第58話 魔王様と貿易
『再起動まで、あと九十六時間』
玉座の間に置かれたノートPCの画面では、無慈悲な数字が刻一刻と減り続けていた。
ダルクは、賢者たちが書き上げた魔力変換の仕様書と、石碑から書き写した膨大なエネルギー統計を前に、ペンを止めた。
「……ここから先は、私一人では詰められん。エネルギーの受け入れ側の規格、そして法的な整合性。……向こう側のプロの知恵が必要だ」
魔界には当然ネット環境などない。これまで頼ってきた佐藤もいない。そして、今のダルクには一刻の猶予もない。
「……アルヴィス。以前よりも、この場所とあちらの世界の境界は薄くなっているはずだ。強引にこじ開けることは可能か?」
「是。聖剣を触媒にすれば、歩いて行ける距離だと推測。ただし、あちらの『勤務時間』外である可能性が高い」
「構わん。緊急事態だ。行くだけ行ってみる。
……アイゼン、バルガス。少し隣へ打ち合わせに行ってくる。留守を頼むぞ」
ダルクとアルヴィスは、事務鞄を抱え、聖剣が切り裂いた空間の隙間へと足を踏み入れた。
一方、人間界。夜の静まり返った区役所。
残業中だった佐藤は、誰もいないはずの廊下から聞こえた、「佐藤殿、少しよろしいか」という聞き慣れた声に返事をした。
「はい、何でしょうか、ダルクさん。
……って、うわあああ!? ダ、ダルクさん!? なんでいるんですか!?」
「……夜分に失礼する、佐藤殿。至急、この『企画案』のチェックをお願いしたい。……魔界の余剰魔力を、こちらのエネルギー不足の解消に充てるプロジェクトだ」
ダルクは、脇に抱えていた厚い書類の束を、佐藤のデスクに広げた。
佐藤は、ダルクの切迫した様子に圧倒されながらも、公務員として書類に目を落とした。
「……魔力を『特殊高圧ガス』、あるいは『新エネルギー資源』として定義して輸出!? むちゃくちゃだけど、確かにこれなら既存のエネルギー法を回避できる可能性はあります。でも、これ一区役所の権限じゃ……国との協議が必要になりますよ!」
「そこをなんとかできないか」
二人が頭を抱えたその時、背後から重厚な足音が響いた。
「佐藤君。夜中に随分と賑やかな『出張者』を招いていますね」
振り返ると、そこには区長が立っていた。
区長は平然と眼鏡を押し上げ、佐藤とダルクの前に広げられた企画案を手に取った。
「魔界のエネルギー輸入と、エネルギー変換の魔道具の試験導入ですか。……ふむ。エネルギー自給率の大幅な向上と、地域製造業の活性化。……突飛だが、自治体経営の観点からは非常に魅力的な企画案ですね」
「えっ……区長……?」
「佐藤君。窓口で座ってルールを守るだけが公務員ではないですよ。住民の、いや、人類の未来を救う『前例』を作るのが、我々の真の職務です。
ダルクさん、やりなさい。責任は、この私が取ります。ただし、この『検疫』と『関税』の項目は、我が国の法に触れぬよう『経済特区』の制度を利用するロジックに修正が必要ですね。
……今すぐ、会議室へ」
そこからの数時間は、まさに「異世界合同・徹夜会議」となった。
区長のアドバイスにより、魔力を「エネルギー資源」として直接取引するのではなく、あくまで「自治体間の技術協力に伴う副産物の譲渡」という名目で扱うことで、輸入のハードルを下げる方式が組まれた。
「向こうからエネルギー資源として魔力を送るとして、こちらからは何を支払いますか?」
「いや、これは我が世界の存続に関わる問題である。故に無償で引き取ってもらえるだけでも大いに助かる」
「そういうわけにはいきません。貿易という形であるなら、こちらからも何かしらの提供物は必要です」
区長とダルクが、企画案の中身の詳細を詰めていく。その傍らで佐藤は議事録を作成していた。
ここで整理された内容を、即座に企画に落とし込めるように。
「正直言おう。こちらの貨幣は価値がない。流通していないゆえ、ただのコインと紙にしかならんのだ」
「それは困りましたね。農作物も輸出に回すだけの備蓄はありませんし」
「うむ、向こうの事情を押し付けて、こちらの世界の混沌を招く形にはしたくない」
「なにか、向こうで不足しているものはないのですか?消費されるもの以外でも」
「そうだな……」
ダルクは考え込む。なかなか解決策が決まりきらない。
佐藤はふと気になったことを尋ねる。
「ダルクさん、向こうでPCを充電するために、電力に変換する術を構築したと言ってましたよね?
向こうで電気で動くものは他にないんですか?」
佐藤の問いに、ダルクは電気が走ったような衝撃を受けた。
「それだ、佐藤殿!向こうにはもともと電気がなかった。つまり電気で動くようなものも存在しない。
しかし、我はこの世界で学び、向こうにも役所という制度を設けた。
制度を効率よく回すには、それを助ける道具が必要である」
ダルクは、区長に向き合う。
「ゆえに当面の間は、PCやコピー機といった、電化製品を求めたい。
そして技術者だ。電気ではなく、魔力で動くものを作ったほうが向こうでは使い勝手が良い。
そのための技術と教育者の派遣を条件にしたいが、いかがか」
「ええ、ひとまずはそれでいきましょう。ですがいずれ不要になるときが来ます。
輸出入の物資見直しの要項を追加しておきましょう」
その後、佐藤の議事録をもとに修正した企画案を持ったダルクと佐藤らが、会議室から出てきた。
「……完成だ。……佐藤殿、区長。多大なる協力に感謝する」
ダルクは、区役所の公印が押された協定書を手に、再び廊下の裂け目へと向かった。
「ダルクさん! よく分かりませんけど、その新しいエネルギー政策、応援してますから! また落ち着いたらゆっくり話をしましょう!」
世界の真実など知る由もない佐藤の、無邪気で力強い励ましを背に、ダルクは魔界へと帰還した。
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