勝利も女神に微笑む1
「百年の恋も冷める」ということわざがある。
これは長い間をかけて育てた恋も、愛も、急に冷めることを意味する。
あと数時間後に、恋が冷めるではなく、身も心も文字通り醒めるを体験する人物の名前をマルスと言う。
つい3日前、アンタレスの大神殿で豪華なドレスに身を包み心の中で繰り出した数限りない悪態を、神妙な面持ちという仮面で覆い隠したキラが、その小道具の一つであったドレスを脱ぎ捨てたのは、大神殿を出てからわずか1時間後のこと。
ドレスを脱ぎ捨てた2時間後にはシャトルに乗り込み父に付き添われ、サラとともにディナル公国に無事に帰還したのは、それから12時間後。
ディナルの宇宙港で、キラとサラの無事な帰還を待ちかまえていた民達にその美しい姿と息災を手を振り笑顔を振りまいてアピールした後、そのままとって返して今度は着ていたワンピースを脱ぎ捨て、リィを伴って別のシャトルに乗り込んだ。
その時間ディナル到着後、3時間の出来事だった。
シャトルは無事に大気圏を抜けたのだが、わずか数時間の間に二度も大気圏を突入した猛者といっては憚るが、そのような人間はきっとこの二人だけだろうと、リィは深くため息をつきつつハードスケジュールとなったキラとサラの身を案じた。
だが、優しく労るリィの気持ちはサラの「こんなのいつものことだよ?」と告げる微笑みの前に塵となって飛び散り、あげくこんなことをいつもしているのかと思うにつれて、キラとサラの底なしの体力やら、計り知れない精神力やらをかいま見せられて、リィはほんの少し背中に悪寒を感じてしまった。
軌道上に待機していたアンタレスの護衛艦メタトロンと無事に合流し、アンタレスからの要請(という名の絶対命令。というか、その命令自体がキラの手回りの産物だが)に従い、コクーン共同防衛組織軍の艦隊と、地球圏国際連合艦隊(実質はディオンの艦隊なのだが)の双方に対し停戦を呼びかけるためという口実を造って、その空域に向かっていた。
と、ここまではリィだってちゃんと覚えているし、その成り行きにも納得していた。
キラとサラを無事にその空域に連れて行くこと、という父の命令に納得は出来ないが理解は出来る。
カルロも納得していた様子はないが、アンタレスのひいては三家の掟を盾にとられたのでは他に道はない。
だからリィに「くれぐれも、キラに無茶はさせないように」と、含みを持たせた(実は、これはキラの無茶を心配しての発言ではなく、その後に起こるある騒動を憂慮しての発言だったのだが、この時のリィにはそんなことはわかるはずもない)。
そしてキラが言うところのガーディアンを無事に送り届けるためには、これしか方法がないというのも無理矢理、自分の心を納得させた。
なのに、なんでこんな状況に陥っているのか何度考えても思いつかないし、どうしてこうなってしまったのか、その原因だってよくわからない。
ともかく、いま目の前で繰り広げられているのは、コクーン軍とデュオン軍が小競り合いどころか、戦争真っ只中の状況下で、ここは宇宙のはずなのに、まるで地上戦でもやっているかのように砲弾やらなんやらが飛び交って、もの凄い勢いで状況が変化している。
前にキラが宇宙戦は「深海の潜水艦同士のバトルのようなものよ」と言ったことはあったが、どこをどうとればそういう発想が出てくるのか。
よくもまあ右も左も、上も下もわからない宇宙の中で無差別に無分別に戦争が出来るものだと感心していたリィは、何を隠そう戦争自体が初体験なのだ。
どこか遠くへ逃げたいとか、泣きたくなる程に怖いという感情はなかったが、ある種のショックを受けていたのは確かで、艦橋のモニターに映し出される映像を呆然と立ちつくしていた。
士官学校を卒業したといっても、所詮は親善のための入学であったので実践訓練も実戦研修すらも受けていない。
リィの呆然自失の状態を打ち破ってくれたのは、やはりというか当然というか女神の名を持つ凛々しいキラだった。
女神様はサラを伴い艦橋に入ってくるなり、その麗しい美声で悪態をついたのだ。
「やられた! デュオンも馬鹿じゃないってことね」
