表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
区役所勤めの魔王様  作者: はるくぼ
第2章 異世界準拠の当たり前

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

31/63

第31話 制止

 月が変わり、区民課の空気も少しだけ張り替えられていた。


 月初は、いつも忙しい。

 転入、転出、証明書、各種申請。

 新しい生活を始める人間の数だけ、窓口は動き続ける。


 佐藤は、慣れた手つきで呼び出し番号を確認した。


「次の方、どうぞ」


 現れたのは、一人の男だった。

 年齢は四十代半ば。

 姿勢はまっすぐで、背中に力が入っている。


 身なりは簡素だが、だらしなさはない。


 靴も、服も、きちんと手入れされている。


(……この感じ、珍しくはないけど)


 そう思いながら、佐藤は応対を始めた。


「本日は、どのようなご用件でしょうか」


()()()()()()()をお願いしたいです」 


 声は落ち着いていて、感情の揺れがない。

 切羽詰まった様子も、過剰な遠慮もない。


 佐藤は、深く息を吸い込んでから、事務的に頷いた。


「かしこまりました。では、こちらの書類を確認させてください」


 男は、待っていましたと言わんばかりに、書類一式を差し出した。


 身分証明書

 住民票の写し

 収入申告書

 資産状況確認書


 どれも、揃っている。

 佐藤は、一枚ずつ、丁寧に確認していく。

(……問題ない)


 身分証もきちんと本物だった。


 印字のズレもなく、写真の質感も自然。

 ICチップの読み取りも正常。


 最近は、ここで引っかかることも少なくない。

 だが、この証明書は、何度見ても違和感がない。


「現在、収入はありませんか?」


「ありません」


 即答だった。


「貯蓄や、有価証券などは?」


「ありません」 


 迷いがない。


 説明を待たず、聞かれたことにだけ答える。

 佐藤は、端末に情報を入力し、照会をかける。


 数秒の待ち時間。


 その間、男は黙って待っていた。


 視線は、佐藤の手元ではなく、少し先の壁。

 画面が切り替わる。

 ――照会結果:該当なし。

 他自治体での受給履歴なし。

 重複申請の警告なし。


 制度上の注意喚起も表示されない。


(よし、白だ)

 佐藤は、内心そう判断した。


 制度的には、完璧だった。


 疑う要素が、どこにもない。


「では、申請後の流れについてご説明します」


 佐藤は、淡々と説明を始める。

 調査期間、支給決定までの目安、義務と注意事項。


「不正があった場合、返還や処分の対象になることがあります」


 その一文にも、男は眉一つ動かさなかった。


「理解しています」


 短く、明瞭な返答。

(……慣れてるな)

 佐藤の中に、わずかな違和感が生まれる。


 だが、それは感覚の域を出ない。

 制度を知っている人間はいる。

 調べてから来る人間も、珍しくない。


 そう自分に言い聞かせ、書類を揃えようとした

 ――そのとき。


()()


 低い声が、背後から響いた。

 佐藤の手が止まる。


 振り返ると、ダルクが立っていた。

 いつも通りの無表情。

 だが、その場の空気だけが、わずかに変わった。


「……ダルクさん?」


「その申請、一度止めよ」


 男が、はっきりと顔を歪めた。


「は?」 


 佐藤も、思わず息を詰める。 


「ダルクさん、現時点では書類も照会も――」


()()()()()()


 ダルクは、静かに言った。


「制度上の不備はない。

 書類も、情報も、形式としては正しい」


 形式としては。

 その言い回しが、佐藤の耳に引っかかった。


 男が、椅子から少し身を乗り出す。


「どういう意味ですか」 

 声に、苛立ちが滲む。 


「ちゃんと条件も満たしてる。

 照会も問題ない。

 それで止めるって、どういうことです?」


 正論だった。

 佐藤も、同じことを思っている。 


「証拠はあるんですか?」  

 男は、ダルクを真っ直ぐ見据えた。


「感覚とか、思い込みじゃないでしょうね」


 周囲の職員が、視線を向けてくる。

 区民課のフロアに、微妙な緊張が走った。


 ダルクは、少しも動じなかった。


「今は、ない」


 はっきりとした否定。


 男が、乾いた笑いを漏らす。

「……話にならない。

 じゃあ、何を根拠に?」 


 ダルクは、男を見つめたまま、答える。


「根拠は、これから示す」


 その声音には、感情がない。

 だが、不思議な重さがあった。


「佐藤殿」


 ダルクは、佐藤に向き直る。


「申請処理は、一時保留だ。

 責任は、我が取る」


 佐藤の喉が、わずかに鳴った。


(……分かっててやってる)


 制度を理解しているからこそ、

 この行為が異常だということも、承知の上で。


 それでも、止めた。


 男は、深く椅子にもたれた。


「いいですよ。

 どうせ、問題ないって分かる」


 その言葉は、どこか余裕を含んでいた。


 ダルクは、何も答えない。

 ただ、静かに立ち、

 男から視線を外さなかった。


 佐藤は、胸の奥に小さなざらつきを覚えながら、手を止めた。

 ――制度は、正しい。

 ――書類も、正しい。


 それでも。

 この場にいる魔王だけが、

「まだ終わっていない」と告げている。

 その理由を、

 佐藤はまだ知らない。


 佐藤は、無意識のうちに男の手元へ視線を落とした。

 机の上に揃えられた書類は、微動だにしていない。


 指先は落ち着き、紙の端を弄ることもない。

 まるで、こうなることを織り込み済みで来ているかのようだった。


(……嫌な沈黙だな)


 区民課の窓口で、これほど説明が止まることは滅多にない。


 制度は動いているのに、人だけが止まっている。

 その異様さに、佐藤は今さらながら気づく。


 ダルクは、何も言わない。

 ただ、その場に立ち続けている。

 逃がさないと決めた獣の前に立つ捕食者のように。


 男と魔王の間に、見えない線が引かれていた。

 越えれば、もう戻れない線が。


 そして佐藤は悟る。


 この申請は、もう「手続き」ではない。

 ――すでに、事件の入口なのだと。

ここまでお読みいただきありがとうございます!


感想や評価、ブックマークをいただけると嬉しいです!感想は一言でも大丈夫です。

「おもしろい」「笑った」だけでも、作者がとても喜びます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