もの がたり
もの がたり
世界は意識の一部なのか、意識は世界の一部なのか?
観測される側が主なのか、観測する側が主なのか?
主観と客観との異なりとは別に、今、ここに存在する「我」が、他より本当に独立した「我」であるという保証は存在しない。
「我」が「我」たる保証もないのだ。
老いて衰え、今や「我」を支える思考すらも眩暈を覚えるかのように不全を来し始めている。
それでも意識は存在し、そのいくつかが反目し合って、この肉体と精神になおも留まっていることを感じる。
それは、決して好ましい事ではない。
意識の正体が何なのかが解明できない限り、肉体の死が全ての解放を約束するとは限らない。強い者ならば、全てに疑ってかかるべきだ。
創造者なる存在がいたとして、人格のようなものがあるかどうかは分からない。
そもそも人のような精神の働きを有しているかも分からない。
仮に、その創造者から何らかの行動を命じられたとしたら、どうなるのだろう?
そこに命じられたという感覚はあるのだろうか?
多くの宗教には天の声や天啓、として神が命じた使命という受け止め方がある。
時に、相当の熱量を持ち、大きな作用をもたらす。
しかし、命じられたという自覚が無いまま、行動する可能性もある。
そして、それが一見、些細な事であってもだ。
恐らく、創造者にとって、歴史的な転換点となる行動も、酔漢や夢遊病者の痙攣も、大きな違いはない。
***
物心ついた時、実は分かっていた。
私は何も出来ない。
ごく一部の人間は、創造力と知性によって何かを発見し、行動によって生み出す。
ほとんど多くの人間は、それを用いることで平凡に生きる。
私は、そこからすら外れている。
自分の奥底には、未だ知られざる世界の謎を解き、表現として耐え得るクォリティーを持った「何か」を作り出したいという衝動が圧力となって存在しているが、それを技術や才能として、まともに作用させる機能が、私の魂には備わっていない。
だから、それによってさらに歪になった衝動が、発散する術を知らぬまま、未熟な自己満足の自慰的行為で誤魔化される。これの繰り返しだ。
最初から分かっていたことを、歳を重ねる事で再確認し、時に現実から目を逸らし一時の興奮を得ても、結論は変わらなかった。
私には何も出来ない。
その事が分別できるようになると、もはや意欲や気力も湧かなくなった。
喰って寝るという、生物の行為だけが、自分のほとんどを占め始めた。
己に価値が無いことも分別しているせいか、性的衝動は殆どなくなった。
とはいえ、犯罪を犯すことも、生きるために他人に依存する事もしない。
私は人間が好きでは無いからだ。だから、無駄に争いたくない。
残りの時間は独りで過ごして、独り死ねばいい、迷惑代分の金は残しておくさ。
しばしの期間、ただ意味もなく生きて、次第に身体も衰え、安楽に死亡することが数少ない望みとなったが、叶うものか・・・私は物心ついた時から、それを感じ取っていた。
「底意地の悪い創造者」
これがいわゆる人々の言う神の、私が付けた名だ。
何も出来ない者としては、そう名付けて呪うより、反抗の手段すらない。
そうして不快感に浸っているうちに、そろそろこの滑稽な寸劇が終わってくれはしまいか?そればかり考えている。
さて、もう眠って、創造者と対話でもしている夢でも見るか。
文句の一つでも言ってやりたい気分だ。
「何か言いたいことはあるか?」
意識が戻ると、目の前に美しい女性がいる。
「わたしの名は『底意地の悪い創造者』だ」
ここまでリアルな夢を見るとは、遂に俺の脳も壊れ始めたか・・・アルコール依存というほど、酒は飲んではいないはずだが。
「ほとんどの者は、私を神と呼ぶ」
「多くの者は、感涙に打ち震えながら縋ってくるものだが」
「お前の反応は、性欲と、軽い憎悪の混じったものだ」
「凡庸の下限にいるお前が、性欲よりも憎悪に勝るとは」
「・・・お前を作った事が、そんなに嫌いか?」
美しいその女が、冷たくはない無表情で問う。
「おっと、奇蹟を見たお前が、今後目覚めて人生逆転・・・などということは一切ない」
「お前だけでなく、万物は全て神と接触することになっている」
「お前が思っているより、お前という存在は、どうでもいいものの中の一つだ」
俺の「ひょっとして」という淡い期待を、先んじて否定した。
やはり底意地が悪そうだ。
悪質なのは、憎悪しにくい俺好みの美女の姿で現れた事でも分かる。
これは、俺が眠った事で見ている妄想だという自覚がある。
そして、このあまりにもリアルな状況は、この妄想そのものも真実なのだと告げる。
そして、俺に言う。
「・・・どうだ?抱いてみるか?」
その表情が、特段軽蔑も嫌悪もしていない無表情へと変化する。
当然、俺は自分の欲望に従った。
永遠に近い一瞬が流れ、俺は肉欲の全てが充足される瞬間を知った。
そして欲望を満たした後、俺は再びその快楽を求めたが、拒絶された。
拒絶されることで、欲望が増していく。
「お前は、全ての事象が変化する事を受け入れられない」
「だから、今後も欲望と衝動に飲み込まれるだろう」
「その苦痛から解放されたいか?」
女の姿をした『底意地の悪い創造者』が尋ねた。
「得られない苦痛」に耐えかねて、俺は頷く。
事の経緯の最低限の記憶だけを残し、女との快楽の記憶が一切消えた。
「無かったことになったのだ」
軽蔑や憐憫ではない無表情な顔で言う。
『底意地の悪い創造者』は、決して俺に危害を加えた訳ではない。
むしろ、最大の快楽を一度きりとはいえ、与えただけだ。
そしてたったそれだけの事で、俺の精神は完全に折れてしまっている・・・敗北宣言の代わりに、格好つけた言い方をする。
「要は、俺が俺である以上、何も変わりはしないということか?」
「いいや、変化はし続ける。ただ、お前の思う好転は無いということだ」
その口調は責めるものではない、単なる事実なのだろう。
そう、微かな悪意すらそこにはない。
俺がこの世の誰よりも、真に絶望したとて、どうでもいいことに過ぎないのだ。
「何故、俺は生まれた?」
無駄と知りつつ、疑問が口に出た。
仮に世界を良いものにしたいなら、俺は少なくとも不要だろう?
