第32話 偽り
<ダルク視点>
あの男が来たと、気配が告げる。
(来たか)
即座に目線で合図を送る。彼女は察してくれたのか、すぐに行動に移してくれた。
再び男に視線を戻し、観察する。
所作、歩幅、姿勢――。
あらゆる情報が以前記憶した人物という判断材料になる。
願わくば、自分の窓口に呼ぶタイミングを合わせたかった。
しかし、無情にも男の持つ番号を呼び出したのは、佐藤殿の窓口だった。
自らの窓口での対応を済ませ、休止中の札を立てる。
そして、ひっそりと佐藤殿の背後から書類と、備え付けのPC画面を見る。
画面に映る情報に、異常はない。
照会結果、提出書類、申告内容。
どれも、制度上は正しい。
正しい――ように見える。
視線は、再び窓口の向こうに座る男に向けられた。
姿形は、一か月前とは違う。
髪の分け目、眼鏡の有無、服装の選び方。
いずれも「別人」と言われれば納得できる範囲だ。
だが、それらは表層に過ぎない。
(……変わっていない)
呼吸の間。
言葉を選ぶ速度。
語尾を切る位置。
そして何より、沈黙の使い方。
男は、質問を受けた瞬間に答えない。
必ず、半拍置く。
考えているように見せるための間ではない。
相手に「誠実さ」を印象づけるための沈黙だ。
一か月前と、完全に一致している。
(こいつは、先月の男だ)
自身の中で、そう結論を出した。
疑いではない。
推測でもない。
記憶に基づく結論だ。
だからこそ、今は止めねばならない。
「待て」
短く、抑えた声。
場の流れを断ち切るには、それで十分だった。
佐藤殿が振り返る。
男もまた、静かにこちらを見る。
逃げも、攻撃もしない。
ただ観察する目。
ダルクは一歩、前に出た。
「確認する。貴様は、この庁舎を訪れるのは初めてか」
男は、即座に頷いた。
「はい。初めてです」
迷いなし。
言葉の揺れなし。
(否定が速すぎる)
本当に初めての者は、必ず一瞬考える。
来たことがあるか、自身の記憶をなぞるからだ。
だがこの男は違う。
否定を準備していた。
「一か月前、同様の申請を行った覚えはないか」
「ありません。人違いではないですか?」
想定通りの返答。
佐藤殿とのやりとり、そして今のやり取りから、内心で一つずつ照合していく。
声。
高さは変えているが、同じ声帯。
筆跡。
数字の「4」を書く際、最後に必ず筆圧が抜ける癖。
意識して変えられる癖ではない。
態度。
説明を遮らない。
だが、理解している部分では必ず目線が一度だけ下がる。
「なにか疑わしい部分でもございましたか?」
男が、不安を感じさせる声音で問いかけてくる。
(上手いな、慣れているようだ)
「なに、先月似たような男が同じように生活保護の申請に来ていてな。それも2回も。
まさか同一人物では無かろうかと、気になった次第だ」
ダルクは、男から視線を外さずに告げる。
「その人と私は、同じ名前だったのですか?」
「いや?名は違ったと記憶している。
我が直接対応したわけではないからな、実際はその時の申請内容を見なければわからぬ」
「それは……確認できるのですか?
もう申請を承認する機関に回されているのでは…?」
「ほう、詳しいな」
「はい、申請するにあたって職員さんに迷惑をかけないようにたくさん調べましたから。
申請に必要な書類や受理されるまでの期間をね。その中で、そうした情報も出てましたよ」
用意されたような答え。ここまで男の想定通りに問答が進んでいるのだろう。
そして、男は今度は佐藤殿に目を向ける。
「この役所では、似ていると言うだけでここまで疑われるのですか?
そりゃあ、不正受給とかも起きている昨今ですから慎重になるのもわかります。
しかし、これはさすがに行き過ぎた行為なのでは?」
「いや、えっとですね…」
「それに、その似ているとかいう人と一致しているのか調べる手段もないときた。
証拠もないってことですよね?」
「今のところは、ないな」
割り込むように答える。
男は再度こちらを向く。
「ならば——」
「だが、確信はある」
男の言葉を遮り、ダルクは続けた。
「行政は証拠で動く。
確信では裁かぬ。それは理解している。
…しかしながら、一度疑念を持ってしまうとおいそれと容認することはできぬ。
なに、そんなに時間は取らせぬ。ほんの数刻で結論は出揃う」
「話になりません、こんな不親切な役所だとは思わなかったですよ。
大きいところの方が処理のスピードも比較的早いと聞いてきたのに…
もう結構です、二度と来ません」
「そんなに時間は取らせぬと言ったはずだぞ?
なにをそんなに焦っている?」
男の眉が、わずかに動いた。
怒りでも恐怖でもない。計算が狂ったときの、ほんの小さな反応だ。
「……焦ってなどいません。ただ、あなたの主観で止められる以上、ここにいる理由がないと言っているだけです。
私にも生活がありますので。」
声は落ち着いている。
だが、先ほどまであった余裕が、微かに削れている。
「何も主観だけではない。筆跡、声、態度の癖…
あらゆる方面で疑わしいと言っているのだ。いわゆる状況証拠というやつだ。
――結論は今日中に出る。何も問題なければ、謝罪した上で最優先で処理を進めると約束しよう」
「えっ、ダルクさん…?」
驚きの声を上げる佐藤を横目に、男に告げる。
「逃げる理由がないなら、お主にとっても良い話だと思うが、いかがか?」
男は、初めて言葉に詰まった。
沈黙が落ちる。
その沈黙を破るかのように、待っていた声が聞こえてきた。
「ダルクさん、持ってきたですよ」
彼女――リィナが戻ってきた。
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