第61話 魔王様と編纂者
ダルクが魔界再建のため出向してから、5年の歳月が経過した。
かつて荒廃していた魔界は、大きく姿を変えている。
魔王城の玉座の間は、もはやただの役所施設になっていた。
そこには、忙しなく働く魔族たちの声が響く。
「次の方どうぞー」
「おーい、これ輸出用に検閲かけてくれ!」
「今月の西領の魔力濃度が規定数値を超えている。優先的にここから送るように――」
そこにはもう、破壊の予感も、滅びの足音もない。あるのは、納期と品質、そして「より良い生活」のために働く、泥臭くも愛おしい「社会」の営みだった。
ダルクは、かつての自室……今では「魔界役所本庁舎応接室」となった部屋のバルコニーに立っていた。風に揺れるのは魔王の外套ではなく、5年前と変わらぬ、しかし少しだけ着古した黒いスーツの裾だ。
その傍らには、かつて幾度となく衝突していた勇者 ー今となっては元だがー がいた。
「観測報告」
アルヴィスだ。
五年前と変わらぬ無表情で、壁にもたれている。
「魔界全域の自治制度は安定段階に移行。
地域衝突は制度導入前の一割以下」
淡々と続ける。
「魔王不在による秩序崩壊の兆候なし」
「そうか。随分と時間がかかってしまったが、ようやくか」
「是。この世界は既に、魔王を必要としていない」
……貴殿を含めて」
ダルクは何も言わなかった。
代わりに、ゆっくりと城下町を見下ろす。
市場が開かれ、道が整備され、魔族たちが普通に働いている。
かつての荒廃は、もうほとんど残っていない。
「……なあ、勇者よ」
「否。もう勇者ではない」
「知っておる。だがなかなか呼び慣れた呼称は抜けぬのだ。
……そんなことはどうでもいい。貴様はどうするのだ」
アルヴィスは一瞬だけ目を細めた。
「何のことだ」
「今後の在り方だ。もう、勇者も魔王も必要なくなった。
ならば貴様は、何として生きていくのだ?」
「私は……この世界での秩序の監視者として。
貴殿が作り上げたこの秩序が壊れぬよう観測する」
「ふん。契約を失ってもなお、秩序の維持を己の役務とするか。
変わらぬな、貴様も」
「否。変わった。
これは私が自ら選びぬいた、己の在り方だ」
その言葉にダルクは一瞬目を見開き、短く告げる。
「そうか。在り方は己で決める、か」
それ以上は何も言わなかった。
空間に静寂が流れていると――
コンコン。
とノックの音が響いた。
「入れ」
ダルクが声をかけドアが開くと、そこには2つの影がいた。
アイゼンとバルガスだ。
アイゼンは「内政局長」として、バルガスは「物流保安局長」として、今やこの世界の運営を支える双璧となっている。
「ダルク様。……我ら幹部、および各地域の代表会議で、一つの結論が出ました」
アイゼンが静かな、しかし確かな意志を込めて口を開いた。
「聞こう。続けてくれ」
「……もはや、貴方様に依存していた頃の我らではございません。この五年、貴方様が敷いてくださった『制度』は、我ら自身の血肉となりました。……誰かが欠けても、誰かが王でなくとも、この世界は自分たちの足で回る。それを証明し続けることが、貴方様への最大の報恩であると、皆が理解しております」
アイゼンは一度言葉を切り、深く、深く頭を下げた。
「……ダルク様。貴方様は、もう自由です。どうか、ご自身がいるべき場所で、好きに生きてほしい。それが、我ら全住民の願いです」
バルガスも、それに続くように頭を下げた。
「……寂しくはなるが、我らはもう、自らの足で歩ける。……だが、たまには『視察』と称して、冷やかしに来てくれ。貴方様の席は、いつでも空けておく」
2人の言葉を聞き、ダルクは再び城下町へと目を向ける。
「……そうか。だが、私がいない間に、予算を私物化するような真似をしてみろ。その時は、税務署より厳しい監査を叩き込んでやる」
ダルクの軽口に、アイゼンたちが寂しそうに微笑んだ。
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そして、3日後。
期間中の業務のレポートをまとめ終えたダルクが、荷物をまとめて見送られていた。
「魔王様!またいつでも来てくださいね!」
「使節団交流の件、忘れずに検討してくださいよ!」
「魔王様、お元気で!」
口々に、ダルクに対して言葉を送る。
その声が収まるのを待って、ダルクも言葉を返す。
「我はもう、魔王ではない」
胸に手を当てる。そこにあるのは、『区民課 ダルク』と書かれたプラスチックのプレートがあるだけだ。
「我は……区役所の、区民課のダルクだ。
出向業務が完了した。そろそろ、自分の持ち場に報告に戻ろうと思う」
その言葉に、アルヴィスが聖剣で応える。
空間を開き、区役所とつなげる。
「ではな、皆の者。
次来るときには、我の恩人佐藤殿と共に来よう」
そう言うと、ダルクは開かれたゲートへと入っていく。
魔界役所に、どこからともなく風が吹き、机の上にある冊子が捲れる。
そこには、こう記されていた。
『魔界役所業務マニュアル 初版編纂者:ダルク=ゼルグ』
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ゲートの先では、佐藤がひとりの男を待っていた。
やがてゲートが白く輝き、中から大きな背格好の影が出てくる。
「おかえりなさい、ダルクさん」
その挨拶に、5年前と変わらぬ威厳に満ちた声で返される。
「ただいま、佐藤殿」
次回、最終話ーー
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