第34話 契約
このお話は29話からの一連の話の終着点です。
29話〜33話をまだお読みで無い方は、そちらを先に読んでいただけますと、より深くお楽しみいただけると思います!
その日の業務終了後。
庁舎の空気が、昼間のざわめきを失い、少しだけ柔らいだ時間帯。
佐藤はコーヒーを片手に、ダルクの隣に立っていた。
「……さっきの件なんですけど」
唐突な切り出しだったが、ダルクは特に気にした様子もなく、視線だけを向けてくる。
「ダルクさんがそこまで『契約』を重んじる理由が気になりまして……
もちろん、契約を蔑ろにすることは決して良いことではありません。
でも先ほどのダルクさんには、それとは違う次元の重みがあった気がして……」
ダルクは下を向きしばらく沈黙した。
そして、再び佐藤の方を向き、じっと見つめる。
「理由か……そうだな。話すと長いが、よいか?」
「えぇ、聞かせてください」
佐藤が頷くと、ダルクは静かに語り始めた。
「さて、どこから話すのが良いか……
そうだな。我は物心つく頃にはすでに魔王だった」
「物心って……
ご両親が早くにお亡くなりに?」
佐藤は思わず息を吞む。子ども時代に、そんな重責を背負っていたとは想像もつかない。
「違う。そもそも我の世界では、魔王は世襲制ではない」
「世襲じゃないってことは、ここと同じように選挙のような制度が――」
「世界だ」
「え?」
「世界が、次なる魔王を選ぶ。
我の世界が、我を魔王たれと選任し、我はそれに応じたのだろう」
佐藤には理解が及ばなかった。世界が選ぶとか、想像の範疇を超えている。
「ふ、理解に苦しむか?
つまりだな、我は幼少の頃に、我の名をもって世界と契約したのだ」
「契約……世界と……
すみません、まだちょっと理解が……」
「当然だ。この世界の在り方と全く違うのだからな。
――話に戻ろう。
幼い頃に選ばれ、ずっと魔王であった我は、その契約を通じて自らが存在することの意味を学んだ。
契約に従うことこそ、己が『在る』ことの証明であったのだ」
佐藤は、思わず眉をひそめる。
「……えっと、つまり、契約がなかったら、ダルクさんは『存在していること』すら認められないってことですか?」
ダルクは小さく頷いた。
「少なくとも、我の感覚ではな。
もし契約がなく、名を捨てれば、我が何者であるかも分からぬ。存在の意味すら揺らぐと思っている」
佐藤は口元に手をやる。
己の存在の意味とか、普通に生きていて考えることなんてない。
しかし、ふと、佐藤は気づく。
「でも、ダルクさんは先ほど『己の名をもって、その義務を全うするというもの』とおっしゃってませんでした?
この世界にいるというのは、契約の義務を全うできていると言えなくなってしまうのでは?」
「そのとおりだ」
ダルクから返ってきたのは、まさかの肯定。
しかしその表情はどこか諦観の様相を示していた。
「佐藤殿のおっしゃるとおり、我がここにいるということは契約に反していることになる。
それどころか、我は今、この区役所の職員として契約をしている。
それは、先の男に叱責した契約を軽んじる行為に変わりない」
「そんな……一体どうして――」
「通常ならな」
再び佐藤の発言を遮るようにダルクが告げる。
「世界との契約は、手の甲に紋として刻まれる。
我も魔王だった頃は、王紋と呼ばれる紋様がこの手にあった」
「魔王だったって……あっ」
佐藤はハッとする。脳裏に、魔王がこちらに来たときの発言が蘇る。
『ふむ。どうやら我の統べる世界とは別の世界のようだ。魔力も感じぬ。
――む?王紋もか…?』
「王紋が、ない……」
「そうだ。
我を魔王たらしめていた世界との契約は、今は解消されている」
佐藤はダルクになんと声を掛けたらいいのかわからなかった。
己の存在証明の手段が失われたこの男の失意は、当時どれほどだったのだろう。
そんな佐藤をよそに、ダルクは静かに続ける。
「我にとって、契約という行為が我の存在を保証する。
ならば、何者でもない自分が存在できる手段を持つことが、必要だったのだ。
そこにあの区長から出された話が、雇用契約だった。
魔王という役目を失った我に、次は区役所の職員たれと契約が提示された。
己の在り方を求めていた我にとっては、それは救いだった」
「だから、あんなにあっさり一職員に落ち着いたのですか」
「そうだ。そういう契約であったからな」
佐藤は少し目を細めた。
そうか、契約は魔王にとって単なる約束ではない。
それは、自らの存在を世界に示す道であり、命じられた役目そのものだった。
「分かった気がします。ダルクさんが、今日の件であそこまで感情を露わにした理由が」
ダルクは小さくうなずく。
「契約とは、我にとって存在の証。
故に、契約を軽んじる者には、容赦はせぬ」
佐藤は深く息を吐いた。
――ダルクの言動の根底にあるものが、やっと見えた気がした。
いつもご覧いただきありがとうございます!
この34話に至るまでの数話、構想段階から一番書きたかったシーンでした。
彼が「公務員」として積み重ねてきた丁寧な日々。その根底にあるダルクの「契約観」を感じていただけたでしょうか。
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