第35話 魔王様と平和な日常
佐藤は窓口の書類を整理しながら、ふと顔を上げた。
「……ふう、やっと落ち着きましたね」
リィナが書類を手に戻ってきた。
「はいです、先日の件もこれで落ち着きそうです。……ダルクさん、いつもの冷静さとは少し違いましたね」
ダルクは書類整理の手を止めずに小さく頷いた。
「……確認は必要だった。制度も、契約も、信頼も――全て守らねばならぬ」
佐藤は思わず肩をすくめた。
「相変わらず、言うことが重いですね」
「重い? いや、当然のことだ。契約を守る者にとって、義務の軽視は許されぬ」
リィナが小さく頷く。
「そうなのです、さすがは魔王なのです。
略してさすまおです」
「なんで略したの?」
いつもどおりの他愛ない会話。
窓口にはしばらく穏やかな沈黙が流れていた。
その後ろではコピー機のトラブルで止まった書類や、山積みの申請書が、日常の音をかすかに響かせる。
佐藤は大きく息をついた。
「平和が一番ですね。もうあんな重たい案件は懲り懲りだ......」
ダルクは眉をひそめ、少し首を傾げる。
「……あんな事件とは、先日の件か?」
「そうですね、先日の不正受給もそうですし……
あとは、まあ……異世界から魔王がやってくるとか」
ダルクは眉をひそめて答える。
「む、我はそんな面倒案件ではないはずだが」
「冗談ですよ」
佐藤は小さく笑った。
先日の一件で、この魔王様ともより一層打ち解けた気がする。
「ダルクさんのおかげで、結果としてみんな無事だったんですから」
「うむ。平穏であることこそ、何よりだ」
「私も活躍してたですー」
リィナがふくれっ面で不服を申し立てる。
そんな会話をしながら、佐藤はコピー機のトラブルで止まった書類の山を見やり、ため息をつく。
「結局、書類は山積みだけどね……」
ダルクは机に置かれた書類を一瞥し、静かに呟いた。
「問題なく受理された書類たちだ。
それなら、ひとつひとつ対応していけば終わりが見えてくるであろう」
リィナは、コピー機の紙送りがうまくいかず、イライラしながらも書類を押さえる。
「むむむ……もう少しで直りそうです……あれ、また紙が詰まりましたです」
佐藤は肩をすくめながら、コピー機の蓋を開ける。
「このコピー機、年季入ってるからね。故障が日常の一部って感じだ」
「ふむ……便利さとは裏腹に、管理は手間を要するものだな」
ダルクも後ろからコピー機を眺めながら、しみじみと言った。
「便利な道具ほど、機嫌を損ねたときが厄介だな」
ダルクは腕を組み、コピー機をじっと見つめていた。
まるで敵の動きを観察するかのような視線だ。
「いや、そんな睨まれても直らないと思いますよ」
佐藤が言うと、ダルクは少し不満そうに鼻を鳴らす。
「機械にも、役目があるはずだ。それを果たさぬというのは――」
「はいはい、その話はあとで。別にコピー機は契約してませんから」
佐藤はコピー機の中から、くしゃくしゃになった紙を引き抜いた。
「だいたいこういうのって、紙を入れすぎるか、ちょっとズレただけで詰まるんですよ」
「つまり、過剰は良くないということか」
「急にまとめないでください」
リィナはコピー機の横で、紙の束を抱え直す。
「じゃあ、紙を減らすです!これで詰まらなくなるはずです!」
そう言ってリィナが紙の量を半分ほどに減らすと、コピー機は何事もなかったかのように動き出した。
ガコン、ウィーン。
「……動いた」
「動いたです!」
「ほう。やはり過不足のない配分が重要なのだな」
ダルクは妙に納得した顔で頷いた。
「区役所の仕事って、だいたいそんな感じですよ」
佐藤は印刷されて出てくる書類を受け取りながら言う。
「一気にやろうとすると詰まるし、サボると溜まる。
だから、地味でも毎日ちょっとずつ片付ける」
「……我の家の調理場と同じだな」
「いや、それはたぶん違いますね。
…あれ?違わないのか」
何気ないやり取りに、リィナがくすくすと笑う。
「でも、こうして普通に仕事してると、不思議な感じです」
「何がです?」
「魔王様と一緒に、コピー機の前で紙詰まりと戦ってるところです」
「確かに」
佐藤も思わず笑った。
「初日に言われても、絶対信じなかったな」
ダルクは少し考え込み、それから静かに答えた。
「……我も同じだ」
「え?」
「世界征服を宣言していたはずが、書類整理と紙詰まり対応に追われている。
運命とは、わからぬものだな」
「どうです?世界征服より大変でしょう?」
「否定はせぬ」
三人の間に、くすりとした笑いが広がる。
コピー機はその後も順調に稼働し、机の上の書類の山は、少しずつだが確実に低くなっていった。
佐藤は腕時計を見て、小さく息をつく。
「……よし。今日はこのくらいで区切りが見えたかな」
「本当ですか?」
「うん。あとは明日でも間に合う分だ」
リィナは両手を上げて伸びをした。
「やったですー。平和な一日だったです」
「うむ。大きな混乱もなく、申請は処理され、住民は帰路についた」
ダルクは窓口の向こう、夕方の光が差し込むロビーを見渡した。
「……悪くない」
その一言は、誰に向けたものでもない、独り言のようだった。
佐藤は気づいたが、あえて何も言わず、書類を棚に戻す。
「じゃあ、そろそろ片付けて帰ろうか」
「はいです!」
「了解した」
今日も、特別な事件は起きなかった。
書類は残り、コピー機は時々拗ねて、明日もまた仕事は続く。
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