第38話 勇者の就職
区役所の応接室。
普段は地元の有力者が陳情に来たり、手に負えないクレーマーが押し込められたりするその部屋は、今、かつてないほど濃密な緊張感に包まれていた。
革張りのソファに座らされた白銀の勇者は、傍らのテーブルに置かれた聖剣をじっと見つめたまま、石像のように微動だにしない。その正面では、区長がいつものように穏やかな手つきで茶を啜っている。
そして、その区長の背後では、ダルクだけが背筋を凍らせて直立不動の姿勢を保っていた。
(……おかしい。おかしいぞ。なぜ我は、宿敵である勇者の取り調べに同席しているのだ……)
ダルクの額を冷や汗が伝う。
思い返すは数刻前。区長に連れられていく勇者の後ろ姿を見送っていたら、区長に一緒に呼び出された。
勇者と区長。どちらに対しても苦手意識を持っているダルクとしては、この場を早く抜け出したかった。
そんなダルクをよそに区長の取り調べが続いている。
「さて、勇者くん。君の言い分は整理できました。『世界の秩序のために、魔王を討つ』。
それが君の世界における、世界との契約……つまり、君の『役割』だったわけですね」
区長が静かにカップを置く。カチャリ、という陶器の音が、静寂の中でやけに大きく響いた。
「……是。秩序を乱す『魔王』の存在は、世界の安寧に対する明確なノイズ。ノイズの除去こそが私の存在理由だ」
勇者の声は無機質だ。だが、その瞳の奥には、先ほどまでの「絶対的な正義」ではない、迷いの色が混じっていた。
視線の先には、スーツを着て、胸に「ダルク」の名札をつけた宿敵がいる。
「では、今の彼を見てどう思いますか? 今の彼は、この街の『秩序』を支える立派な歯車の一部だ。
君が私情で彼を排除すれば、明日から窓口は大混乱に陥る。それは、君の言う『秩序の安寧』に叶うことなのですか?」
区長の問いかけに、勇者が言葉を詰まらせたその瞬間。
ダルクが一歩前に出て、静かに、しかし断固とした口調で告げた。
「……そもそも勇者よ。我はもう、貴様が追っていた『魔王』ではない」
勇者の空虚な瞳が、わずかに揺れた。
「何を言っている」
「見ての通りだ。我はもはや、魔界を統べる王ではない。かつての魔王たる証も、王紋も、すべてはこの世界に来た際に失っておる。今の我にあるのは、この区役所との雇用契約だけだ」
ダルクは、何も描かれていない自分の手と、胸元にある少し斜めになった名札を見せる。
「貴様の言う『秩序』とやらが、魔王という肩書きを狩るためのものだと言うなら、今の我を討つのはただの無差別な殺生に過ぎぬぞ。
……それでもやるというのか?」
勇者は沈黙した。
彼には、『魔王を殺せば秩序が守られる』と刷り込まれている。
だが、目の前の存在は自ら「魔王ではない」と宣言し、あろうことか行政サービスの維持という「現代の秩序」を担っている。
論理が破綻している。勇者の思考回路が、処理不能のエラーを吐き出し始めていた。
「バグを観測。対象の行動原理が、定義と一致しない。
役割を失った魔王は、排除の対象に含まれるのか。否、そもそもこの者に魔王の資格を確認できず。
秩序を守るために、秩序を支える魔王を、どう定義すれば」
勇者の指先が、僅かに震える。役割以外の生き方を知らない彼にとって、この矛盾は自己の存在そのものを否定されるに等しい衝撃だった。
そこへ、区長が身を乗り出した。
眼鏡の奥の瞳が、かつての「覇王」のものへと一瞬だけ変質する。
「でしたら、臨時の『契約』を結ぼうではないですか。君の目的が真に『秩序の安寧』であるなら、それを最も効率的に遂行できる場所を与えましょう」
「新しい契約?」
「そう。魔王ダルク・ゼルグ……いや、現・区民課職員ダルクさんの監視。……彼がいつ、再び破壊の衝動に駆られ、魔王に戻ろうとするか分からない。
それを最も近くで見張り、秩序の乱れを未然に防ぐ。
どうですか、君の役目に相応しいと思わないですか?」
区長は、ポケットから一通の書類を取り出した。それはダルクが最初に目にしたものと同じ、臨時職員の雇用契約書だった。
「雇用形態は臨時職員ですね。
業務内容はひとまずは私の秘書でどうでしょう」
ダルクが思わず割り込む。
「待ってくれ区長殿! この勇者をそばに置いておくだと?
火薬庫のそばに爆弾を置くようなものだぞ」
「大丈夫ですよ、ダルクさん。
私の秘書、つまりそば付きですから」
「……監視。対象の傍にあり、秩序を一定に保つための、新たな任務」
勇者が、ゆっくりと契約書を手に取った。
「承諾する。……これより、対象ダルク・ゼルグを監視対象として定義し、任務を継続する」
「決まりですね。では勇者くん、まずはその鎧。威圧感がありすぎて苦情が出ますから、替えの服を用意しましょう。
ダルクくん、たしか君のスーツを仕立てた紳士服店がありましたね、そこへ案内していただけますか?」
「む、いや。我は他の仕事もあるゆえ他の者に……」
「大丈夫ですよ。今日一日ダルクさんは本件の対応に当たると通達してます。
業務の手は空いていますよ」
ぐうの音も出なかった。
渋々応じ、勇者を伴い応接室を後にする。
ダルクは隣を歩く勇者に小声で囁いた。
「いいか、勇者。この世界で一番恐ろしいのは、魔王でも勇者でもない。……『予算と人事権を握っている者』だ。それを忘れるな」
勇者は無表情のまま、「理解不能」とだけ返し、区役所の外へと歩いていく。
勇者と魔王が連れ添いながら。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
感想や評価、ブックマークをいただけると嬉しいです!感想は一言でも大丈夫です。
「おもしろい」「笑った」だけでも、作者がとても喜びます。




