プリンセスの偉大なるみち2
「法父様の悪逆非道の謀略に比べましたら、わたくしなど稚拙で……恥ずかしいですわ」
等と、面と向かってそれも麗しい微笑みを浮かべながら言葉を繰り出せる人間など、この場いや、この世界広といえども、間違いなくキャルローラ嬢ただ一人に違いない。
それは立ち会っていたサラもリィもレンも認めるところで、それを面と向かって言われた当事者である、宗教本国アンタレスの現最高責任者、法父主ガブリエル10世は、笑ってすまそうか、はたまた呆れようか、もしくは渋面をつくろうか数秒間考えた後、表情を変えないことを決めた。
選択肢の中に怒る、もしくは激怒するというものが存在していないのは、この程度のことで目くじらを立てて怒るようでは、目の前に女帝然として佇んでいるキラと張り合えないことを十分理解しているからだ。
彼はキラのことを、生まれたときから知っているだけに、免疫がついている部分もある。
「相変わらず元気そうだな、シオン」
「御陰様で。悪辣なことも、非道も、阿漕なことも何一つ出来ないわたくしの、唯一の取り柄ですもの」
艶やかに微笑みながら手に持っていた扇を広げて口元を隠す。
キラの後ろに控えていた二人の兄は、目の前にいる法主の穏やかさに感嘆し心の広さに敬服し、一方ではキラの先制口撃に度肝を抜かれ、いつもと変わらない、下手をすればいつもよりも、もっと楽しそうなキラに目眩を覚えた。
「まあ、わたくしすっかり忘れておりましたわ」
しばしの沈黙を破って静かな大神殿の中に鈴のような音が木霊した。
実際は鈴ではなくキラの声なのだが、大理石で出来た空間に響くキラの声は、錯覚なのかもしれないが玲瓏たる音がしたのだ。
だが響きの中にこうヨカラヌ何かを感じて、レンとリィが同時に柳眉を潜めた。
先程からキラがこのような暴言もとい口撃もとい、好戦的な挨拶ができるのは、この場にいるのが、ディナル公家兄弟と、法主たるガブリエル10世しかいないからだ。
所謂キラの言うところの阿漕な事が大好きな古狸どもが同席していたのなら、事はもっとヤヤコシクなる可能性があり、成りゆきによっては想像すらもしたくない後始末とか、事後処理が発生する可能性もあった。
ただ、キラは自分で起こした不始末やらヤヤコシイ事態は、ある程度の所までは自分で処理を付けてくれるから、あとは各人の理性を騙せばなんとかなるのだ。
その理性を騙すのが実は一番、大変な事後処理だったりするのだが。
古狸達がこの場に臨席していないのは人払いをした結果ではなく、大神殿に入殿を許されている上級使司卿達の足をさりげなく、しかし明確な意図をもってキラがピンヒールで踏みつけた結果、彼らは医務局で手当を受けている状態だからだ。
踏まれた直後、完璧なまでに美しい微笑みを浮かべるキラに、痛みをぐっと堪えて威厳ある表情で接していたのは、一重に普段からの鍛錬の賜なのかは最大の謎だが、とにもかくにも悲鳴一つあげずにその場に踏ん張っていたその努力と根性に、別な意味でレンとリィは心底敬服した。
その状態を見ていたガブリエルは、この時ばかりは踏まれた人間達に心の中でお見舞いを呟いていた。
ピンヒール事件に関して言えば、レンもリィもてっきりキラの報復行為だとばかり思っていた。
だが、あの行為が実はキラによる人払い作戦だったと気が付くと、今度は妹の用意周到な策略に寒気を覚えたのだ。
(この先どんな事があったとしても、キラだけは敵には回したくない)
キラは情け容赦のない一面もあり、徹底報復を信条としているが、ここまで策略の働く人間だとはレンもリィも思っていなかった。
どちらかといえば、強運(一部は悪運)だけで乗りこえる無計画主義だとばかり思っていたのだから。
そのキラの猫なで声は本当に要注意で、過去にこの声に幾度となく騙されてロクデモナイ目に遭わされた人間を兄達だけではなく、サラだって何人も見てきている。
かくゆうレンとリィだってその人間の一部なのだ。
「セレス様、ガブリエル10世法父主へのご就任おめでとうございます。心よりお祝いを申し上げます」
キラは手にしていた扇を閉じ、ドレスの裾をゆっくりと払うと、洗練された流れる動作で、その場に静かに両膝をつき恭しく頭を下げる。
神殿の白い大理石の上に赤い毛足の長い絨毯。
その絨毯に広げられた、アンタレスの紋章が刺繍された桃色のローブは美しいコントラストを描いた。
恭しく頭を下げるキラの、これまたドレスとの絶妙な色合いで輝く美しく長い髪。
だから騙されるのだ。
このガブリエル10世も。
そして二人の兄たちも。
キラがすべてにおいて少女としては規格外であることを知っていても騙されるのだ。
素直に礼を返そうとしていた、ガブリエルに投げつけられたのは、まず小型の手榴弾だった。
