表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
区役所勤めの魔王様  作者: はるくぼ
終章 異世界の居場所

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

46/63

第46話 魔王様と綻び

 アイゼンが去ってから三日が過ぎた。

 正面玄関の自動ドアは、もはや見慣れた光景となったブルーシートで覆われ、「故障中」の張り紙が虚しく揺れている。区役所の日常は、壊れた設備という「非日常」を強引に呑み込んだまま、何事もなかったかのように動き出していた。


 だが、今では区民課の窓口の顔になりつつあった男の様子は、明らかに平時とは異なっていた。


「……次の方、どうぞ」


 窓口に座るダルクの声は、いつも通り低く、威厳に満ちている。

 しかし、その隣で書類を整理していた佐藤は、朝から続く微かな違和感に頭を悩ませていた。

 ダルクの視線が、時折、焦点の合わない虚空を彷徨っているのだ。まるで、ここではないどこか遠くの悲鳴を聞いているかのように。


『魔界は今、緩やかな虚無に飲み込まれようとしている』


 あの日、アイゼンが吐き出した絶望の報告。それが呪いのようにダルクの指先に絡みついていた。


「あの、すみません。これ、住所が間違っているみたいなんですけど」


 窓口にいた初老の男性が、困惑した顔で住民票の写しを差し出した。

 佐藤が横から覗き込むと、そこにはあろうことか「魔王城・謁見の間」という、この世界の地図には存在しない地名が印字されていた。


「あ……申し訳、ございません。すぐに修正いたします」


 ダルクの背筋が、一瞬で強張る。

 あり得ないミスだ。システムへの入力時、無意識に「故郷」の残像をキーボードに叩きつけてしまったのだろう。

 佐藤はさりげなくダルクの肩を叩き、端末の前に割り込んだ。手早く男性に謝罪し、流れるような手つきで正しい書類を再発行して手渡す。


「すみません、新人の教育中でして。……こちら、お待たせいたしました」


 男性が苦笑いしながら去っていくのを見届け、佐藤は小声で語りかけた。


「ダルクさん。今日だけで六回目ですよ。入力ミスに、書類の取り違え。……少し、奥で休みませんか」


「……すまぬ、佐藤殿。どうも、集中が欠けているようだ。次は、間違えぬ」


 ダルクはそう答えたが、その表情は固い。

 かつての魔王であれば、このような精神的動揺など一瞥でねじ伏せていただろう。だが、今の彼はそれができる精神状態じゃなかった。


 そして、負の連鎖は止まらなかった。

 一時間後、電話応対に出ていたダルクの口から、信じられない言葉が漏れた。


「……左様。印鑑登録の廃止については、本人が直接来庁し……然もなくば、その魂に刻まれた契約の残滓を……否、失敬。委任状が必要となる。……いや、生贄は不要だ。……もしもし?」


 電話の向こうの住民が恐怖に凍りついたのは言うまでもない。佐藤は慌てて電話を代わり、「専門用語が多くて混乱したようです」と苦しい釈明に追われた。


 さらに、背後の事務スペースでも異変は起きていた。

 いつもは完璧なファイリングを行うダルクが、転出届の束を「重要度順」ではなく、なぜか「戦闘力順(強そうな名前順)」に仕分け始めているのを他の職員が見つけ、フロアがざわつき始めた。


「ねえ、ダルクさん今日どうしちゃったの? 完璧超人だと思ってたのに」

「アイゼンさんっていう、あの怖い知り合いが来てから様子がおかしいよね……」


 同僚たちの囁き声が、ダルクの耳に届かないはずがない。

 彼はますます表情を険しくし、自らを律しようとペンを握る手に力を込めた。その様子は、まるで崩れゆく城をたった一人で支える孤高の王のようでもあり、同時に、限界を迎えた一人の労働者のようでもあった。


「……対象。心拍数、血圧、および発汗量から判断。精神的ストレスが業務遂行能力を著しく低下させている。

 ……この状態での稼働継続は、組織全体の効率を阻害するノイズと定義される」


 いつの間にか背後に立っていたアルヴィスが、容赦のない事実を突きつける。


「貴殿の現状は、秩序の守護者として放置できない。このままでは区民課の業務ミス発生率は前日比300パーセントに達する。魔王ダルク、貴殿は今、この組織における最大の『脆弱性』となっている」


「……分かっている。分かっているのだ、勇者」


 ダルクは自嘲気味に笑い、胸の名札を指でなぞった。


「佐藤殿。我は……」


「ダルクさん。今日はもう、あがってください。これは教育係としての指示です」


 佐藤の言葉は、拒絶ではなく、静かな配慮だった。

 彼はダルクの震える手からペンを取り上げ、その目を見据えた。


「残りの処理は僕がやっておきます。……今のあなたには、自分のことを見つめ直す時間が必要です。

 リィナさん、悪いけどダルクさんを裏の休憩室まで連れて行ってあげて」


「了解なのです! ダルクさん、今日はもう『お仕事モード』は終了なのです。甘いものでも食べるのです!」


 いつもはダルクに圧倒されているリィナが、今日ばかりは強引に彼の背中を押した。

 ダルクは力なく立ち上がり、一度だけ振り返って佐藤を見た。その瞳には、自分の「完璧」が崩れ去ったことへの困惑と、佐藤への申し訳なさが入り混じっていた。


 ダルクが去った後の席に座り、佐藤は残された書類の山を見つめた。

 完璧な指導者がいなくなった途端に崩壊する組織。

 佐藤は、ダルクが犯した「魔王城」という誤入力を静かに修正しながら、ふと思った。


 彼がかつて魔界で築いたという秩序は、もしかしたら、今のダルクが縋っているこの「名札」と同じくらい、脆いものだったのかもしれない。


 佐藤はキーボードを叩く音を響かせながら、丁寧に誤入力を正していった。

ここまでお読みいただきありがとうございます!


「おもしろい」「続きが気になる」と思っていただけたら、ぜひ下の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援をお願いします!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