第52話 魔王様と魔界役所の設立
「受付」と書かれた旗が王都の廃墟に立ってから数日が経過した。ダルクはアイゼンを通じ、魔界各地に散っていた各部族の長、かつて軍を率いた将軍、そして政務の末端を担っていた知恵者たちを招集した。
会場となったのは、玉座の間。かつては漆黒の魔力が渦巻き、ダルクが玉座から放つ一言が数万の命を左右した場所。だが今、そこに玉座はない。ダルクの命によって玉座は脇へ除けられ、広間の中央には、突貫で作らせた会議用の長机が置かれていた。
集まった有力者たちは、一様に困惑と焦燥を隠せないでいた。
「……ダルク様、そのお姿は、一体」
口を開いたのは、かつて第一軍を率いた猛将、バルガスだった。彼はダルクのスーツ姿に、信じがたいものを見るような目を向けている。
「魔王様、我らは貴方様が戻られるのを、この地獄の中で待ちわびていたのです! さあ、今すぐ号令を! 逆らう他部族を蹂躙し、略奪を働く輩を焼き尽くせと命じてください! 貴方様の圧倒的な武力さえあれば、魔界は再び一つにまとまるのです!」
その言葉に、他の長たちも堰を切ったように賛同の声を上げた。
「左様です! 複雑な理屈など不要! 我らには王が必要です!」
「王の一言こそが『正解』! 我らはその正解に従うのみです!」
かつてのダルクであれば、その咆哮に満足し、力による再統合を宣言していただろう。だが今のダルクは、長机の上に付箋だらけの『自治体運営の基礎』というマニュアルを置き、静かに、しかし冷徹な眼差しで一同を見渡した。
「……バルガス。そして諸君。まずは問おう。我が不在だったこの数ヶ月、貴殿らは何をしていた?」
広間に、冷ややかな沈黙が落ちる。
「我という『正解』がいなくなった途端、貴殿らは略奪に走り、同族を疑い、我と共に積み上げたはずの秩序をわずか数ヶ月で瓦解させた。……たった、数ヶ月だ。我という柱が一本折れただけで、この魔界という巨大な建造物は、ここまで無様に崩れ去る程度のものだったのか?」
ダルクの声は、怒鳴るような大きさではない。だが、区役所の窓口で数多の理不尽な怒号を受け流し、冷静に「法」と「道理」を説き続けてきた男の言葉には、かつての魔力による威圧とは異なる、逃げ場のない重圧があった。
「それは……貴方様がいなければ、我らには拠り所が……」
「拠り所だと? 言い訳にするな。それはただの『依存』だ。貴殿らは、自ら考えることを放棄し、全ての責任を我に押し付けていただけではないのか」
ダルクは長机を指先で叩いた。
「しかし、その依存を作り上げたのは他でもない我だ。
……そして我は、この数ヶ月こことは異なる世界で過ごしてきた。そこには、我のような絶対者など一人もいない。一人のリーダーがいなくなろうとも、明日には誰かがその席に座り、同じように業務が進む仕組みがある。誰が欠けても、社会は止まらず、民の生活は守られる。彼らはそれを『組織』と呼び、その運営を『行政』と呼んでいた」
「魔王がいなくても、意思決定ができる仕組み、だと……?」
知恵者と呼ばれた老魔族が、震える声で呟いた。
「それは……王への不敬。王を不要とする、反逆の論理ではありませんか!」
「不敬ではない。これこそが、魔界を永劫に存続させるための究極の忠義だ」
ダルクは、マニュアルのページをめくり、自らが書き溜めた構想図を一同に見せた。
「我はもう、かつてのようには命じぬ。我一人の気分や正解に、世界の命運を預ける時代は終わった。今後は、この『事務分掌規程』に基づき、各々に明確な役割と責任を与える。経済を司る者、治安を維持する者、土地の境界を定める者……。貴殿らは、自らの責任において判断し、動け。我はその『プロセス』を貴殿らと共に作り上げるべく舞い戻ったのだ」
「そんな……。我ら自身で決めろとおっしゃるのですか!? もし間違えたら、誰が責任を……!」
「そのための規定だ。個人の直感ではなく、合意された仕組みに基づいて動くのだ。貴殿らがルールに従って下した判断であれば、それは組織の決定であり、特定の誰かの首が飛ぶような事態にはさせぬ。我という個人に依存する脆弱な世界を、我はもう認めぬ」
魔王自身が、魔王というシステムの解体を宣言する。
その矛盾に満ちた、しかし圧倒的に前向きな革命に、重鎮たちは言葉を失い、ただ呆然と立ち尽くした。彼らが求めていたのは「最強の王」だったが、目の前にいる男は「最強の組織」を作ろうとしている。
「変革をもたらすのは、今だ。混乱の極みにある今だからこそ、古い皮袋を捨て、新しい酒を注ぐ。……これより、この場所を『魔界役所』と定義する」
ダルクは、アイゼンを前に呼んだ。アイゼンは、主君のあまりに変貌した、しかし確信に満ちた姿に、畏怖と希望が入り混じった表情で跪いた。
「アイゼン。貴殿を『魔界役所・総務課長』に任命する。まずは、この行政組織図をもとに、この場にいる者たちの適性とこれまでの実績を精査し、組織図の草案を書き上げろ。わからぬことがあれば聞け。満足するまで説こう。
今日、今この瞬間から、貴殿は我が配下ではなく、組織の要だ。……やれるか?」
アイゼンは、震える手でダルクから渡された真新しいボールペンを受け取った。その安っぽいプラスチックの感触が、今はどんな魔導具よりも重く感じられた。
「……承知いたしました。ダルク様。この命、全うして見せます」
「もはや命令ではないのだがな。まぁよい、それは自ずと浸透するであろう」
バルガスら将軍たちも、戸惑いながらも、ダルクが提示した「役割」という名の新しい名誉に、少しずつ視線を熱くさせていった。力で従うのではなく、役割を与えられ、認められること。それは彼らにとって、戦場での手柄とは別の、新しい誇りの萌芽だった。
こうして、廃墟となった玉座の間で、魔界史上初めての「行政組織」が産声を上げた。
それは、一人の魔王に頼り切っていた世界が、自らの足で歩み出すための、長く険しい、しかし確かな再生への第一歩であった。
ダルクは、窓の外に広がる荒廃した街を見つめた。
(佐藤殿。見ていてくれ。我は、ここを必ず、貴殿の街と同じように『当たり前の日常』が続く場所にしてみせる)
その胸の名札が、差し込んだわずかな光を反射し、鈍く、しかし力強く輝いていた。
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