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区役所勤めの魔王様  作者: はるくぼ
第2章 異世界準拠の当たり前
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第29話 不穏

 午後の窓口対応が終わり、区役所の空気が少しだけ緩む時間帯。

 来庁者の足音が減り、電話の鳴る間隔も、目に見えて長くなる。


 佐藤は、机の上に積まれた書類の山を一つずつ整理しながら、小さく息を吐いた。


「はぁ……今日はなんだか、重たい案件多かったな」


 生活相談、申請内容の不備、制度説明の行き違い。

 どれも“間違い”とは言い切れず、しかし“そのまま通す”わけにもいかないものばかりだった。


「お疲れ様なのです」


 向かいの席で、リィナも書類を揃えながら頷く。

 その手つきも、いつもより少しだけ慎重だ。


「最近、福祉関係の相談が増えてる気がするです。

 問い合わせも、クレームも、両方」


「年度の変わり目だからね。

 引っ越し、退職、家族構成の変化……生活が一気に変わる人も多いから」


 佐藤はファイルを閉じ、椅子に深く腰掛けた。

 数字や制度の話の向こうに、それぞれの生活が透けて見えるのが、この仕事だ。


 そこへ、給湯室から戻ってきたダルクが合流した。

 手にはいつものマグカップ。中身は、相変わらずブラックコーヒーだ。


「……“不正受給”とは、どの程度あるものなのだ?」


 唐突な問いに、佐藤は一瞬だけ手を止めた。


「え?」


「先ほど、給湯室でその言葉が聞こえた。

 支給を受ける資格がないにも関わらず、金銭を得る行為……で合っているか?」


 言葉自体は淡々としているが、問いの向け方は真剣だった。


「定義としては、まあ……そうですね」


 佐藤は言葉を選びながら答える。


「ただ、実際はそんなに単純じゃないですよ。

 完全に故意なケースもありますけど、うっかり申告漏れだったり、制度を誤解してたり……判断が難しい場合も多いです」


 机の端に積まれた別のファイルを、佐藤は指で軽く叩いた。


「収入が発生してるのに報告されてない、とか。

 二重で受給してしまってる、とか。

 本人に悪意があるかどうかは、話を聞かないと分からないことも多いですね」


「書類が多すぎて、本人も把握できてないこともあるです」


 リィナが補足する。


「専門用語も多いですし、説明されても理解しきれないままサインしてる人もいるです」


 ダルクは黙って聞いていた。

 マグカップを口に運び、一口飲む。


「……ならば、“契約違反”ではないのか?」


「契約、というよりは……制度ですね」


 佐藤は小さく苦笑した。


「生活保護は契約書を交わすわけじゃありませんし、

 国と個人の間の“制度的な約束”みたいなものです」


「約束、か」


 ダルクは、その言葉を反芻するように繰り返した。


「だが、サインはしているのであろう?

 制度自体には、条件があり、対価があり、義務がある。

 それを満たさぬまま受け取るなら、それは欺瞞ではないのか?」


 リィナが、少しだけ首を傾げる。


「……でも、全部が悪意ってわけじゃないです。

 生活が苦しくて、追い込まれて……って人も多いですし」


「そうだね」


 佐藤も頷いた。


「だから、すぐに切り捨てるわけにはいかない。

 調査して、話を聞いて、状況を確認して……

 必要なら指導する。それが区役所の仕事です」


 ダルクは、しばらく黙り込んだ。


 視線は、机の上に置かれた分厚いファイルへ。

 背表紙には、はっきりとこう書かれている。


 ――生活保護制度関係資料


 ページの厚みが、そのまま制度の複雑さを物語っているようだった。


「……なるほど」


 静かな声だった。


「この世界の契約は、随分と柔らかいのだな」


「柔らかい、ですか?」


「ああ。破られることを前提に、修正される。

 違反しても、即座に破棄されるわけではない」


 その言い方に、佐藤はわずかな違和感を覚えた。


「それは……その人を守るためでもありますから」


「それは理解する」


 ダルクは頷いた。


「弱き者を切り捨てぬための仕組みであることも、な」


 そして、ほんの少しだけ視線を伏せる。


「だが――」


 言いかけて、言葉を止めた。


「……いや、今はよい」


 リィナと佐藤は、顔を見合わせる。


「ダルクさん?」


「なに、ここで議論を重ねても解決はしない話ということだ」


 そう言って、ダルクは例のファイルを手に取った。

 指先でページをめくるその仕草は、いつもより慎重だった。


「制度とは、文であり、運用であり、人である。

 ならば、全てを知らねば語れぬだろう」


 その声音は、いつもと変わらない。

 淡々としていて、感情の起伏もない。


 だが、佐藤はなぜか背筋に小さな緊張を覚えた。

 どこか魔王の根底の部分を、垣間見たような気がする。


 当の本人は、手に取ったファイルをじっくり読み込んでいる。

 まるで“契約の穴”を静かに測っているように。


 区役所の日常は、今日も平穏だ。

 電話は鳴り、書類は積まれ、業務は淡々と進んでいく。


 けれどその背後に、嵐が近づいていた。


 誰にも気づかれずに――。

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