中編‐2
私はもうろうとした意識の中
二つの声を聞いた。
「……それで、この子をどうするつもりですか?」
「どうするもこうするも、放っておくわけにもいかないだろう。傷の手当が済んだら、目を覚ます前に森の入り口に置いてくる。朝になれば村の者が見つけるだろう」
「それが一番妥当かしらね……」
私はゆっくりとまぶたを持ち上げた。
その明るさに一瞬目が痛んだ。
だがよく見れば
灯りはテーブルの上の古びたランプだけのようですぐに目が慣れた。
誰の家だろう?
どうやらベッドに寝かされているようだが。
確か私は森の奥へと歩いていたはずだ。
こんなところに人が住んでいるなど聞いたことがない。
いるのは動物達と
噂の悪い魔法使いと囚われの天使様だけ。
……魔法使い?
私は気付かれないよう薄目でテーブルを囲む二人を見つめた。
一人は長く綺麗な金髪の女性だった。
その双眸はまるでサファイアのように美しく
吸い込まれてしまいそうなほど深い青色だった。
そして何より
その美貌たるや言葉では言い表すことはできなかった。
自他共に認める村一番の美しさを持つ娘も
彼女の前では足元にも及ばないだろう。
もう一人は歳若い男のようだが後姿しか見えない。
足元まで隠した長いローブを身にまとい
テーブルの反対側に座る女性となにやら話をしていた。
そして私は男のローブに目を奪われた。
まるで昔話や御伽噺に出てくる魔法使いの着るような古風なローブ。
こっそりと部屋の様子を伺うと
壁際にはこれまた古風な木の杖が立てかけてあった。
……間違いない。
こいつが魔法使いだ!
と言うことはテーブルの反対側の綺麗な女性が天使様?
何か想像していた「囚われの身」とはずいぶん違うようだけど……。
それに二人とも普通の人間に見える。
だが関係ない。
私は寝返りをうつ振りをしながらポケットをまさぐる。
よかった。
リボンを切るために持ってきたハサミはまだ入ってる。
正直このハサミで魔法使いをやっつけられるかは疑問だが
やってみないとわからない。
私はハサミの柄を握り締め
ベッドから跳ね起きた。
「うおおおおおぉぉぉぉぉっ!!」
雄叫びを上げ
ハサミの刃先を魔法使いの背中に向けて突進する。
だが。
「……やれやれ」
「っ!?」
「助けてもらった人に対してこの仕打ちか。親の顔が見てみたいな」
ハサミは魔法使いの背中まであと数センチというところで止まっていた。
魔法使いは振り向きもせず
後ろ手でハサミの刃を握り締めていた。
そしてその力の何と強いことか!
押しても引いてもハサミは少しも動かなかった。
私の十歳相応の非力な腕力であることを差し引いても
それは尋常ではない力と言えた。
「ふん」
「わっ!」
そして魔法使いは少し腕に力を入れた。
それだけで私は手からハサミをもぎ取られ
ベッドの上に吹き飛ばされていた。
「……あなた、子供相手に本気を出して恥しくないのですか?」
「全く」
「はあ……」
これっぽちも悪びれる様子を見せない魔法使いに
天使様は呆れたように溜息をついた。
もっとも
二人のそんな会話も私の耳には入っていなかったが。
唯一の得物を奪われた上に
力の差を見せ付けられ
ベッドの上に転がされた私。
もうこの魔法使いに対抗しうるすべはなかった。
だから私は吼えた。
「逃せ!」
「うん?」
「魔法使いめ! その天使様をここから逃せ!」
「……は?」
「俺のことはどうでもいいから! その天使様を逃せ!」
「…………」
捨て身覚悟というか
私は自分の命よりも天使様の命の方を優先していた。
それほどまでに天使様が美しかったと言うことではあるが。
しかし私の目の前にいるのは
私の言葉に阿呆のように呆ける魔法使い。
その表情に私は少し違和感を覚えたが
それ以上に魔法使いの後ろに立つ天使様の様子に驚いた。
何てことはない。
天使様もまた不思議そうな目で私を見ていたのだ。
あれ?
私の頭の中は疑問符で埋め尽くされた。
天使様はこの悪い魔法使いに囚われているはずだ。
それはつまり
いやいやここに閉じ込められているということで
天使様は逃げ出して自由になりたいはずなんだ。
そりゃここまで来る途中で取り乱したり
気絶するように寝入ってしまったり
魔法使いに返り討ちにあってはいるが
子供とは言え助けに来た私に対しそんな不思議そうな目をすることはないはずで。
……あれ?
