第54話 魔王様と戸籍
魔界役所の設立から二週間。配給制度が回り始めたことで、餓死者の数は劇的に減った。だが、玉座の間に詰めかける魔族たちの顔には、安堵ではなく「さらなる要求」が透けて見えるようになっていた。
「おい、次の肉の配給はまだか!」「隣の部族は毛布を三枚もらったらしいぞ、不公平だ!」「魔王様、雨漏りがひどい。今すぐ直してくれ!」
窓口に立つアイゼンやバルガスは、際限のない要求の嵐に晒されていた。彼らはダルクから教わった通り、懸命に「公平に」対応しようとするが、そもそも「誰がどこで、どれだけの支援を既に受けたのか」を証明する手段がどこにもなかった。
「……所長、もう限界です」
アイゼンが、ボロボロになったメモを差し出した。
「彼らは『もらえるものは全部もらう』という態度です。しかも、別の部族のふりをして二重に配給を受ける者まで出ている。……このままでは、備蓄が底を突きます」
ダルクは、佐藤から贈られた言葉を思い返す。それは、魔界再建に向けて制度設計のいろはを整理していたときのこと。
『行政は善意のサービスじゃありません。住民を「お客様」扱いしすぎると、社会は依存で腐敗します。自立した「市民」になってもらうための第一歩は、自分たちの存在を登録させ、責任を分担させることです』
「アイゼン、通達を。区画ごとに順番に全ての住民を集めろ」
そして、アイゼンの手配により第一区画の魔族たちが集まった。
ダルクはゆっくりと立ち上がり、窓口に群がる魔族たちを見据えた。
「……静粛に。これより、魔界役所は第二段階へ移行する。……これより、この場にいる全員の『住民登録』を行う」
「住民登録? なんだそれは、新しい魔法か?」
一人の魔族が鼻で笑った。
「俺たちは今までだって、部族のために狩り、魔王様のために戦ってきた。今さら何を登録しろと言うんだ。配給をくれるなら、さっさと出せ」
ダルクは、即座に用意させた木札――『魔界住民票』の雛形を掲げた。
「貴殿らのしてきたことは『奉仕』だ。だが、これからは『納税』だ」
場がざわめく。ダルクは続けた。
「これまでの貴殿らの労働は、強者に吸い上げられるだけのものだった。だが、役所に登録し、定められた労働時間を『公的な奉仕』として提供する者には、相応の『権利』を保証する。……例えば、この『配給優先権』や、役所が管理する『安全な居住区の利用権』だ。登録のない者、義務を果たさぬ者に、公共サービスを享受する資格はない」
「……権利だと?」
最前列の魔族が眉をひそめる。
「そうだ。貴殿が狩った獲物の半分を役所に納めれば、貴殿が怪我をして狩りに行けぬ時、役所が残りの半分を保証する。……貴殿らは、自らの名前を名乗り、自らの義務を果たすことで、初めて『魔王の所有物』から、自らの生活を主張できる『市民』になるのだ。……いいか、不満があるなら言え。だが、それは納税を果たした者の特権だ。義務を負わぬ者に、文句を言う権利はない」
ダルクの言葉に、魔族たちは顔を見合わせた。
「搾取される」のではなく、「サービスを買うための会費を払う」という概念。それは、力こそが全てだった彼らにとって、初めて手にする「対等な契約」という武器だった。
バルガスが、長机を叩いて整列を促した。
「……並べ! 名前を書き、明日から土木作業に従事する者は左へ! 拒否する者は、自力で魔獣と戦い、泥水をすすって生きろ! 役所はもう、何もしない者には何も与えない!」
魔族たちは戸惑いながらも、一人、また一人と住民登録の列に並び始めた。
自分の名前を木札に刻む。それは、不確かな荒野で「一個の住民」として認められる、静かな、しかし劇的な変化の始まりだった。
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その夜。
喧騒が去った執務室で、ダルクは独り、一日の終わりを迎えようとしていた。
窓の外には、住民登録を終えて焚き火を囲む魔族たちの影が見える。かつての軍勢としての殺気はなく、どこか村の夜のような穏やかさが漂い始めていた。
「……ふう。これでようやく、行政の土台が整ったな」
ダルクはネクタイを緩め、椅子に深く腰掛けた。
佐藤から教わった「業務日報」をまとめるのは、今や彼の欠かせないルーチンだ。今日起きたこと、制度の課題、部下たちの成長。それを佐藤に見せる日のために、デジタルデータとして詳細に記録してきた。
「今日の住民登録件数は五百二十一……。明日の労働割り当ては……」
ダルクは慣れた手つきで、デスクの脇にあるノートPCの電源ボタンを押した。
しかし。
「…………?」
いつもなら「ピッ」という電子音と共に輝き出すはずの画面が、沈黙したままだ。
もう一度、強く押し込む。だが、漆黒の液晶は、鏡のようにダルクの困惑した顔を映し出すだけだった。
ダルクは、嫌な予感と共にACアダプターの先を確認した。
魔界にはコンセントなどない。これまでは、佐藤が持たせてくれた大容量のモバイルバッテリー数台を使い回して凌いできた。だが、そのバッテリーのインジケーターを確認すると――すべてのランプが、絶望的に消灯していた。
「……しまった。充電が……切れたか」
魔界のあらゆる記録、佐藤の指導動画、そして再建の設計図。
そのすべてを収めた「現代文明の心臓」が、エネルギーという血を失って停止したのだ。
暗い室内で、ダルクは呆然と黒い画面を見つめた。
ペンと紙はまだある。紙媒体のマニュアルもある。だが、この「電力」という壁を越えなければ、魔界を佐藤の世界のような高度な文明へと引き上げることはできない。
「……アイゼン! すぐに来い!」
ダルクの声が、静まり返った役所に響いた。
それは、魔力を「魔法」ではなく「エネルギー」として再定義する、魔界科学革命の幕開けとなる叫びだった。
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