第6話 弔辞
「(声が・・・出ない!?ど、どうして!?)」
シェルヨトは膝の上で力いっぱいの握り拳を作りながら、大粒の冷や汗をかいて目を見開く。
何度も、何度も、何度も声を出すように努力する。口を開け、舌を動かし、喉を震わせようと試みて。
しかし・・・。
「(で、出ない・・・。微かな音すら発することができない・・・!)」
彼は一切の声を出せないままだ。
そうこうしているうちに、とうとう弔辞を読む行事が始まった。これは魔王の葬儀に参列している者が全員参加するものであり、棺の中に納められた魔王の亡骸の前に立って言葉を述べる。
まず前方に出たのは魔王妃。
彼女は涙ながらに夫への愛と感謝を口にし、それは会場に集まった面々の涙を誘う。
「(わざとらしい演技がバレバレなんだよ・・・!魔王様の死を最も喜んでたのはお前だろうが・・・!)」
ただ魔王妃の言葉を聞いてシェルヨトはその感情に怒りを滲ませて肩を震わせる。
「(魔王様が掲げた和平案に最後まで反対していたのはお前だってのは聞いてるんだよ・・・!魔族の兵士たちを人間を殺す駒としてしか見てなかったこともな・・・!)」
しかし当然魔王妃にはシェルヨトのこの声が届くわけもなく、彼女は弔辞を言い終えると勝ち誇ったかのような表情を浮かべ、堂々とした足取りで自分の席へと戻っていった。
「(得た財産を使ってまた戦争を引きこそうとしている癖に・・・!)」
その次は魔王の妹である3名が続けて弔辞を口にしていく。
彼女たちも事情を知らない者であれば瞳を潤ませてしまうような、嘘をふんだんに盛り込んだ言葉を魔王に向ける。
それらを聞くたびにシェルヨトは怒り、悲しみ、落胆する。
どうしてこんなに平気な顔をして嘘をつくことができるのか?どうして身内である魔王のことを心から偲ぼうと思えないのか?
彼のことを襲うのは憤りを越えた無力感。そして僅かに参加した人間の政治家が弔辞を述べる段階に移ったところで、ようやくシェルヨトはあることを思い出した。
「(そうだ・・・。魔王妃様が出されたあの変な液体。あ、あれのせいでこうなったのか・・・!)」
休憩時間が終わる直前、魔王妃が手渡してきた銀のカップ。その中には得体の知れない黒い液体が入っており、もちろんシェルヨトは警戒したものの圧力に負けて口にしてしまった。
飲んだ直後こそ異変は無かったものの、しばらくして起きたのがこの声が出せないという事態。これはその出来事以外の原因は考えられないため、間違いなくあの液体のせいだろう。
「(迂闊だった・・・。どうにか抵抗すれば良かったのに・・・)」
次々と弔辞が読まれる中、シェルヨトはがっくりと肩を落とす。
これでもう自分は魔王様へ別れの言葉を口にすることができない。
どういう審査方法になってるかは分からない、『葬儀が終わる直前、最も胸に響く魔王への弔辞を読めた者に、魔王が遺した財産を渡す』という行事。
この1年間を越える葬儀を参列者たちが耐えてきたのもこれがあるからだ。現に葬儀会場にいる面々の目はこの期間の中で最もギラギラとしており、まさに金銭欲に憑りつかれているよう。
当然シェルヨトだって魔王の遺産が欲しい。
『公私混同をすることは控えたい。しかし吾輩の・・・唯一として最も大切な友人である君に財産を渡したく思っている。どうか吾輩の財産を使って、魔族と人間のための食堂を開いて欲しい・・・』
この魔王の最期の言葉では、シェルヨトにその遺産を渡したいとハッキリ言っているのだから。
しかしそれ以上に彼は魔王に向けて感謝の意思を伝えたかった。
寂しく苦労の多い生涯だったと思うが、自分は魔王のことはとても偉大だと思っており、短いながらも共に過ごした時間は言いようがないほど貴重でかけがえのない財産だと礼を述べたかった。
立場は違えど魔王は自分にとって一番の友人であり、その命が尽きるまで弔い続けたいと表明したかった。
なのに・・・。なのに・・・!
