しいよ」
「嬉しいですわ」
「もっともティナの作る物は何でも美味しいんだけどね」
幸せそうに微笑むクラウディオにホッとしながら、エルティーナはライナスにもクッキーを差し出した。もちろんライナスもとても嬉しそうに手を伸ばす。しかしその手はエルティーナの手作りクッキーを掴むことはできなかった。
エルティーナがライナスにお皿を差し出すと同時に横からクラウディオが手を伸ばし、残っていたクッキーを残らず取って口に放り込む。辺りにはクラウディオがクッキーを頬張る音だけが響いた。
エルティーナは申し訳ない気持ちになりながらライナスを見れば、彼は気にしてないというように首を横に振った。
見つめ合う二人と、それを忌々しそうに見るクラウディオ。
クラウディオが再び二人の邪魔をしようと身を乗り出したとき、侍従が控えめにクラウディオを呼んだ。当然、クラウディオは冷徹な目で彼を振り返る。
「なんだ」
「あの……お客様がお見えで……」
「待たせとけ。それが駄目なら追い返せ」
あまりにも無謀な言葉に侍従が泣きそうな顔をする。それを見て、エルティーナはクラウディオの袖を遠慮がちに引っ張った。
「行ってきてください」
「ティナ……」
「お待たせしてはダメです。急ぎの用事かもしれませんよ?」
そう言ってジッとクラウディオを見つめる。クラウディオはそんなエルティーナの視線をまっすぐに受け止め、勢いよく席を立ち上がった。
「ちょっと行ってくる。…………変なことするなよ」
エルティーナに満面の笑みを浮かべて一言告げ、ライナスには刺し殺しそうな視線で釘を刺してその場を離れた。クラウディオの姿が部屋の扉の向こうに消えたのを見て、エルティーナは思いっきり息を吐き出す。
「ごめんなさい。居心地が悪いですね……」
自分の兄の所業を振り返り、エルティーナはしょんぼりと肩を落とす。それを見て、ライナスは心配ない、というように首を横に振った。
「気にしてないよ。それにしてもクラウディオ殿は君のことが目に入れても痛くないほど好きみたいだね」
「可愛がってくれることは嬉しいのですが……」
「確か君と兄君は母君が違ったと思うけど?」
ライナスの言葉にエルティーナは黙然と頷いた。クラウディオは前公爵夫人の子供で、エルティーナとは半分しか血がつながっていない。前公爵夫人はクラウディオを出産後体調を崩され、クラウディオが三歳のときに亡くなった。
その後、公爵は後妻を娶る。それがエルティーナの母親だ。一年後にエルティーナが誕生したのだが、これをことのほか喜んだのが、クラウディオであった。
「お兄様は小さいころからとても私のことを可愛がってくださいました。……可愛がりすぎたとも言えますが……」
エルティーナのぼやくような暗い声が、彼女の気持ちを如実に現していた。
エルティーナの母親とクラウディオの関係は継母と継子という関係だが、本当の親子のように仲が良い。さらにクラウディオはエルティーナの誕生を心から喜び、その成長を蔭に日向に見守ってきたのだった。
それゆえにエルティーナへの愛情は人一倍深かったりもする。
「よく君の政略結婚を許したね。しかもあの騒動じゃあ、君の兄君は怒り心頭だったんじゃないか?」
その言葉にエルティーナは黙って遠くを見た。
エルティーナとエセルバートの婚約話が出た時、一番反対したのはクラウディオだった。エルティーナを政略結婚の駒にすることに怒り、国を出て嫁ぐことを嘆いた。
しかし国王に国のために必要なことなのだ、と諭されると渋々ではあるが納得した。それからは数少ない年月を惜しむように過ごしたのだ。
ところが結婚式当日、花婿はエルティーナの前で駆け落ちした。残されたのは祭壇の前で純白のドレスを着たエルティーナとこの状況を読めない参列者だけ。
我に返ったとき、一番怒っていたのはエルティーナの父親だったが、国に帰国したとき最も怒っていたのはクラウディオである。喚き散らす父親の背後で密かに軍隊の準備なんかを始めているのを見つけた時は、エルティーナは文字通り飛び上がって兄を止めたのだった。
ライナスはクラウディオが結婚に反対する理由を知り、密かに溜め息を漏らす。まぁ、結婚式当日に駆け落ちなんてしたのだから、信用がないのも仕方がない。
エルティーナが大好きで、大事なクラウディオのことである。今、エルティーナとライナスが婚約しているこの状況はとてつもなく面白くないだろう。
「今回の結婚もまったく許してくれていないんだね」
「その通りだ」
響いた声にエルティーナもライナスもびしりと固まる。振り返れば不機嫌そのもの、という表情でクラウディオが二人のことを――どちらかというと、ライナスを――睨みつけていた。
