女神と勇者のお見合い1
「えも言われぬ美しさという言葉は、きっとこの方のためにこそある言葉なのだ」
と、えも言われる女性であるキャルローラ嬢に、仕えているえるジョイスは、改めて主の美しさを称えた。
その一方で、美しさに比例していると言っても全く過言ではない、えも言われぬ、あらゆる意味での逞しさを知っているだけに決してこの美しい姫君に幻想を抱くことはない。
従ってキャルローラ嬢と二人きりになったとしても、よもや間違いを起こすなどということは絶対にあり得ない。
逆にそんなことをしたものなら、一時間後には棺桶の中なのは間違いがないことも断言できる。
たとえば、異性のいる兄弟姉妹などが女であれば男に、男であれば女に幻想を抱かなくなるようなもので、そういう意味あいではジョイスも、美しい主人に対し敬愛の念を抱いても、憧れたりときめいたり、ましてや陶酔するなんてことは、ないのであるから、ある意味では、とても貴重な女性であるのだ。
その噂の本人のキャルローラ嬢といえば、惜しげもなくダイヤとパールが鏤めらた濃紺と純白のドレスを身につけ、艶やかな髪に白い花を飾り、静かに鎮座している。
ディナル公国の公邸内に設けられてたガラス張りのサンルーム。
真上から照らす太陽はサンルームを取り囲むように植えられた樹木で適度に遮り、漏れ射す零れ陽がなんとも美しい光景を作り出している。
まさに夢のような世界がそこには広がっていた。
広く明るいルーム。
辺りを彩る数々の植物や花たち。
静かに聞こえてくる水の流れる清々しい音。
時々、さえずる小鳥の声。
全てが、キャルローラという少女を演出する道具の一つであり、それらが揃ってしまうと、ここが本当にコノヨなのかと、誰もが目を疑いたくなるほどの空間。
案内されその場を足を踏み入れたマルスが腰を抜かさんばかりに驚愕し唖然とし、呆然としてその後、突っ立ったままでいたとしても、誰も咎めだてなど出来るはずもなかった。
キラ嬢の美しさに免疫を持っていたはずの兄であるリィですら、今にも目から眼球が飛び出そうな程に驚いたし、父のカルロ公ですら娘の美しさに喉から自然と感嘆のため息を漏らした。
「やっと、お逢いすることが出来ましたわ、マルス様」
外を見つめていた姫君が侍女の一言に頷くと、その場に静かに立ち上がり微笑んだ。
涼やかで、柔らかなそれでいてどこか凛とした声で挨拶ををされてもマルスはまだ動けないまま呆けていたのだ。
「おい、マルス!」
背中を思い切り押され、やっとのことで足を踏み入れ、キラの前に立つと、今度は息が止まりかけた。
大げさな話ではなく本当に息が止まりかけたのだ。
「マルス様? わたくしの顔に何か?」
じっと見つめられ、キラは恥ずかしそうにはにかみながら、マルスと視線が合うと、本当に恥ずかしそうに頬を染めた。
(頼む! 誰か説明してくれ! この人が、あの女と同一人物な理由を!)
