第21話 魔王様と開戦の兆し
その朝、区役所の掲示板に、一枚の紙が貼られた。
それはいつも通りの、事務的な書式だった。
だが、通り過ぎる職員の足を、確かに止めていた。
「……あ、出たか」
佐藤は掲示板を見て、小さく呟いた。
「今年でしたっけ」
「そう。今年」
佐藤は隣いた職員に尋ね、再び掲示板に視線を戻す。
――区長選挙 告示。
その文字を再度確認した後、佐藤は隣に目を向ける。
ダルクもじっと掲示板を見つめていた。
「佐藤殿」
ダルクが、掲示板を見つめたまま言った。
「この文書、随分と多くの者が注目しているな」
「区長選挙の告示ですよ」
「……なるほど」
低く、納得したような声。
掲示板を離れ、いつものデスクスペースへ向かう。
「選挙、気になりますか?」
「うむ、少しな。文書の名前からするに、名乗りを上げた者たちが、次の区長の座を争うのだな」
「ええ、そうですね」
ここまでは、正しい。
だが、次の一言で、佐藤の足が止まった。
「名乗りを上げた以上、互いに退くことは許されぬ。
最後に勝ち残った者が、この区を治める――そういう争いか」
「……ん?」
佐藤は、もう一度ダルクの顔を見る。
真剣だ。
冗談でも、比喩でもない。
「この世界のことだ、力だけで決めるわけではなさそうだが……
武力だけでなく、言葉と覚悟で争わせるものとみた」
佐藤が口を開く前に、ダルクはさらに続ける。
「しかし、戦闘の際の禁止事項の定めがなかったような気もするが…
禁止事項をつけぬと最悪死人が出るぞ?」
「ダルクさん」
「うむ?」
「区長選は殴り合いじゃないです......
――投票です」
ダルクは、わずかに目を細めた。
「……なるほど」
理解は早い。
「つまり、武力ではなく、多数の意思で勝敗が決まるというわけだな」
「そうです」
「なるほどな、さすがこの世界らしいやり方だ」
少し考え込み、ダルクは静かに言った。
*********************
数日後。
区役所の掲示板に、また一枚、紙が追加された。
今度は文字数が少ない。
しかし、その前に立ち止まる職員の数は、明らかに増えていた。
「お、出ましたね」
佐藤が、掲示板を見上げて言う。
――区長選挙 立候補者一覧。
候補者は三名。
現職区長を含め、いずれも見覚えのある名前だった。
「三人か」
「例年通りですね。多くもなく、少なくもなく」
振り返ると、ダルクが掲示板をじっと見つめていた。
文字一つ一つを、噛み砕くように。
「この者たちが、名乗りを上げた者たちか」
「そうですね」
「ふむ……」
ダルクは腕を組む。
「三名。
それぞれが、この区を導く覚悟を示した、という理解でよいか?」
「まあ、そうなります」
「覚悟、か」
その言葉を、ゆっくり反芻する。
「では、この中で――」
ダルクは、一人目の名前を指さした。
「現職。あの区長か」
「はい、ダルクさんも初日にお会いした方ですね」
次に、二人目。
「こちらは、副区長だな。
文言からして、現体制への不満を力に変えようとしている」
「え、そこまで読み取れます?」
「掲げている主張からな」
最後に、三人目。
ダルクは、わずかに首を傾げた。
「……この者は?」
「民間企業の出身ですね。最近よくあるタイプです」
「なるほど」
しばし沈黙。
掲示板の前で、ダルクだけが、別の次元を見ていた。
「三者三様。
だが、いずれも“正しさ”を語るだろう」
佐藤は少しだけ眉を上げる。
「正しさ?」
「民の支持を得るためには、自らを正義として示さねばならぬ。
そして、相手を間違いと位置づける」
静かな口調だった。
「魔界でも、よく見た構図だ。
だが――」
「……ダルクさん?」
「この争いは長引くぞ」
その言葉を聞き、佐藤は苦笑しながら答える。
「まあ、選挙期間はやや長めですからね」
「違う、そうではない」
ダルクは即座に否定した。
「終わった後も、だ。
それも武力を使わないからこそ、な」
その意味を、佐藤はすぐには理解できなかった。
チャイムが鳴り、始業の時間を告げる。
「……ひとまずは仕事だな。
我らの職が変わるわけでもない」
「え、ええ。そうですね」
そう言うと、ダルクは最後にもう一度、掲示板を見た。
名を連ねた三人。
その向こうにいる、名も知れぬ“多数”。
(言葉で戦う、か)
魔王は、静かに思う。
(――争いは敗者が責を取るからこそ、表面上の禍根がなくなる)
そうして、区長選に向けた動きが加速していく――。
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