「……おい小僧」
魔法使いが眉間のシワに指を添えたまま声をかけてきた。
「お前、何でこの森に入ってきた」
「何でって……」
「いいから答えろ」
魔法使いのやけに目つきの悪い眼差しに見据えられ
私は思わず姿勢を正した。
「お、俺は……天使様が悪い魔法使いに捕まってるって聞いて……助けに……」
「…………」
「…………」
一瞬
魔法使いと天使様は目を合わせた。
そして。
「はあ……」
「くすくす……」
魔法使いは深く溜息をつき
天使様は口元を押さえて笑い出した。
その状況を理解できずに
私はただベットの上で呆然と二人を見比べていた。
「なるほどなるほど……俺がこの森に人が近づかないよう流した噂がそういう形でガキ共に伝わっていたのか……。どうりでここ最近村のガキ共が森をウロウロしていたわけだ……」
「そうみたいですね。くすくす……。まあ噂は人伝で伝わるわけですから、原形を留めなくなるのも当然と言えば当然ですよね」
「いや噂が変な感じに変わったのはお前にも責任があるだろ。前に夜中、外出歩いたろ。それを村の奴らに見られたんじゃねえのか」
「ああ、そうかもしれませんね」
「他人事のように言うな!」
天使様の言葉に食って掛かる魔法使い。
魔法使いの言葉遣いは一貫して悪かったが
二人の雰囲気はとても囚われの天使と悪い魔法使いというものではなかった。
「え……もしかして、俺の勘違い……?」
「勘違いと言うより、噂違いですかね」
「じゃあ天使様は、捕まってるんじゃない……?」
「ええ。私は自分の意思で、この人のそばにいるのよ」
「…………」
か、勘違い……!
もとい噂違い!?
私は顔から火が出るかと思った。
女の子達の噂を鵜呑みにして
ここまで来たのに!
頭を抱える私に
天使様は小さく微笑んで手招きした。
「ほら、こっちにいらっしゃいな」
「え……?」
「大丈夫ですよ。何もしません。ただ傷の手当をするだけです」
「傷……?」
そこで私は膝小僧を擦り剥いているのに気付いた。
今までは何ともなかったが
気付いた途端に膝が痛み出した。
「いった……」
「ふん。それくらいの傷で悲鳴を上げるとは情けない」
そう言って
魔法使いは無理やり私の足を掴み押さえ込んだ。
「な、何をする!」
「治療だ。大人しくしてろ」
魔法使いはローブのふところから小さなビンを取り出した。
その中身は毒々しいほど薄気味悪いピンク色の液体だった。
「何だそれ!?」
「薬」
「毒の間違いだろ!」
「うっせえな。薬か毒かは自分の身をもって確かめろ!」
「ぎゃあっ!?」
魔法使いは遠慮なくその怪しげな液体を私の膝の傷にぶっかけた。
メチャクチャ沁みる!
だがその痛みに耐えながら傷を見ると
奇妙なことが起こっていた。
ピンク色の液体が傷口に這入り込み
まるで固まったかのようにかさぶたへと変化したのだ。
もちろん痛みもない。
むしろひんやりとして心地良いくらいだ。
「すげえ……」
「ふん」
魔法使いは自慢げに鼻で笑うと
さっさとテーブルに戻った。
「はい、どうぞ」
「え……?」
いつの間にかどこかに行っていた天使様が戻ってきた。
テーブルの上には小奇麗な小さなカップが置かれていた。
中身は白い飲み物。
「ハチミツ入りのホットミルクですよ。お飲みなさいな」
「い、いただきます……」
私は遠慮がちにそのカップを手に取った。
……温かい。
私は体の芯から暖まっていくのを感じた。
一口
また一口とミルクを飲んでいく。
天使様は私を微笑みながらずっと見ていた。
魔法使いも魔法使いで
興味なさげではあるが確実に視界の隅には私がいただろう。
ハサミを片手に背後から襲い掛かったのはついさっきのことなのだが。
何だか気まずくなり
私は声をかけた。
「あの……」
「あら? どうしました?」
「えっと、二人は魔法使いと天使様……で、いいんだよね?」
「ああ、そうだ」
「私に関しては、元、ですけどね」
「元?」
「はい」
そう頷き
天使様はおもむろに立ち上がった。
そして着ていた上着を脱ぎ
背中を私に見せた。
「……っ!?」
私は言葉を失った。
天使様は上着の下に背中の大きく開いた純白のワンピースを着ていた。
そしてあらわになった背中には
まるでもぎ取られたかのように
根元のところで途切れた翼があった。
その切り口の生々しい傷が目に入り
私は寒気を覚えた。
「おい……ガキに見せるようなモノじゃないだろ」
魔法使いは苦虫を噛み潰したような表情で呟いた。
「あら……それもそうですね。すみません、気が回らなくて……」
「ったく、いつまで変わらねえよな、そういうとこ」
「な、なな……!?」
「何でこんなことになったのか、ですか?」
私は何度も頷いた。
すると天使様はどこか寂しげな笑みを浮かべた。
「これは一種の罰ですね」
「ば、罰……?」
「はい。人間に恋をしてしまった天使に対する、罰」
人間に恋した天使?