「それでは最後の方、魔王様への弔辞をどうぞよろしくお願いいたします」
シェルヨトの耳に届くのは司会進行役であるフェアリーの言葉。
彼女はうなだれているシェルヨトの方を見ながら前方に出るよう促すが・・・彼は立つことができない。
「さあ、どうぞ。魔王様へ最期のお言葉を述べてください」
しかしフェアリーからの催促にいよいよシェルヨトは席を立つ。そしてそのまま震える足で前方にまで向かうが・・・やはり声は出ない。
「・・・?どうされましたか?」
徐々に異変に気づいて怪訝そうな表情を浮かべるフェアリー。目の前に立っている人間の男性は懸命に口を開けているのだが、一切の音は出ていないからだ。
「ど、どうされたんでしょうか・・・?」
思わず困惑するフェアリーだが、焦るシェルヨトとは対照的に、それを眺めている魔王妃は満足そうな笑みを浮かべて小さく呟く。
「貴方が夫と親密だったのは知ってるのよ、シェルヨト?ぽっと出の人間なんかに財産は渡さないに決まってるでしょう?」
「・・・ど、どういう事情かは分かりませんが。この方は言葉が出てこないようなので、もうこれ以上は・・・」
そしてシェルヨトのことを見かねたフェアリーがこう言いかけた途端。
大聖堂には響く。
「おやおや。緊張なさってるのでしょうか?しかしこれではいけまんね、魔王様に想いが伝わりません」
それは何の気配も出さないまま突然魔王の棺の隣に出現した、老いたエルフの侍従長のしゃがれ声だ。
彼は白髪でいっぱいの頭を困ったように掻くと、わざとらしく「おお、そうだ!」と手を大きく叩いた。
「この方には仲の良いご友人がおりましたね!その方に代理をお願いいたしましょう!どうぞ、クァクレス様!」
「(・・・へ?)」
侍従長の言葉に呆気にとられるシェルヨト。だが次の瞬間、彼に人影が近づいていくる。
ボロボロの黒い礼服。艶の無い赤く長い髪。
それは先ほどこの葬儀場から逃がしたはずの、クァクレスだった。
「おいシェルヨト。勿体ないけど、これ返すわ。逃げられなかったからな」
「(お前・・・)」
突然目の前に出現したクァクレスにも驚き、目を丸くするシェルヨト。だが真剣な表情のクァクレスの方はずんずんと大股で魔王の亡骸の前にまで移動すると、大きく息を吸いこんで言葉を発した。
◇
魔王。
私は学が無いから魔王がどれだけ凄いのかよく分からない。生まれる前の戦争を終わらせたと言われてもピンとこない。
だけど、もし人間と魔族の戦争が続いてたら私は生まれてこなかったか、それかすぐ死んでたと思う。これを考えたら・・・命の恩人なのか?
そう言えば魔王、私の貧乏仲間には昔魔族の軍人やってたオーガがいた。
そいつから少し話は聞いたことあるけど、上から命令されて何の罪の無い人間を殺す毎日よりは、貧乏だけど種族関係無く仲良く過ごす今の方が楽しいって言ってた。時々難しい言葉を教えてくれたし良い奴だったよ。
まあそいつギャンブル大好きで負けが込んで借金取りから追われていつの間にか姿を消したアホだけど。
後、小さい頃に元人間の軍人と会ったことも思い出した。慈善事業してる爺さんだったけど今でも魔族を沢山殺したことを悔やんでるって言ってた。禿げてヨボヨボの爺さんだったけど、思い出話をするたび子供相手に崩れ落ちながら泣いてたよ。可哀想に。
まあそいつ慈善事業用に集めてた金を別のことに使ってて逮捕されたらしいバカだけど。
でもあのさ。こういうのも一種の平和で自由だと思うんだ。だから戦争を止めたの偉いよ、魔王。この私が保証するんだから本当だ。
それとさ、魔王。嫁さんや妹たちはいつ人間との戦争をまた始めるか分かんないだろ?だったら人間も魔族も仲良く飯食えるような場所作りたいって言ってるシェルヨトに遺産やった方が良いって絶対。
戦争になったら今までの魔王の頑張りがパァじゃんかよ。詳しいことはよく分かんないけど、悪い奴に遺産渡さない方が良いと思う。
シェルヨトはあんたのためにずっと頑張ってたんだから。友達を大事にしないと死んだ後も後悔するぞ。
それじゃあ達者でな。あの世でも元気で。