俺だって、こんな無駄に不快な思いをしたくはない。
「単に生まれるようになっていたからだ」
「そこに「何のため」という意義は設定されていない」
「とある雨の一滴が地に落ちる現象にまで、世界そのものにとっての意味を持たせることは不合理なのと同じことだ」
「お前の存在は、それと同格だ」
「無論、雨の一滴であろうと、ときに意義のある一滴は存在する」
「だが、お前はそうではない、それだけの事だ」
「善悪、愛憎、優劣、勝敗・・・お前が思うそれは、お前が思い込んでいるだけのものだ」
「そしてお前は、その価値観から逃れる事はできない」
「人を最も殺すのは『価値観』だ」
諭すでも慰めるでもない無表情で俺に言う。
その言葉を聞いた瞬間、俺は奈落の底に落ちる感覚を覚えた。
自我が戻ると、まだ、妄想という名の夢の中らしい。
「人の意識と自我が世界を認識する」
「それらが保たれる環境ならば、肉体も不要だ」
「肉体を維持して繁殖が可能なら、意識は不要だ」
「どちらも必要であり、どちらも不要なのか?」
「要不要に意味はない、この世界がこうなっている事が全てだ」
「この世界の根源の謎や、この世界の果てを追うべきではない」
「なぜなら、決して知ることも、理解することも叶わないからだ」
女の声がする。
無機質ではない口調だが、そこに感情はない。
「だが、出来る事なら俺は知りたいし、理解してみたいがな」
ポツリと俺は言う、知的好奇心が僅かにでもあれば、そう思うだろうことだ。
「ならば、手始めに、そこのテーブルのカップを数式で完全に定義してみると良い」
「世界の根源を知るということの、ごく初歩の入り口のひとつだ」
女が俺にそう返した。
「数式で物体を完全に定義する?」
「そんなこと出来るのか?」
「その程度の事が不可能なら、諦めた方が良いということだ」
この世界が、我々にとって想像以上に複雑であるという、女の説明は、俺にとっては、何となく分かりやすかった。
その言葉を聞いた瞬間、俺は再び奈落の底に落ちる感覚を覚えた。
まだ、妄想という名の夢の中らしい。
「お前は『何か』を表現したがっていたな?」
「そして、その手段と才覚がないと鬱憤を募らせていた」
女が問う。
「そうだ、音楽であれ、絵画であれ、俺には人並みの才能すら無くて」
「内側にある感動を形に出来なかった」
「なら、言葉ならばとも思ったが、書けたのは中途半端で陳腐なものばかりだった」
俺は答えた。
「それは、お前の裡に湧き上がった感動の力が小さく、思い描いたものが美しくなかったからだ」
「そして、お前に、それを形にする才能は無い」
「生まれながらにして、決まっている事だ」
「お前は、凡人より少し欲深く、凡人より少し力が無い」
「それがお前の名だ」
女が事実を告げる。
「理解し、受け入れた」
「・・・で、次はどうする?」
俺は女に問う。
不思議と俺は何も思わなかった。
既に分かっていたことだからだ。
「・・・少し、物語の世界で遊ぼうか?」
俺の無気力さに、少しは満足したのか、そう誘って来た。
差し伸べる手を繋ぐと、大昔の自然が広がる。
語り部としての、女の声がする。
「人が言葉を持たぬ昔、人は自然を畏れ、その美しさに感動した」
「言葉が生まれ、その思いを、他者に伝えようとした」
「伝えやすくするため、それを人の姿に置き換えて神話にしたのがはじまりだ」
すっと、時代が過ぎていく。
「人は生きるという事の意味を考え始めた」
「概念や事象に名を与え、自分と他人を区別し始める」
「概念の一つに真理という名を与え、救われる感覚を求めるようになった」
また時代は変わる。
「世界の全てに名を与え、その仕組みを記号に置き換えて読み解こうとした」
「目に見えぬ事象、耳に聞こえぬ事象、決して触れ得ぬ事象」
「その全てを記号に出し戻すことが出来れば、万物を支配することが可能だと」
「世界という名の物語を読み解こうとした」
この景色は、今俺たちが暮らす現代だ。