「人間は不純な生き物。全ての存在を変化させ続ける存在。そんな生き物に心を奪われた天使は翼を折られ、地に堕とされるのです」
「そんな……」
「それだけならまだしもな」
魔法使いが皮肉めいた口調で呟いた。
「相手が俺みたいに人間の枠を超えちまった魔法使いじゃあ弁明の余地もねえよ。不純どころか不浄な魔法使いじゃあな」
「不浄って……」
「俺達魔法使いとか魔女はお前ら人間に嫌われてるがな、本当なら薬の扱いに長けただけのただの人間なんだよ。だがちょっとばかり異常な奴が多くてな。薬の研究のために自分の体を実験台にしたり、長い時間をかけて精製する薬のために寿命を弄ったりな。……かく言う俺も、このナリでもう三百年は生きている」
不浄だろう?
魔法使いはそう口にして顔を歪めた。
「かくして俺は他の魔法使いや魔女同様に不気味がられ、住んでいた村や町どころか国を追われたとさ」
「そして私は運の悪いことに、偶然見かけたこの魔法使いに心奪われ、天から堕とされたのです。そして末永く二人ぼっちで森の奥に隠れ住むことにしましたとさ」
二人は小さく笑った。
だが魔法使いも天使様も
浮かべた笑みは
こちらが涙したくなるほど哀しげな笑みだった。
「そんな……たったそれだけで?」
私は無意識にそう呟いていた。
私はまだ十歳だった。
世の中のそういう汚い部分は理解できなかったのだ。
「何でたったそれだけでそんな目に遭うんだよ!? 何で人間を好きになっちゃっただけで翼を折られるんだよ!? 何で人よりも長く生きてるだけで住んでた所を追い出されるんだよ!?」
何で……。
私はいつしか涙を流していた。
頬を伝い落ちる涙を
天使様は優しく拭ってくれた。
「優しいですね」
「……俺は、別に……」
「いえ、あなたは優しい子です。私達の代わりに泣いてくれるんですから」
そう言って笑った天使様の笑みは
やはりどこか哀しげだった。
「ふん。……やっぱりガキに話すようなネタじゃなかったな。俺もずいぶんと焼きが回ったもんだ」
そう言って魔法使いは苦々しげに吐き捨てた。
そのとき私は直感した。
本当はこの魔法使いも人間が好きなんだ。
だけど不気味がられるから
煙たがられるから
こんな態度を取って他人を寄せ付けないようにしてるんだ。
嫌われるのが嫌いだから人を嫌ってる振りをしてるんだ。
私は思わず口にした。
「なあ、俺、またここに来てもいいか?」
「あぁっ!?」
予想通りと言うか
魔法使いがこれでもかと言うくらい嫌そうな顔をした。
「いいわけねえだろこのガキ! そもそもこの森に誰も近づかないように『悪い魔法使いが住んでる』って噂を流したんだ! それがこいつが勝手に出歩いたおかげで変な尾ひれが付いて噂は広まっちまうしよ! これから俺は村に行って噂の記憶を消すところなんだ! お前も例外じゃねえぞ!? むしろ率先して記憶を消してやる!」
ぎゃあぎゃあと捲くし立てる魔法使い。
だが私も私で負けじと叫び返した。
「それがどうした! 俺はこれでも村一番のワルガキだぜ!? こんな危険一杯で美味しそうな森を遊び場にしないわけがねえだろ! 何度道に迷わされても、絶対ここにたどり着いてやるからな!」
「ぬかせガキ! 俺が本気を出したらお前なんか一歩森に入った途端入り口に逆戻りだぜ!?」
「やってみな! 何度でも挑戦してやるから覚悟……し、と……け…………よ……?」
あれ?
私は呂律が回らなくなった。
さらには視界もグルグルと回って気持ち悪くなってきた。
私は魔法使いを睨むように見据えた。
「何……した……?」
「ん? ミルクにちょっと薬を混ぜた。すぐに朝までぐっすりだぜ」
ニヤリと魔法使いは悪役っぽい笑みを浮かべた。
……やっぱりこいつ悪い魔法使いだろ。
「この野郎……ぜってえ……来てやるからな……!」
「ほざいてろ。寝入ったら記憶消して森の外に捨ててきてやる」
「あなたねえ……」
クックックと喉の奥で笑う魔法使いに
天使様は溜息交じりで呟いた。
「何でこんな人に惹かれたんでしょう」
「知るかそんなこと」
にべもなく言い捨てる魔法使い。
まるっきり悪役同然の口調の魔法使いと
好き好んで彼に囚われている天使様を視界の隅に据えて
私は深い眠りに落ちた。