中編‐1
「知ってる? 森の奥には悪い魔法使いの隠れ家があって、綺麗な天使様を囚われの身にしてるんだって」
誰が始めにそんな噂をし始めたのかは
今となっては分かるわけもない。
私の村の女の子達は日がな一日その噂で持ちきりだった。
囚われの姫君を助ける英雄。
いつの時代でも
年頃の女の子達はそんな御伽話が大好きなのだ。
そして彼女らは
なぜか私達にその英雄の役目を押し付けようとしていた。
もっとも
私達遊び盛りのワルガキ共は
そんな女の子達を鼻で笑ったものだ。
「そんな奴、いるわけないじゃん!」
「だよなー! 魔法使いって、いつの昔話だよ!」
「きっと大人が俺達を森に近付けさせないように流したインチキに決まってる!」
実際その魔法使いがいると噂された森は
昼なお暗く肌寒く
一歩踏み込めば迷ってしまうほど鬱蒼としていたわけで
私達子供にしてみれば非常に危険なところだった。
村のきこりであった私の親父も
滅多なことでは足を踏み入れないような森であった。
だが危険だ入るなと言われれば
入りたくなるのがワルガキのさが。
それに鼻で笑っていたものの
女の子達の注目を浴びたい私達ワルガキは
数人で結託して森の中に入ろうと約束を交わしたのだった。
もっとも
そんな根も葉もない噂になるほど美しい天使様とやらに
一目でいいからお目にかかりたいという願望が根本にあったのは言うまでもないことかもしれないが。
まあかくして。
私達ワルガキ共はその夜
大人達の目を盗んで森へと足を踏み入れたのだった。
なぜ夜かって?
昼間は大人の目があるからというのが一番大きかったが
女の子達の噂では
夜が一番その魔法使いの隠れ家とやらが見つけやすいのだそうだ。
何で夜の方が見つけやすいんだよ。
昼でも暗いけど夜はもっと暗いから見つけにくいだろ。
私達の中に少しは頭の切れる奴がいたら
そんなことを言って私達を止めてくれただろうが
あいにくとそんな奴は一人もいなかったわけだ。
そしてどうなったかと言えば。
「……あれ?」
気付けば
私達は森の入り口へと戻ってきていたのだ。
「おっかしいな」
小一時間ほど
私達はズンズンと森の中を真っ直ぐに歩いていたはずなのに。
もちろん途中で曲がったりなどしていない。
「どうする? もっかい行くか?」
「えー。疲れたよ」
「だな。それに眠いし……」
ふわあ~
と一人が大きな口を開けて大あくびをした。
確かに本来ならとっくにベッドの中で夢を見ているはずの時間だ。
「帰ろっか」
その一言で私達はすごすごと家路についたのだった。
もちろん
家のドアを開けたところで首根っこを御袋に掴まれたのは言うまでもない。
だが私達は根っからのワルガキだったわけだ。
次の日の夜
私達は痛む尻を押さえながら森の入り口に集まった。
今度は御袋にばれないよう眠りについたと思わせた後
寝室の窓からこっそり抜け出してきたのだ。
しかも今回は
一人が手に小さなパンを持って現れたのだ。
「何それ? 腹減った時に食うのか?」
「違うよ。このパンをちぎって地面に落としていけばどう歩いたか分かるだろ」
「おお! なるほど!」
その時は全員それが名案に思えたのだ。
だがよく思い返せば
似たような御伽話をもっと子供だった頃に御袋に聞かせてもらったことがあるわけで。
まあつまりは。
「…………」
「…………」
「…………」
ちぎったパンを落としながら歩き
しばらくしてから振り返ると
茂みから現れたノネズミが美味しそうにパンくずを頬張っていたのだ。
それでも今さら引くわけにもいかず
私達は森の奥へと足を踏み入れたのだ。
だが。
「何でだよ!」
「しー! バカ! 声が大きい! 大人に見つかるだろ!」
「お前の声の方が大きいよ!」
再び私達は森の入り口に立っていたわけだ。
またしてもぐるりと森をさ迷い歩いてしまっていたようだ。
当然私達は眠気に襲われ
渋々家へと戻っていった。
そして寝室の窓から入った私を待ち構えていたのは
腕組みをした親父だったわけだが。
それは当然と言えば当然かもしれなかった。
だがまあここまでくれば意地というもので。
次の日の夜
私達は痛む頭を押さえながら再び森の入り口に立っていた。
しかも今回は昼間のうちに秘密基地で爆睡し
夜に眠くならないように対策を立てるという念の入りようだった。
しかも一度家に帰らず現地集合。
親にばれること覚悟だ。
つまり泣いても笑っても今夜が最後。
もはや女の子に注目されたいとか
美しい天使様の姿を拝みたいとか
そんなことはどうでもよくなっていた。
何としてでも森の奥まで行き着いてやる!
