第53話 魔王様と組織開発
魔界役所が発足して一週間。玉座の間に並べられた長机の上には、もはや白紙の紙など一枚もなかった。
かつての猛将や賢者たちは、ダルクから授かった「事務分掌」という役割を果たすべく、連日連夜、自分たちの部族や担当領域の現状を「成文化」する作業に没頭していた。しかし、それはかつての軍事作戦よりも遥かに彼らを疲弊させていた。
「ダルク様…… 少し、お時間をよろしいでしょうか」
総務課長のアイゼンが、数十枚の羊皮紙を抱えてダルクのデスクへやってきた。その顔は憔悴しきっているが、かつてのような命令待ちの虚無感はない。
「どうした、アイゼン。進捗が芳しくないか?」
「いえ、書き進めるほどに、矛盾にぶち当たるのです。……この『生活物資配給規定』の草案なのですが」
アイゼンは、自らが書いた条文を指した。
「我らはダルク様の教え通り、『公平性』を第一に掲げました。属性や過去の功績を問わず、飢餓レベルに応じて一律の配給を行う……。ですが、これを財務担当と協議したところ、現場の担当者から猛反発を食らいました。……『略奪に加担した罪人と、飢えに耐えて耐え忍んだ民を、なぜ同じ列に並べるのか』と」
ダルクはペンを置き、アイゼンの言葉を待った。
「理屈では分かります。罪を裁くのは司法(刑法)の役割であり、行政は『生存権』を担保すべきだと。しかし、このルールをそのまま適用すれば、耐え忍んできた民の納得が得られず、役所そのものへの信頼が崩壊します。
……我らは『法的な正解』と『民の感情』、どちらを優先すべきなのでしょうか」
それは、佐藤がかつて窓口で何度も直面していた、行政の最も深い傷口だった。
ダルクは、バッグからあの付箋だらけのメモ帳を取り出し、パラパラとページをめくった。そこには、佐藤の文字で殴り書きされた、研修最終盤のメモがあった。
『完璧なルールなんて存在しない。ルールが現実を壊しそうになったら、それがルールの改訂時期。
独裁者のプライドではなく、ルールの不備を認める勇気』
ダルクはその言葉を噛み締め、アイゼンを見つめた。
「アイゼン。佐藤殿はかつて、窓口でこう言われた。『あんたたちは、紙の上でしか人間を見ていない』とな。……その時、佐藤殿は謝罪し、その場で特例を設けるのではなく、翌週にはそのケースを救えるように『運用指針』を書き換える案を検討した」
「……書き換える、のですか?」
「そうだ。ルールは神託ではない。我らが作った不完全な道具だ。……ならば、こう書け。『基本は一律とするが、略奪等の犯罪に関わった者については、一定期間の奉仕活動を条件に配給を認める』。公平性は保ちつつ、民が納得できるけじめを制度として組み込むのだ。……どうだ、これなら現場は動くか?」
アイゼンは目を見開いた。
「……なるほど!罰を与えるのではなく、救済の条件を変える……。これなら、現場の担当者も『説明責任』が果たせます」
「よし、すぐに書き直せ。……次だ。バルガス、貴殿も何かあるのだろう?」
背後で渋い顔をして控えていた元将軍、バルガスが重い口を開いた。
「……保安規定についてだ。ダルク様は『武力行使は最終手段とし、まずは文書による警告を行え』と書かせた。だが、武器を持った暴徒に対し、紙切れを見せて何になる。……私は、自分の部下を犬死にさせたくない。この規定は、現場を知らぬ机上の空論ではないのか?」
かつてのダルクなら、この反抗を不敬として切り捨てていただろう。だが今のダルクは、バルガスの言葉を「現場からのフィードバック」として受け止めた。
「バルガスよ。貴殿が心配しているのは、部下の命か、それとも武人としての誇りか」
「……部下の命だ。警告している間に刺されたら、目も当てられん」
「ならば、規定に『緊急避難的措置』の項目を追加しよう。……佐藤殿のいた世界にも、警察という組織があった。彼らもまずは説得を試みるが、明確な殺意や凶器を確認した際は、躊躇なく力を行使する。……なるほど、これはこの世界ならではの改訂になるな。
だが注意せよ。力を行使した後の報告書は地獄のような量になるぞ」
「報告書……?」
「そうだ。なぜ力を使ったのか。他に手段はなかったのか。それを事細かに記録し、組織として検証する。……バルガス、部下の命を守るために力を使え。ただし、使った後はその正当性を、紙の上で証明してみせろ。それが、軍ではない公的な暴力の責任だ」
バルガスは、己の大きな拳を見つめ、それから短く笑った。
「……殴るより、筆を走らせる方が骨が折れそうだな。だが、分かった。……正当性の証明、やってみせよう」
玉座の間には、再びペンが走る音と、激しい議論の声が響き始めた。
ダルクは、彼らの会話を聞きながら、かつての自分を思い出していた。佐藤に食ってかかり、矛盾を突きつけ、悩み、それでも答えを探し続けたあの日々。
今、目の前にいる魔族たちは、盲目的にダルクに従っているのではない。
彼ら自身の足で「魔界の未来」という不確かな大地に、ルールという名の杭を打ち込もうとしているのだ。
「……佐藤殿。ようやく、こいつらも担当者の顔になってきたぞ」
ダルクは独りごちて、自分の分の起案書に向き合った。
窓の外には、まだ瓦礫が広がっている。しかし、そこを歩く魔族たちの手には、役所が発行した「臨時通行証」や「配給整理券」が握られ始めていた。
魔力による支配ではなく、数千枚の「書類」によって繋ぎ止められた、新しい秩序の産声。
それは、どんな魔法よりも強固で、そして何よりも人間臭い、再生の音だった。
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