「まあ、こちらの情報が漏れたのは仕方ないとしても、この状況はちょっと不味いね、キラどうする?」
横に視線を向けてみれば、そこには白い軍服を身につけた女神キラがいた。
キラはメタトロンに乗り込むとすぐに私服を脱ぎ捨て、アンタレス護衛隊の白い軍服に着替えていた。
ディナル公国の紋章の入った青い外套を肩からかけた姿は、それは大層美しく進軍する女性将軍の様相。
「お兄様、着るものがないわ」とのキラの一言と「艦内では私服より軍服よね。何事も形から入らないと」というこれまたキラの訳の分からない持論によって、リィは制服をキラに奪い取られてしまったのだが、こんな時ではあるが本当によく似合っている。
「お兄様、何を呆けていらっしゃいますの」
これが怒気を孕んでいならば、カッとしたかもしれない。
だが、キラの口調はいつものキラそのもので、しかも揶揄った意味合いも含まずにいたおかげで、逆にリィは急に付き物が落ちたように、いつもの自分に立ち戻ることに成功した。
「すでに始まってるとは思わなかった…」
「…でも、予想の範囲ではあったはずです」
「で、下手をすると、この艦も打ち落とされちゃうよ? デュオンならやりそうでしょ」
強張った表情でサラが呟くのと、キラが「出過ぎ!」と叫ぶのはほぼ同時で、言葉に被さるように艦が大きく揺れた。
キラは咄嗟に隣にいた右腕でサラを抱きしめて、リィはそのキラの腕を捕まえることでバランスをとる。
その場にいた他のクルーたちは、悲鳴を上げながらシートにしがみつく。
「ムカツク! やられた! 艦長、この船に戦闘機は積んでないの?」
「キラ! この船はあくまでアンタレスの護衛艦なんだ、そんなもの積んでるわけがないだろう」
「護衛艦なら積んでるんじゃないの普通は! アンタレスが攻撃された時どうするつもりなのよ、役立たず!」
「そもそもアンタレスに向かって戦争を仕掛けてくる輩なんていないんだし」
アンタレスというのを強調してリィは言い返したが、キラが鼻で笑って「使えるものを使わずに、いつ使うのよ役立たず! なんのための戦艦なのよ! 鉄くず!」と言い捨てる。
「やられたら。それ以上にやり返す。特に相手が悪人の場合は徹底的にやる」をモットーにしているキラには、デュオンに攻撃をされたことが余程、腹に据えかねているようで、瞳はすでに臨戦態勢に入っている。
ここに、強力なミサイルのスイッチがあったなら、なんのためらいも見せずに、笑いながら押しそうな勢いだ。
「キラも、お兄様も今はそんなこと言ってる場合じゃないよ、第二派がくる」
言い終わらないうちに再び爆撃を受けて艦橋の明かりが一瞬落ち非常用に切り替わるに至ると、艦橋内には各部署からの被害の状況と指示を待つ連絡が殺到する。
その騒音の中であっても、はっきりと聞こえる声でキラがその美声を荒げる。
「すっごくムカツク! わざとやってる」
「……だろうね。流れ弾に当たったとかなんとかいくらでも理由は用意できるし、お父様の爆弾発言に対する報復にもなるもん」
「でも、私がこれに乗っているのは、知らないのよね?」
サラを抱きしめているキラが、満面の笑みを浮かべて微笑むと「またよからぬこと?」とサラは呟いたが、そんなことは右から聞いて左に流すのがキラだ。
「艦長、艦を停止させて!」
「そんな命取りだろ! キラ!」
「前進したって命取り、後退させたって命取り、ならなんとかするしかないでしょ! 私がなんとかしてやるわ!」
「言ってる意味がわからんぞ、キラ」
ニコルとともに艦内の対処に当たっていたリィが、キラとサラの言葉に反応するが。
そんなリィにですらキラが満面の笑みを見せる。
「せっかくだからガーディアンをお兄様にもご覧にいれますわ。どちらにしても本来、この艦の目的はあれをあちらに引き渡すためだったんですから丁度いいわ。艦長!」
それはとても凛とした声で瞬間、ニコルは「はい」と命令を受けた下士官のように、その場に立ち上がって背筋を伸ばし、リィもつられて背筋を伸ばした。
キラはサラを抱いていた腕を解くと、一つ深呼吸した後、顔を上げて前を見据え超然した笑みを浮かべた。