さて、騙されたとか化かされたという言葉がある。
男女関係に置いて騙されたと言えば、色々な事柄が当てはまる。
たとえば結婚後に判る互いの本性だとか、過去だとか、いろんなこと。
一方、化かされたといえば、男女関係というよりは、本来ならばありえないものであるとか、見ちゃいけないモノを見たとか、そういう意味でよく用いられた言葉である。
マルスの目の前でたおやかに微笑み、ときおり恥じらうように頬を染めて俯く仕草を見せているキャルローラ嬢は、まさにその二つの言葉が同時に浮かび上がるような感じだ。
叫びだしたい気持ちも、逃げ出したい気持ちも、この場で気を失ってしまいたいほどの驚愕も、復活した呼吸を利用し押さえ込んで、軽く頭を振ることで、耳の奥で聞こえていた様々な雑念を振り払った。
やっとのことで本来の自分を取り戻すと、先ほどまでは乾いていた舌にも、喉にも潤いが戻ってきて、マルスは挨拶を返すべくその場に跪いた。
キラの左手を自分の口に元に持っていくと、その甲にそっと口づけをする。
「コクーン共同防衛組織軍所属マルス・ローダリールと申します、姫君」
「お顔をお上げくださまいせ、マルス様」
いつぞや聞いたのと同じセリフが飛び出して、マルスは弾かれたように顔を上げる。
やはり間違いがないのだ。
あの時、マルスが一目惚れし夢うつつな気分を味わい、熱に浮かされたように夢の中で逢瀬を重ねた、あの、とんでもなく美しい天使のような少女。
マルスの理想の全てと言っても過言ではない少女が、目の前に婚約者として立っているのだ。
だが、つい一週間前、あの悪夢のような出来事を体験すれば、目の前にいる天使の面の皮(それこそ、分厚いツラの皮)の下にある本性を知ってしまえば、この婚約に異論が山ほどあるのは当然なのだ。
当然あるはずだが、断れないとか、政治的要素の強い意向がとか、そんなことはこの際、どうでもよくなった。
マルスにとって大問題なのは、その本性を知っても尚、自分がこの天使の面の皮の下に、惹かれていることこそが問題なのだ!
一度として自分をマゾっ化があるなどと思ったことはないのだが、このキャルローラ嬢より、あのキラの方が断然美しく、生命の輝きに満ちあふれ、凛々しく神々しく見えてしまう。
(最悪だ……アンタレスよ、最悪すぎる)
その呟きをマルスの付添い役となっているリィは聞きとめると心底同情し、目にはうっすらと涙すら浮かべた。
予言者を気取る気など更々ないが、リィにはマルスのこれから未来に待ち受けるであろう幾多もの受難と、心労とそれに附帯する様々な事柄が、見えた気がして同情を通り越して「不憫な」と、心の中で呟いた。
「マルス様、初めてではございませんが……わたくし、ディナル公国第一公女、キャロルーラ・シオン・カーディナルフェル。と申します」
まるでお手本のように美しい流れるような動作で一礼したのち顔を上げ背筋を伸ばしたキャルローラ嬢は、どこから見ても、どの角度から見ても、まさしく「プリンセス」であった。
立ち居振る舞い物腰に非の打ち所は無く、声のトーンまでプリンセス。
潤みを帯びた美しい瞳で見つめられてしまえば、これは悪い魔法使いの魔力なのだと、目の前にいるのは、これ以上ないほどタチの悪い魔女の魔力なのだと分かっていても、マルスはその瞳をのぞき込んでしまった。
天使のツラの皮を仮面にしているお嬢様は、見る者総てを虜にする。
それこそ天上にいる神ですらその微笑みと、瞳の宝石でたぶらかし、天国にいる気分を味逢わせると地獄にたたき落とすのだ。
可憐で清楚な姿のおかげで、どんなにたぶらかされているんだ、騙されているんだと思ったところで、神様すらをもたぶらかすことが出来るのだから、一般的で健全な男子に、その魔力に陥るなと言ったところで絶対に不可能。
本性を垣間見たマルスも一般的で健全で健康なカテゴライズに所属しているから、瞬時でその魔法にかかってしまった。
「マルス様?」
マルスはキャルローラ嬢を正視できないまま、侍女の案内に導かれ温室の中央に設けられていた茶席に着く。
互いの声が聞き取れない程離れすぎてもなく、かといって互いの息がかかるほどに近づき過ぎている訳でもない、ベストなといっていいのかはわからないが、適度な距離感を保つことに成功している円卓の上には、注がれたばかりの赤い紅茶が湯気を立てている。