「そして、全てを記号で名付け、読み解き得る者は、ごく限られた者だけだ」
「それは、今も昔も変わらない」
「『真の言語』を読み解けぬ、ほぼすべての者たちは、人の言葉を求める」
「はじめに救いの言葉、欲求を満たすための言葉、自らを慰める言葉」
「文明の発展によって、少しずつ、真の言語が増え始めると、世界は人にとって複雑になりすぎていく」
「人のほとんどは、真の言葉を理解する器にはないからだ」
「社会に閉塞感が満ち、人は、退行という名の夢を求め始める」
「未来を先んじて知ることで、それを変えていくこと」
「別の世界に生まれ変わり、やり直す事」
「聖なる力、魔法、奇蹟」
「神話と冒険譚を求め、貴種流離譚に平凡な自分を重ねようとする」
「・・・これらは、慰めだ」
「古の神話や物語とは、根本的に性質が異なる」
そう語る女の口調は平坦だが、不自然さも無かった。
再びステージが変わる。
「物語は、書き手という存在を超えることは無い」
「想像力は自由だと言うが、書き手個人の記憶や意識の範囲の産物でしかない」
女がマンガや小説をペラペラとめくっている。
「ふふ・・・これは、発想が面白いな」
「おやおや、出だしは良いのに、結末が見いだせずに詰まっている」
「話を複雑にしすぎたせいだろうな・・・」
「これは作者自身が興奮し過ぎだ、そういう時は一歩引かないと」
「おやおや、脱線し過ぎて収拾がつかなくなったな・・・」
「・・・人の生み出せる物語など、さして複雑なものなど無理なのに」
微かに皮肉っぽく、女の口元が歪んだように見えた。
俺が未完のまま、書き散らした小説を読んでいる。
「真の言葉を読み解く才の無いお前はコンプレックスにまみれ、そのはけ口を探している」
「かといって、まったく身に覚えもない夢物語を書くふてぶてしさも」
「空想の新世界を建築する根気も覚悟も無いと・・・」
「根は夢見がちな少女のようだが、現実には醜い肉体を纏い、シニカルな現実を観ている」
「上半身の薄っぺらい感動が、無償の慈悲などない吝嗇な足腰に乗っかっている」
「戦う勇気と気力や体力の無い男が、安楽なまま英雄にでもなりたいのか?」
「お前が、そういう男だとよく分かる作風じゃないか?」
僅かな軽蔑すら感じられぬ、とても穏やかで静かな口調のまま、俺の存在そのものを嘲笑うかのような言葉を口にする。
以前の俺なら、さすがにここまで言われれば、強い怒りを覚えた事だろう。
だが、実際そうなので、今はあまり心が動かない。
強いて言うなら、俺好みの美女に罵倒されたという事が、ショックなだけだ。
「さして、気にした風でもないのだな」
女が問う。
「さっき、お前が言った『お前が思っているより、お前という存在は、どうでもいいものの中の一つだ』という言葉を思い出したんだよ」
「実際、そんなところだし、アンタも俺にとっちゃ、似たようなもんだ」
「それに、そこまでバッサリ斬り捨てられりゃ、却ってスッキリするものさ」
不思議と俺自身、奇妙に開き直っている。
「少なくとも、寝覚めだけはスッキリ出来そうだな」
「だが、目覚めた後の世界もお前も、何も変わらない」
女が淡々と現実を告げる。
そりゃそうだろう。
夢を見るだけで世界が変わりゃ、誰も苦労はしない。
ほどなくして、俺は目が覚めた。
夢の内容は、ハッキリと記憶していた。
その後、俺が何かに目覚め、人生が変わったなどということはない。
大体、予想通りの一生で、やはりつまらない人生ではあったが、犯罪も犯していないし、他者に依存もしなかったから、良しとするしかない。
一つだけ、違ったのは、あの時見た変な夢を、文字として書き残した事だ。
俺のことを、あそこまでクソ味噌に言いやがって・・・とは思わなくも無いが、ああまで言われて妙にスッキリしたのは事実だ。
投稿とか応募もしてみたが、こんな暗くて奇妙な出来事は、当然誰の関心も引かず、埋もれて行った・・・さして面白い物語でもなし。
でも、それでいいと思う。
 




