第23話 魔王様、問いかける
先日の昼間、区役所の一角で交わされた、ほんの数分の会話。
それが、思いのほか広まっていた。
「昨日の、見た?」
「職員さん(?)が候補者に質問してたやつのこと?」
「そうそれ!めっちゃ答弁ぽかったやつ!」
動画らしい動画ではない。
誰かが撮った短い映像と、要約された文章が、断片的に流れているだけだ。
だが、それで十分だった。
――説明できていなかった。
ただ、それだけが、はっきりと伝わっていた。
翌日。
区役所の朝は、いつも通り慌ただしかった。
窓口には人が並び、職員は忙しなく書類を処理している。
選挙期間中だというのに、業務自体は何も変わらない。
だが、昼前になると、空気がわずかにざわつき始めた。
「昨日も、あの人が候補者と話したらしいよ」
「誰?」
「ほら、あの職員さん」
区民がダルクへと目を向ける。
噂は、更に広まっていた。
昨日は別の候補者が、あの職員と何か話していたらしい。
内容は分からない。
だが、その様子だけが、動画と共に広がっていた。
そして、昼休み。
ダルクはここ最近、候補者のポスターを昼食後に眺めるのが日課になっていた。
佐藤も付き添い、ダルクの様子を伺っている。
ただ眺めているだけ。
それでも、次第に人が集まってくる。
「……あの人らしい」
「演説より分かるって」
「納得できるかどうか、はっきりするんだってさ」
いつの間にか、
“誰を支持するか”ではなく、
“誰の話を聞けばいいか”の基準が、そこに生まれていた。
候補者側も、それを理解し始めていた。
あの職員に対して、自分の主張が通るかどうか。
それが、そのまま区民の評価に直結する。
公式でもなければ、主催者もいない。
だが、昼休みのその場所は、非公式の答弁の場として、認識され始めていた。
その日声をかけたのは、民間出身の候補者だった。
「先日はどうも」
笑顔で、慣れた調子だ。
「また確認したいことがありましたら、おっしゃってくださいね」
ダルクはポスターから目を離し、候補者に目を向ける。
「ふむ、では確認したい」
いつもと同じ、静かな声。
だが、その一言で場は静まり、誰もが紡がれる言葉に耳を傾ける。
「以前も少し話したが、地域経済の活性化を掲げているな」
「はい。地元企業がもっと挑戦できる環境を作りたいと思っています」
「区役所は、そのために何をする?」
候補者は、少しだけ胸を張った。
「補助金の拡充や、規制の見直しです。
民間の活力を、もっと引き出したい」
「その補助金は、誰が決める?」
「私が、方針を示します」
「具体的な配分は?」
「そこは私の一存では決められません。
担当部署と相談して、年間予算に合わせて配分を議論します」
「期限は?」
「予算の内容によって、必要に応じて決定にしますね」
「ふむ」
ダルクは、回答された内容を噛み砕くように考え込む。
その様子を見ていた候補者は、次の言葉を待っている。
「調整が必要な部署は、いくつある?」
「……複数ですね、一つの部署だけで収まる話はないでしょう」
「利害が衝突した場合は?」
「話し合いで解決します」
「決着がつかなかった場合は?」
一拍。
「……柔軟に、対応します」
ダルクは、頷いた。
「理想は理解した」
それだけ言って、視線を外す。
それ以上、質問はなかった。
民間出身の候補者は、
少しだけ表情を整え、丁寧に一礼してその場を離れた。
拍手は起きない。
だが、人の輪は、しばらく解けなかった。
「……今日は、これで終わりか」
「みたいだね」
昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴り、
人々は名残惜しそうに散っていく。
その日の夜。
区役所前での出来事は、さらに広がっていた。
「今日は民間の人だったらしい」
「昨日と質問、違ったよね」
「制度の話になったって聞いた」
誰かがまとめ、誰かが切り取る。
そして、翌日。
昼前になると、
人の動きが、無意識に一箇所へと集まり始めた。
「……今日も来るかな」
「今日は副区長が来るって噂だよ」
ダルクは、いつも通りポスターの前に立っていた。
特別な準備はない。
佐藤が、小声で言う。
「……もしかして、今日は待ってますか?」
「うむ」
それだけだった。
ほどなくして、
人の輪の向こうから、落ち着いた声が聞こえる。
「……こんにちは」
現れたのは、副区長だった。
昨日の候補者とは違い、
場の空気を壊さぬ距離で、自然に輪の中へ入ってくる。
「お昼休み、少しだけよろしいでしょうか」
誰にともなく向けられた言葉。
だが、視線はダルクに向いていた。
「構わぬ」
ダルクは、ポスターから目を離し、副区長を見る。
「確認したい」
その一言で、
周囲のざわめきが、すっと消えた。
「貴殿は、副区長だな」
「ええ。現職です」
「行政の内側を、よく知っている」
「それが、私の強みです」
副区長の声は落ち着いている。
自信もある。
「貴殿も掲げている、地域経済の活性化についてだ」
「はい」
返答は、即座だった。
「現行制度を整理し、
効果の出ている施策に重点配分します」
「判断は?」
「最終的には、私が行います」
一瞬、ざわめきが起きる。
「ただし」
副区長は、続けた。
「現場の意見を集め、
根拠を揃えた上で、です」
「期限は?」
「年度ごとに区切ります」
「責は?」
「私です」
迷いは、わずかだった。
ダルクは、静かに頷く。
「制度を理解した者の答えだ」
副区長の表情が、わずかに緩む。
「では、もう一つ」
ダルクは、間を置かずに続けた。
「年度途中で、商店街が急激に衰退した場合だ。
一月で手を打たねば、店が潰れる」
副区長は、言葉を選んだ。
「……まず、状況を把握します」
「その間に、店は潰れる」
一拍。
「……緊急対応も、視野に入れて検討します」
「検討する、か」
ダルクは、それ以上を言わなかった。
もう質問はないと判断したのか、副区長は一礼し、その場を離れた。
人の輪の中で、
小さな声が漏れる。
「今、決めるとは言わなかったな」
「慎重すぎるって、こういうことか」
ダルクは、何も言わず、
再びポスターへと視線を戻した。
人の輪は、名残惜しそうにほどけていく。
誰も声を張らない。
だが、誰もが何かを考えている顔だった。
「……今日は、ここまでか」
「明日は、どうなるんだろ」
ダルクは、何も言わず、
掲示板に貼られたポスターを一枚ずつ見渡していた。
三人分の名前。
三通りの言葉。
そして、それぞれに残った“言い切れなかった部分”。
(言葉で戦う、か)
その時だった。
人の流れの向こうから、
聞き慣れた、穏やかな声が響いた。
「おや――」
ざわめきが、自然と割れる。
「一体、これは何事でしょうか」
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