ライナスはクラウディオの視線を正面から受け止める。それを見て、クラウディオは陰険な目つきで盛大に舌打ちをした。
まるで下町のごろつきみたいだな……。賢明にも、ライナスは口には出さなかったが。
「そもそも政略結婚するのが間違いだったんだ。エルティーナが結婚する必要はないし、パルフィオール国になんて絶対やらない。あんな遠くにやるなんて……」
「お兄様……」
きっぱりと言い切ったクラウディオにエルティーナは困った顔をした。最後の方はクラウディオの願望だが。
エルティーナはクラウディオをジッと見つめた。期待に満ちた目で。エルティーナのその視線にクラウディオはちょっと怯むと、気まずそうに目を逸らす。
「お兄様、結婚は私の希望でもあるんです。……祝福してくださらないの?」
「うっ」
上目づかいで見上げるエルティーナにクラウディオが気まずそうに固まった。クラウディオはエルティーナのためを思って言っているのだが(少しの下心はもちろん含まれているが)エルティーナに責められるような目で見られると、良心が痛む。
「エルティーナ、お前の幸せが僕の幸せなんだよ? 政略結婚なんかじゃなくて、本当に心から好きな人と幸せな人生を歩んで欲しいんだ」
「分かっているわ。お兄様の気持ち、本当に嬉しく思います」
エルティーナはクラウディオの目の前に立って、その手を自分の両手で包み込んだ。
クラウディオの行動が、エルティーナの真の幸を願っていることは知っている。だからこそエルティーナはクラウディオに祝福して欲しいのだ。
「この結婚は私が決めたんです。誰に言われたわけでもないの。心から望んでいるのよ」
「でも……」
「僕が必ず幸せにします。誰よりも幸せに」
さらに言い募ろうとしたクラウディオの言葉を、ライナスが遮った。エルティーナの背後に立ち、まっすぐにクラウディオのことを見つめる。
エルティーナの肩に手を載せれば、クラウディオが射殺さんばかりの目で見ていた。それを分かっていて、ライナスも自身の方にエルティーナを引き寄せる。
嫌な沈黙が周囲に満ちた。エルティーナはなんだか胃が痛くなってくる。
「……本当にこの男でいいのか。他にも居るんだぞ? 騙されてないのか?」
「騙されているだなんて」
「こんなふざけたやつ……!!!」
クラウディオが奥歯を噛みしめ、じろりと睨む。ライナスは決意を表すかのように一歩前に出た。ずいっと身を乗り出し、クラウディオの手を取った。
「エルティーナのことは僕が必ず幸せにします。だから心配しないでください、おにいさっ!!!!」
「お前にお兄様と呼ばれたくない。死んでも」
クラウディオに思いっきり足を踏まれ、ライナスの顔がわずかに歪んだが、掴んだ手は離さなかった。たとえつま先で足の甲をぐりぐりされても。
笑顔で手を掴み続けるライナスをクラウディオは睨み、そして呆れたように溜め息をこぼした。それは仕方がないな、というような溜め息で。顔はまだ納得していないと書いてあったが。
「……婚約は、認めてやる」
「お兄様!!」
「ただし! 結婚までに問題が発覚したら今度こそお前の国を焦土にしてやるからな!!」
高らかに宣言し、クラウディオを感極まったようにエルティーナを抱きしめた。エルティーナも両腕をいっぱいに広げてクラウディオを抱きしめる。
「ティナ……君には幸せな結婚をして欲しいと思っていた。好きな人と」
「大丈夫です。ライナスさまのこと、それなりに好きですから」
「そうか……」
「これからもっと好きになれるかもしれないし」
言い募るエルティーナの言葉にライナスがしょっぱい顔をしたが、今回も賢明にも黙っていた。
クラウディオはエルティーナを離すとゆっくりとライナスに近づく。そして右手を差し出した。
「妹を頼むよ」
「……はい」
ライナスがその手をしっかりと握った。その姿にエルティーナも頬を緩ませて、嬉しそうに微笑む。
実はクラウディオが、手の骨が砕けそうな力でライナスの手を握っているなんて、エルティーナは夢にも思わないのだった。
―END―
読んでいただき、ありがとうございます。
この小説は「姫君の結婚」と「王子の求婚」の続編です。
今回はエルティーナを溺愛するお兄さんのお話です。
ライナスは変人で通っていますが、クラウディオはエルティーナに関してだけ、変になってしまいます。
今回、エルティーナの結婚に反対する最大の障壁が出てきました。
なんとか説得できましたが、彼は今後も何かと邪魔をするのでしょう。
クラウディオの愛は兄弟愛です。一応、念のため。
また機会があれば、続編を書きたいなと思っています。
何かありましたら、遠慮なく書き込んで下さいませ。
*藤咲慈雨*