そんな気迫が私達の中に燃えていた。
「そして今回は前の失敗に学んで!」
「おお!」
「リボン!?」
昨日のパンを落とす作戦はなかなかよかったと思う。
だが失敗した理由は単純に
パンだと動物達に食べられてしまうからだ。
そこで今回は
私が御袋の裁縫道具からリボンの束を失敬してきていたのだ。
「これを木の枝に結びながら進もうと思う!」
「すげえ!」
「なるほど!」
他のワルガキ共が私の名案を褒め称えるのが
とても心地良かった。
そしていざ出発。
私はリボンと同じく失敬してきたハサミを使ってリボンを短く切り
だいたい同じ間隔の距離で枝に結んでいった。
振り返るもそこにはやはり枝に結ばれたリボンがあるだけ。
よし。
今回はパンのようにはいかない。
私達は意気揚々と森の奥へと進んで行った。
だがすぐに私達の表情は曇っていった。
「あ。ここ、もう通った道だ」
「またかよ! じゃあ違う方行こうよ」
「待って! おい見ろ……!」
「え、あっ……!」
「どうなってるんだ……!?」
「お、俺に聞くなよ!」
私達の目の前。
そこにはいくつもの枝に結ばれた
無数のリボンだった。
薄暗い森の中
わずかに空から落ちる青白い月光に照らされた大量のリボンに
私は背中に嫌な汗が流れるのを感じた。
そして直感した。
いる。
この森には本当に悪い魔法使いがいる!
でなければ真っ直ぐ歩いてきたはずなのに
こんなにデタラメに目印のリボンが結ばれているはずがない!
きっと魔法使いが魔法を使って
私達をこの森から追い出そうとしているのだ!
「うわあああああぁぁぁぁぁっ!!」
誰からともなく悲鳴が上がった。
そして気付けば私達は走り出していた。
十年。
たった十年しか生きていなかった私達だが
ここまで恐怖したことは未だかつてなかったことだった。
走って。
走って走って。
走って走って走って。
気付けば。
「あ、あれ……?」
暗い森の中
私は一人だった。
「皆……どこ……?」
私はしばし呆然とした。
右を向いても左を向いても
さっきまで隣を走っていた奴らは一人もいなくなっていた。
完全に一人である。
この昼なお暗く
夜は漆黒の闇の如き黒さを湛える深い森の中
たった一人である。
「は、はぐれた……!」
いや
本当にはぐれたのか?
魔法使いの魔法で
皆バラバラにされたんじゃないか?
「うぅっ……」
私は一歩ずつ歩き出した。
いつまでもこんな不気味なところにいたくはない。
今すぐにでも帰りたかった。
ここにいるより御袋と親父に尻と頭を叩かれる方がよっぽど生きた心地がする。
だが歩いても歩いても
森の出口は見つからない。
「何でだよお……」
昨日までは勝手に入り口まで戻れたのに。
いや
戻されたのに。
歩けども歩けども
鬱蒼とした黒い森が続くだけだ。
いつしか目印のリボンすら見当たらなくなっていた。
「う……ぐっ……」
泣き出しそうだった。
もう怖くて泣くような歳ではなかったけれど。
それでもボロボロと涙を流したかった。
御袋の腕の中で声を上げて泣き出したかった。
だが御袋はここにはいない。
私は足が棒になるほど歩き続けた。
もう何時間歩いたか。
足が痛くて仕方がない。
そして同時に眠くなってきた。
足取りもフラフラと心もとなくなる。
視界がかすむ。
まぶたが勝手に下がってくる。
「うぅ……」
そして私は
地面に倒れこんだ。
前中後編の三部作のつもりが思いの外、長文化……!
中編をさらに二つに分けます。