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雪に君が色をつけた

作者: 木村乃村
掲載日:2026/05/16

昼間の熱を吸ったアスファルトが、

夕方の風に冷まされていく。


風呂上がりに半ズボンで歩くには丁度いい。

少し大きいサンダルが何度も脱げそうになる。

どこかの家の食卓は焼き魚らしい。

 

駅までおよそ八分。

駅前にしかコンビニもない。

 

そんな小さな街なのに。


駅のロータリーを遠目に眺める。

バス停の灯りがぼんやり浮かんでいる。

虫がその1点にだけ集まっていた。

 

ポケットに入れた封筒を左手でなぞった。

 

─あの日は、雪だった。


もう、はっきりとは思い出せない。


音の消えた街。

街灯に照らされた白い雪。

 

それでも、あの声だけは鮮明に残っている。


 

学校の帰り道。

その日は、珍しく雪が積もっていた。


車の音、歩く音、人の声。

全部が白い雪に吸われていく。

吐いた息さえ雪に吸われた。


車内は半分ほどの席が埋まっていた。

窓には指で落書きした跡が薄く残っている。

シートから伝わる熱は眠気を誘った。

 

『次、止まります。』

機械音声が静かに流れる。

運転手がマイクで話す声は聞き取れない。


小さく揺れながら停車したバスを降りようとした。

定期券をタッチした瞬間、機械音が鳴った。

運転手の白い手袋が進行を遮った。

「これ昨日で定期切れてますね」

「あっ、すいません」


慌てて鞄から財布を探す。

 

─血の気が引く。

全身のポケットをくまなく探す。

後ろには数人、降車を待っている。


「…っ」

運転手がこちらを見る。

「210円です」

小さく告げられた金額が、やけに重かった。

 

「すみません、財布忘れて…」

言いながら、自分でも情けなくなる。


顔を上げたまま、思考が止まる。


─その時だった。

 

「…210円ですか?」

後ろから声がした。


コートの袖が視界に入った。

ヒールの音が一歩遅れて止まる。

 

彼女は何でもないみたいな顔で、

小銭を運賃箱へ落とした。


硬貨の音が、静かな車内に響く。


「あ…」

言葉が出ない。


「すぐ返します」

慌てて顔を上げる。

彼女は少しだけ困ったように笑った。


「大丈夫ですよ」

彼女は小さく首を振った。


「昔、私も助けてもらったことあるから」

それだけ言って、雪の中へ降りていった。


─扉が閉まる。


ぼんやりとしていた視界に、色が滲み始める。

気が付けば、彼女の背中を目で追っていた。

白い街の中で、黒いコートだけが妙に鮮明だった。


 

アイスを咥えて袋を捨てる。

口から腹にじんわりと冷たさが広がる。

少し頭を押さえながら、来た道を戻る。


道路を白く照らすヘッドライト。

バスがロータリーへ滑り込んでくる。

ブレーキの音が滲む。


─ふと、車内へ視線が向く。

 

声がした。


遅れて、鼓動だけが追いついた。

気づけば、ポケットの封筒を握りしめていた。


吸い込まれるみたいに前扉のステップへ足をかけた。

「…210円ですか?」

小さく笑った。

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