マルスは、ひとまずその紅茶を口に含んだが、紅茶の銘柄が気になるほどの紅茶通でもないから、味などまったくわからなかった。
目の前には、まるで春の日差しのような微笑みを称えたキャルローラ嬢。
絵に描いたような深窓の令嬢が、マルスを三度も投げ飛ばした張本人であり(どれほど悲惨な目に遭い、迷惑を蒙ったことか)、戦闘に置いて自分より上位に位置する(アカデミーを出たエリートの自分達より遙かに手慣れたあの戦闘にプライドは粉々)、とんでもない女傑であることなんて、すっかり忘れさっていた。
「わたくしの顔に何かついておりますのでしょうか?」
「あの…キャルローラ様」
「マルス様、どうぞキラとお呼び下さいませ。家族の者はわたくしをキラと呼びますの。マルス様はわたくしの伴侶となられる方なのですから、敬称などは必要ございません。と申しましても、マルス様がご迷惑でなければですけれど」
「いや、迷惑では…」
不覚にもそれ以上の言葉が出てこない。
目の前の美しい女性に愛称で呼んでくれと微笑まれて、はっきりと「迷惑です」なんぞと言える人間などいないに等しい。
逆に「そうですね」とばかりに愛称で呼べるほど親しい間柄でもない。
相手は、国が違うとはいえマルスよりも地位も名誉もある人物。
いかに父親が重要な要職についているとはいえ、マルス自身は将来を有望視されているとは言ってもただの一兵卒なのだ。
試行錯誤の上でマルスはキャルローラ様ではなく、キラ様と呼ぶことにした。
「……あの、キラ様は本当にこのお話を、承諾されているのですか?」
「と、申しますと?」
「いえ、あの。今回の婚約について、本当に了承されておいでなのかと。まだ、若いのですし…その」
「わたくしでは何かご不満でしょうか?」
「いや!」
思いもかけない一言に力一杯否定の言葉を発してしまう。
「マルス様、話は父から聞いております。コクーンと地球の平和の為でしたら、わたくし、この身をお役に立てたいと思いますの。アンタレスに属する者としてディナル公女として、そして、平和を願う者として。それに、マルス様は誠実で清廉な方と伺っております。不安はござません。マルス様は、わたくしに何かご不満でもおありでしょうか?」
最後の言葉は微かに震えている。
その姿は本当に頼りなく、その両手を取って「そんなことはありません」と危うく言いそうになるほどだった。
「でも、これはお見合いではなく婚約ですよ? 貴女の意思はどうなのですか?」
「マルス様、わたくしがこのディナル公国の公女として生まれついたのも、この結婚も、主アンタレスのお導きなのだと思います。運命を受け入れ、その運命とともに歩んでいくだけですわ。いずれどなたか殿方に嫁ぐ日はくるのです。もし嫁ぐのでしたら、微力でも平和のために殉じたいと思っておりました。マルス様はわたくしではお嫌ですか? 少しずつ、信頼を結び愛を育てて行ければと、わたくしは思っているのですが…」
これほどの美少女に哀しそうに俯かれ、それでも否などと言える男などコノヨにいるわけもなく。
たとえいたとしても、本人を目の前にして言える人間などいるわけもないから、マルスも思わず「そんなことはありません」と言ってしまった。
当事者であるマルスがまったく知らされていなかったとはいえ婚約自体は、かなり以前より仲介役をアンタレスして、もたらされていた。
そのアンタレスに属するキラ嬢に断る事など許されるはずもなく、ましてやその話を受けると返答してしまった以上は、マルス側も断れるはずもなく、しがらみでがんじがらめにしてから、当人達に知らされたのだ。
マルスが気に入らないからと断ってしまったなら、その後どれほどの騒動が持ち受けているか想像も付かない。
マルスが一人、あーでもない、こーでもないと持論と討論を頭の中で繰り返し、やっと「これも仕方ない」と諦めの境地で吐き出したため息を聞き止めたキャルローラ嬢は視線を外に向けて再びマルスに戻すと、これまた極上の笑顔を浮かべた。
「すこし歩きませんか? わたくしのお気に入りの場所がございますの」
「お気に入りの場所、ですか?」
マルスに向けられたキャルローラ嬢の笑顔の下をこの後、30分後に知ることになる。




