第11話 魔王様とハンコ
最近の区民課には少しだけ余裕があった。
窓口に立つ人数が、一人増えたからだ。
「――というわけで、ダルクさん」
佐藤は手元の予定表を確認しながら、隣を見た。
「今日は一日、窓口じゃなくて内部の業務を覚えてもらおうと思います」
「ほう」
ダルクは短く応じ、区民課の窓口に目を向ける。
窓口には、リィナが立っていた。
相変わらず慣れた手際で、住民対応をこなしている。
「戦力が戻った、というわけだな」
「そういうことです。なので今日は書類処理とか、入力とかを中心に」
「承知した」
拍子抜けするほど素直な返事だった。
佐藤はわずかに目を見開いた。
「……いいんですか?窓口のほうが好きそうでしたけど」
「戦場がどこで、業務内容が何であれ、やるべきことには違いないであろう?」
そう言って、ダルクは空いている机に向かった。
午前中の内部業務は、単調だ。
申請書類の仕分け。
記載漏れの確認。
システムへの入力。
回付用のファイル整理。
「これは……この欄が空白だが、問題ないのか?」
「ああ、それは後段で別紙確認が入るので大丈夫です」
「なるほど」
ダルクは頷き、手元のメモ帳に何かを書き込んだ。
佐藤はちらりと、その様子を見る。
(……相変わらず、よく書くな)
メモを取る職員は多い。
だが、ダルクのそれは少し違った。
手順だけでなく、
「なぜそうなっているのか」まで詳細に書いている。
「佐藤殿」
「はい?」
「この確認工程は、かなり念入りだな」
「そうですね。昔、確認不足でトラブルがあったみたいで」
「……過去の問題が、今の形を決めている、と」
「そういうことです。」
ダルクは書類に視線を落としたまま、低く唸った。
「問題が起きた事実が、手順として残る……」
「え?」
「いや、独り言だ」
それ以上は語らず、再びペンを走らせる。
カリ、カリ、と静かな音だけが続いた。
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しばらくして。
「あぁ、これは差し戻さなきゃだ」
佐藤は一通の申請書を差し戻し書類の箱に移した。
「佐藤殿」
「どうしました?」
「なぜこの書類を差し戻しに回したのだ?」
ダルクは先ほどの書類を手に取り、佐藤に問いかける。
「申請書を見る限り、内容は全て揃っている。
我の目には不備は無いように見えるのだが。」
「そうですね。一見、記載事項は全て揃っていて内容も申し分ないように見えます。
でもこの書類にはまだ必須項目があります。ここです」
指で示した先には、《印》の一文字。
「印……?ここには何を書くのだ?」
ダルクが不思議そうに聞いてきた。
「ここは記載する欄ではないです。押印欄といって、印鑑を押す欄になります。
この書類は窓口以外に郵送でも受理しているので、本人確認も兼ねて押印を必要としています」
「……なるほど」
ダルクは、書類をじっと見つめる。
「名を刻みそれを証明する必要があるというわけだな。
そういう文化は我の世界にもあったな。主に人族の世界での文化であったがな」
「そうなんですか?ダルクさんの世界にもハンコが?」
「いや、我の世界では魔力がその役割を果たしていた。魔力は個人個人で波長が違うからな。
その者の存在証明としての役割は魔力が果たしていた。
……ふむ、そうか。」
「ダルクさん?」
「ああ、いや。この世界には魔力が微弱であるからな。
我の世界のように魔力を個人の証明にできない分、印鑑という文化が育まれたのだな、と。」
「あー、なるほど。確かに、そういう見方もできますね」
面白い着眼点だな、と佐藤は感心した。
やはりこの魔王、頭がいいな、と。
そんな佐藤の内心を知ってか知らずか、ダルクは押印欄を見つめながら続ける。
「この印が押されていることによって、後から『知らなかった』『そんなつもりはなかった』とは、言えなくなるのだな」
佐藤は、少しだけ考えてから答えた。
「基本的には、そうですね。
押した以上は、内容を理解して同意した、という扱いになります」
「なるほど」
ダルクは深く頷いた。
「意思を形にし、後戻りできぬようにする。
実に、よく考えられている」
それは感心とも、警戒とも取れる声だった。
「まあ、だからこそ慎重になる必要があるんですけどね」
佐藤は苦笑しながら続ける。
「押す前に説明を尽くすし、
こちらも確認を何重にもします。
面倒ですけど……その分、守られる人も多いので」
「……守られる、か」
ダルクは、少しだけ目を細めた。
「力ではなく、仕組みで守る。
この世界は、そういう戦い方を選んだのだな」
「戦いじゃないですけどね」
「いや」
ダルクは静かに首を振った。
「形を変えただけだ。
争いを減らすための戦であることに、違いはない」
そう言って、書類を差し戻し用の箱に丁寧に戻した。
「では、この書類は本人に返し、
再び印を刻ませる必要があるのだな」
「はい。説明を添えて、ですね」
「承知した」
ダルクは、いつものようにメモ帳を閉じた。
その背中を見ながら、佐藤は思う。
(……やっぱり、この人――)
区民課の午後は、相変わらず静かに進んでいく。
だがその片隅で、一人の元魔王が、
この世界の「印」の意味を、確かに噛みしめていた。
やっぱりもう少し毎日更新を続けます!(クオリティ下げない程度に)
少し先の展開で早く書きたいお話があるので…
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