「さすがはセレス様です。わたくしとサラを目くらましに利用して本家をあぶり出しあげく、国連に罪をなすりつけて障害物を暗殺なされたんですもの。その用意周到な悪辣さには感服いたしますわ。見習わないといけませんわね」
手榴弾は確実にガブリエル10世に命中したが敵も然る者で、ほんの少し表情を崩しただけで次の瞬間には立ち直り、慈悲深い法父主様であるといういつもの微笑みを取り戻した。
次にキラが繰り出したのは、小型のランチャー如き攻撃力を伴った言葉だった。
「ましてや今度は自分の御代に害をなしそうな本家を、三家の掟を利用して正々堂々と葬り去るご計画。その計画にか弱き乙女を利用するその非道ぶり、わたくし敬服いたします」
「………キラ…申し訳ないが、言いたいことはもっとストレートに言ってくれないか」
立て続けの攻撃を受けてガブリエルが手を挙げて制するとキラは「まあ!」とわざとらしい声を発する。
「簡単なことですわ、お祖父様」
キラとサラだけが許されている呼び名で呼ぶと、その場に立ち上がる。
「あまりオイタをしていると、神の鉄槌が下る前に、わたくしが鉄槌をくだしましてよ」
「……本当にやるから怖いよね。前例がありすぎて僕は止めようとも思わない」
サラが援護射撃になっているようで、なっていない言葉を呟く。
今まで黙っていたのは、キラの憂さ晴らしの場面を邪魔したくないからだ。
「ですが、今回の件に関しては様々な事情もありますし、わたくしもこれ以上デュオンに患わされるのはいい加減、飽き飽きしていたところですから、アンタレスの命令を尊重してケリをつけたいと思います。こちらにいる亡霊はお祖父様で処理してください。そこまで手は回りません」
「……ここにデュオンに通じている者達がいるのは理解している。それに関してはキラの言うとおり、私がなんとかしよう」
「当然です。ご自分だけ安全圏になどいられては困りますわ。こういうことは一蓮托生、連帯していただきますアンタレスにも。それにわたくしはとても親切ですから、楽しみを一人だけで楽しむ趣味はございません」
さすがのガブリエルも頭を抱える。
キラのことならば、多少どころかよく理解している人物である。
一族間に起きた動乱の関係で、キラとサラは七才までをこのアンタレスで過ごしている。
その時にキラとサラの教育係となり、二人の庇護者となっていたのはセレスで、この双子がひ弱であるとか、泣き寝入りであるとか、そういう類に連なるものを全て母親のお腹の中に忘れてきているであろう事は十分理解していた。
それでもキラの少女規格外な逞しさも、凛々しさも好ましいと思っていたし、事実、キラのしでかした色々様々な不都合を、上手に微笑みながらもみ消して、甘やかしていた最大級の人物なのだ。
サラに至っては、キラ以上に辛辣で容赦のない一面を持っていることは重々承知していて、逆にアンタレスには望ましい人間なのだと認識していたから、やはり甘やかし放題に甘やかして、見てみないふりをかなりしていたのだ。
現に、ついこの間の騒動の際だって、事の顛末を報告に来たリィに「キラは相変わらず元気だな」と、微笑みながら呟いてしまったのだ。
が、それは、自分以外に向けられるからであって、こうしてキラとサラの波状攻撃に晒されれば、さすがの彼も自分が甘やかした結果を見るに付け、過去の自分に呪いを吐くのだ。
ただ、キラとサラのために擁護するのならキラとサラは、たとえ厳しく従順に育てられようとも、世間一般でいうところの姫とはほど遠い存在になったであろうし、キラの毒舌と相手をやり込める時に発揮される血の巡り良さだけは、決して無くなりはしないのだ。
それを忘れてしまっている時点で微笑みながら人を絞め殺せる策略家との別名を持つガブリエルはすでにキラの敵ではない。
「キラ……言いたいことはそれだけかな」
これでお仕舞いにして本題に入りたいとばかりにセレスが含むが、そんな含みを分かってくれるような人物ではないのがキラ。
いや、分かっていたとしても、自分のお楽しみを後回しに出来るような人物ではない。
「いいえ、とんでもございません。もう少しお祝いの言葉を考えておりましたの。ですが、本日のわたくしは血の巡りが悪いようで他に言葉が思いつきません……」
散々、好き放題言った後も、いとも優雅とは言えない会話が続き、しかもサラまでが援護射撃に加わったのだから、さすがのセレスも精魂尽き果て最後には白旗を掲げた。
その様子を遠巻きに、どこか現実感を伴わず見ていた二人の兄は(実際に途中からキラとサラの会話に付いていけなかったのだが)再び心に堅く誓ったのだ。
(キラを絶対に敵にはしない、敵にまわすくらいなら、自決を選ぶ)と。