「艦長、救助信号弾をあげなさい」
「……救助信号でございますか?」
キラの命令口調に違和感も感じないまま、ニコルが聞き返す。
これではすでにどちらが主導権を握っているのかわからない状態ではあるが、この場においてそれに異論を唱えるものも、それとなく諭す人間もない。
前を見据えているキラは、女王然として圧倒的な存在感と威圧感を漂わせて立っている。
キャルローラ・シオン・カーディナルフェルという人間は、こんな時にこそ真価を発揮するのだ。
「こちらの艦は、アンタレスの護衛艦メタトロンは、無差別の攻撃を受けて動けないという救助信号です。そして航行不能によりアヴァロンに対し救助を求めると入電しなさい」
「ですが、キャルローラ様。あちらの回線と繋げるのに時間がかかります。それになぜ、アヴァロンなのかと、後々問題なりは致しませんか? アンタレスの許可もございません」
「アンタレスの指示や許可は必要ありません。そちらは私が対処します。安心なさいニコル。アンタレスを黙らせるために取引に使うためのネタならそれなりに用意してるから。面倒ごとはアンタレスに対処させればよいのです。細かなことなど気にする必要はありません。それとティタニスの使用権もサラが持っているから、アヴァロンの回線ならすぐに入り込めるわ」
その場にいた誰もが自分が何を聞いているのか深く考える余裕があったなら、キラの言葉の裏に存在する「何かあったなら、なんとかするのがアンタレス」すべてはなすりつけてしまえ、という真意をくみ取れたが、現在の状況下においてそれを正しく頭の中で変換できる人間など皆無だった。
ニコルはクルーに救助信号と命令すると、言われたクルーもそれを実行する。
ここまでくるとキラの考えがサラには手に取るようにわかったらしく、わかったけれど、不満一杯という表情を浮かべた。
「無謀過ぎるよ、キラ。もし、失敗したらどうするの?」
「だけど、このままじゃこの艦だって沈むよ? それにコクーンの戦力と戦闘能力じゃ、ここを支えられたとしても、もって30分だよ。サラお願い」
キラがもう一度手を合わせてお願いとつぶやくと、サラがため息をつく。
傍若無人でやりたい放題、したい放題、悪運強く、人の弱みを握ることは大好きで、だけど自分の弱みを見せるのは大嫌い。
凛々しく逞しく、何事も力業で乗り切るキラに、こんな風にお願いというおねだりをされたら、自他共にキラには甘いと認めるサラに対抗できる術など持っているわけもなく。
言いたい事をすべてため息に込めると、綺麗さっぱりと思考を切り変えた。
「わかった。ここまできたらもう仕方ないよね。あの3機の事は僕に任せて。それから、アヴァロンの系統はこちらで処理しておくよ。あの三名のこともおじい様からローザに話は言っているはずだから」
「え? アヴァロンの艦長はローザなの?」
「知らなかったの?」
「うん、初耳。だけどルイスも以外と狸なのね」
今まで体に伝えられていた微かな振動が止まると、リィがキラの肩をたたく。
リィもサラ同様にすべてを納得出来たわけではない。
が、彼とてキラの血縁者だ。
状況を的確に判断した上で自分なりに腹のくくり方を心得ているし、逆を言えばこういう時にこそ、輝き放って逞しさを発揮するのが、キラであるとわかっているから、もう不満も文句も言わない。
「キラ、メタトロンの停止確認だ。信号弾も確認」
「ありがとうお兄様。サラ後のことは頼んだわ。ニコル、艦内の事はあなたに任せます。お兄様、参りますわよ」
そう呟いて、キラが右手を差し出した。
それは数週間前に、キラがアンタレスでリィにつぶやいた台詞だ。
あの時は豪華なドレスに身を包み、大理石の廊下を歩いていたのだが、今は殺風景な艦橋の扉の前。
それでも、そのときのキラの言葉を思い出すと、瞬時に頬が緩む。
「ドレスを着たキラは後ろを振り向かない、か。じゃあ、軍服のキラは?」
「軍服を着ているのは勝利の女神のジャスティティアですわ、お兄様。私はキラ、そしてジャスティティア! 勝利は私にこそ輝くですわ」




